【食の編集部調査隊】トロント・チャイナタウンを探る「カナダにおける本格的な中華料理にあった本当の歴史」|特集「トロント調査隊がいく!」

【食の編集部調査隊】トロント・チャイナタウンを探る「カナダにおける本格的な中華料理にあった本当の歴史」|特集「トロント調査隊がいく!」

トロントに存在する6つのチャイナタウン

ダウンタウン・チャイナタウン(チャイナタウン・ウェスト)

トロントのチャイナタウン、というとSpadina AveとDundas Stの界隈だ。1950年代にオールド・チャイナタウンからの立ち退きが要請された際、多くの移民が「The Ward」から「ケンジントン・マーケット」に移ったユダヤ人たちを追うようにCollege, Queen, McCaulとSpadinaが囲むエリアに引っ越した。ユダヤ教徒は当時トロントで最も人口の多い民族だった。1950年代後半にはユダヤ人コミュニティーは市の北西部に移動。その空きを埋めるかのように香港からはお金持ちの移民が渡加し、新しいチャイナタウンは展開をさらに広めた。

今では中国人だけでなく台湾、ベトナム、ラオス、カンボジア、インド、パキスタンなどさまざまなアジア人が住み着きエリアを賑わしている。

この界隈の事業はChinatown Business Improvement Area (CBIA)という商店街組合に相当する団体として一団となってチャイナタウンを守っている。

2. チャイナタウン・イースト

1970年代、SpadinaとDundasエリアでの地価が値上げされると、人々はトロント東部にあるBroadview AveとGerrard Stのエリアに新しいチャイナタウンを築いた。持ち家を高値で手放し、安く家が買えるRiverdaleエリアに引っ越しする家族や若いカップルなどが増えた。Broadview Ave沿いは公共交通機関にも恵まれていたため多くの人が訪れ、成功を果たした。ベトナム人移民もレストラン事業を増やし、2000年代前半には「Chinatown East」どころか「Little Saigon」という名称が付くようにもなった。

3. スカボロー

このエリアのチャイナタウンは1984年に不動産開業者のヘンリー・ハング氏がローラースケートリンクをDragon Centre Mallというショッピングモールに変身させたのが始まりだった。漢方からディムサム(点心)まで色々楽しめる集まりどころが作られたのを機に台湾そして香港を含む中国本土からの移民がたくさんスカボローに住み着くようになった。人口が増えるにつれモールやプラザも充実した。

しかしここでもまた、ブリティッシュコロンビア州で移民が受けた差別のようにローカル人口が「自分らの場所を奪われている」と声をあげた。これを受け、問題を避けようとさらに北のヨーク地域に移り住む中国人も少なくなかったそうだ。
だが時が経つにつれ摩擦は減り、20年をかけ中国人コミュニティーはそのエリアの人口の35%を占めるまで根を張っていった。Chinese Cultural Centre of Greater Torontoも1998年に設立され、中国人移民、その2世たちとカナダ人のさらなる架け橋となった。2019年10月にDragon Centre Mallはコンドミニアム建設のため解体されたが、かつての栄光は今でも大いに語り継がれている。

4. ミシサガ

ミシサガではHurontario StとDundas Stが交差するエリアにもともとチャイナタウンが作られたが、1978年にDundas StとCawthra Rdの近くにThe Chinese Centreが建てられたことによって多くの店やレストランが移転した。The Chinese Centreの住所は888 Dundas St。数字の「8」は中国文化でラッキーナンバーだ。中国人コミュニティーにとってはパワースポットとも言える場所なのではないだろうか。

5. リッチモンド・ヒル

1990年代のカナダの移民政策により、台湾と香港を含む中国本土の富裕層の移民は住宅価格が少し高めのマーカムやリッチモンド・ヒルに移り住むよう政府に勧められた。エリアの名前に「Rich(金持ち)」など縁起が良さそうなイメージと、バンクーバーとサンフランシスコにも中国人移民で栄えたリッチモンド区が存在したことから大勢の移民に選ばれるようになった。特に香港からの移民が増え、香港スタイルのレストランが増えたおかげでGTAの中華料理に新たな風を吹き込んだ。

6. マーカム

スカボローでのチャイナタウン建設時に反動があったように、マーカムでも白人コミュニティーが強く対立した。1995年には中国人移民増加に厳しい反対意見を政治レベルで言い争う副市長が登場した。だが移民らは辛抱強くコミュニティを広げていった。90年代後半にオープンしたメガモールのPacific Mallは大成功し、今でも300以上もの店舗が客を呼び込んでいる。1998年にはFirst Markham Placeもオープンした。

コロナ禍のチャイナタウン、そしてこれから

2020年にコロナウイルスが蔓延し、傷口に塩を塗るかのように中国人への人種差別はトロントだけでなく世界中で深刻化した。チャイナタウンから客が去り、誹謗中傷のグーグル・レビューや電話が経営者らの心を痛ませた。ロックダウン中にはアジア人に対するヘイトクライムも増加。チャイナタウンはコロナと差別、二つのパンデミックと戦っていた。近年では都市開発の結果として起きるジェントリフィケーション(下層住宅地の高級化、そして地価の高騰)も問題になっている。今一番ニュースになっているのは315 – 325 Spadina Aveでのコンドミニアムの建設。この開発によりトロントのチャイナタウンでアイコン的存在とも言えるディムサム・レストランの「Rol San」は今年2月に28年の営業に幕を閉じ、Spadinaの西側に移ったばかりだ。これから街並みががらりと変わってゆくことが懸念される。ジェントリフィケーションは中華街だけの問題でなく、惜しいことにコリアタウン、グリークタウン、リトル・イタリーなどの様々な民族マイノリティエリアでも見られる。

おわりに

現在北米における中華料理で求められるのは「変わらぬ味」だ。「Chinese Restaurant」と名のつくところなら大抵どこでも同じメニューで、同じ味が食べられる。この安定した一貫性が今でもカナダ人に「安心」をもたらしているのではないだろうか。

日本人である筆者は中国人たちが自らカナダで提供する「Chinese Food」として知られるものを実際にどう思っているかはわからない。筆者のような第三者はレストランやカフェに立ち寄ることで彼らの歴史に寄り添うことしか出来ないのかもしれない。しかし、欧米化されたメニューにお金を払うことで白人が築いた人種差別の形に貢献することになるのか、と問いかけてしまう自分もいる。「本場の味」とどれだけ違うにせよ移民らが100年以上も奮闘し作り上げた「変わらぬ味」には人種差別の背景と生き残る強い意志がある。一口には言えない彼らのストーリーはカナダに共存する同じ「外国人」として人ごととは思えない筆者だ。あなたは今度チャイナタウンで食事をするとき、何を思うだろう?

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