国際結婚、出産、仕事復帰。小高祥子さん(ソーシャル サービスワーカープログラム卒業)|カナダで築くキャリアパス

国際結婚、出産、仕事復帰。小高祥子さん(ソーシャル サービスワーカープログラム卒業)|カナダで築くキャリアパス

カナダで10年以上に渡り留学・教育カウンセリングを手掛けてきた海野芽瑠萌氏が「キャリアパス・キャリアアップ」に鋭く切り込むインタビュー企画。

海野氏のもとには結婚やコモンローでカナダ移民をした後、子育てなどにも忙しくなかなかキャリアを考えることができない、移民のその後についてはなかなか知る機会、カナダでどんな風にキャリアを積んでいけばいいかわからないという悩みも多く届くという。

今回の対談相手は、2児の母ながらジョージブラウンカレッジに2年間通い、ソーシャルサービスワーカープログラムを修了し、ボランティアなどでも実績を積んで、現在のお仕事に繋げた小高祥子さんです。

現在は糖尿病患者向けの教育プログラムに携わる仕事をしていらっしゃいますが、実はMYNDSの前身でもある留学エージェントでの勤務経験もある小高さん。

子育てしながら送った学生生活の大変さやカナダでの就職活動、また仕事復帰に際して夫婦関係について1つずつお話を伺います。

小高さんはブログを通じて自身の経験を少しでも多くの人に共有しようと当時からの状況を発信しています。留学生はもちろん、カナダ移住後の仕事復帰や就活を考えている方にとって参考になります。https://profile.ameba.jp/ameba/shocolina/

国際結婚、出産、仕事復帰へ。
もう一度勉強し直してカナダのシステムを知ってから社会に出ようと決心。
  • 名前…小高 祥子さん
  • 業界…ヘルスケア
  • 卒業校…ジョージブラウンカレッジ(ソーシャル サービスワーカープログラム)卒業

ワーホリから国際結婚し永住権

海野:トロントに移住することになったきっかけを教えてください。

小高: 2011年の12月にワーキングホリデービザで来たのが最初です。日本で語学学校の仕事をしていたのですが、その時に今の夫と同じ職場で働いていました。その後で彼がカナダに戻ったので遠距離恋愛をしていたんですが、トロントを見てみたいという気持ちもあったのでワーキングホリデービザでトロントに来ました。カナダに来た時点で日常会話に問題はない英語レベルでしたが、胸を張って自信があるとは言えないくらいでしたね。それでも知り合いのつてでローカル企業のお話をいただき、ファイヤースプリンクラーの販売会社で受付や給与計算などほぼ全ての仕事に携わっていました。

海野: その時の苦労話は何かありますか?

小高: 人脈のツテで入社したので、あまり興味がない分野での業務でした。ファイヤースプリンクラーの会社のモデルナンバーなどそういった情報を覚えていなかったので、電話対応中に顧客から「そこで働いているのになんで知らないんだ」と言われたこともあります。最初はそういうことがあったのでつらかったです。

海野: そこから移民申請されたわけですね。

小高: 2012年に結婚して永住権申請をして、無事にPRを取得しました。

カナダで骨を埋める覚悟 育児しながらカレッジへ

海野:永住権を取得後に私の会社で働いてもらっていたわけですが、なぜ日系企業に戻ろうと思ったんですか?

小高:「困っている人を助けたい」という思いが常に自分の中にあったからです。例えば英語を勉強して海外に行きたい、でも何をしたらいいかわからないという人に手を差し伸べてあげられる仕事がしたかったので、海野さんの会社の求人に飛びつきました。

海野: 妊娠されてぽっこりお腹の状態で受付をしていたことを覚えています。2015年に1人目のお子さんを出産されましたが、その後2人目も生まれて育児に専念されていましたよね?

小高: 下の子が18ヶ月になるまで、5年ほど家にいました。その間にカレッジに行く準備はしていました。合格したジョージブラウンカレッジのデイケアに空きが出て、ちょうど学校が始まる9月から受入可能とのことだったので、子どもを預けて2019年から学校に通いました。

海野: 専業主婦から次のキャリアに進む前に、学校に行こうと思ったのははぜですか?

小高:これからカナダで生きていくと腹を括って来ていたので、自分のキャリアパスをどうするか考えて、もう一度勉強し直してカナダのシステムなどを知ってから社会に出ようと思ったからでした。

いくつかのプログラムで迷いましたが、より心のケアができるものが良いと思って、2年間のソーシャルサービスワーカープログラムを選びました。OSAP(オンタリオ州の学資援助プログラム)も利用し、学費がほぼカバーされたのは良かったです。

寝る時間を削って課題をする日々

海野: 子育てしながらのカレッジ進学は苦労もあったのではないかと想像できます。

小高: カナダ人の夫がエッセイのグラマーチェックなど手伝ってくれた部分もありましたが、英語ネイティブでも専門用語になると専攻していないとわからないこともあるので、結局は私が自分の知識をちゃんと落とし込んでいかないとだめだし、授業についていく勉強もしながら夜中1時まで課題をしていたのはつらかったですね。

せっかく頑張って書いた10ページのエッセイを、意味がわからないから全部最初から書き直してと言われたこともありました。コロナ禍でオンライン授業が多く、しかも子育てをしていたので寝る時間を削って課題をするのは体力的にもハードでした。

海野: 就職活動はいかがでしたか?子育てをしながらだと不利に感じることもありました?

小高: やはり小さい子どもがいると制限されることが多いなと感じました。もちろん日本よりもカナダで就活する方がサポートもあって幅は広がると思いますが、子どもがいると自分に割ける時間があまりありません。

課題をする時間がなくなるのもそうだし、就活時はデイケアやベビーシッターの心配、それに付随する時間やお金といったように連鎖的に心配事が出てくるので、そういった意味で制限されることが多かったように思います。

就職前に夫とシビアな話し合いも

海野: 子育てと学業の両立で大変な中、ご主人からの協力は得られましたか?

小高: だいぶ助けてもらったと思います。でも私が書いたエッセイを読んで「意味わからない」と言われると、一生懸命書いたものだからカチンと来ることもありました。そうは言っても掃除や子どもの寝かしつけなど手伝ってもらっている面があったので、プラスマイナスゼロと割り切って我慢しました。

海野: 就職するとなった時に、どんな仕事に就くか、どんな条件にするかということをご主人と話し合ったことはありますか?「ご主人から生活費など家計を考えたらこのぐらいは稼いできてほしい」というようなシビアな会話もされたと伺いました。

小高:専業主婦で0だった収入が「OSAP」などもあって収入が増えてしまっていたし、仕事をするとデイケアの費用も上がるから「社会復帰する意味あるのか」という問題を突きつけられました。

その中で「働くならこれくらい稼いでもらわないと困る」というシビアな話までしたんです。

でも、夫と対等にはなれないにしろ自立したいという思いがありました。ある程度自分が稼いだお金で自分のやりたいことをしたいし、少しでも貢献したいという気持ちがありました。

海野: 海外にいると国際結婚をした方で、収入格差や言葉の壁、文化の違いを感じて自分が自分じゃなくなってしまっていると悩んでしまう方もいらっしゃいますよね。

小高: 夫婦間でのコミュニケーションは大切だなと思います。私は、自分はこう思うということを相手に話して、向こうからのフィードバックを聞いてから物事を進めるようにしています。なるべく我慢せず、きちんとさらけ出すことが大事だと思いますね。

40社に応募 卒業後3ヶ月で就職

海野: 就活中はどのぐらいアプライして今の仕事を見つけたのですか?

小高: 卒業前から主にIndeedなどを通して40社ほどアプライしていたと思いますが、1社から面接の機会をいただきました。2次面接までしてジョブオファーをいただき、卒業後3ヶ月から今まで丸3年働いています。

海野: 3ヶ月で見つかるなんて早い方ですよね。今の仕事ではどういったことを担当していますか?

小高: コミュニティーヘルスセンターで、栄養士や看護師と共にプログラムの認知度を高めるため、コミュニティーにプロモーションしたり、サポートが必要な方へのアシストをしています。

本当はイミグレーション系の仕事に行きたかったのですが、今の仕事はヘルスケア系です。カナダにすでに住んでいてサポートが必要な人向けのサービスなので、正直私がやりたいことと100%マッチはしていませんが、目的に向けてのステップと考えています。

海野: 3年もいれば担当する業務やポジションは変わったのでは?

小高: ポジション自体は変わっていませんが、ある程度経験を積ませてもらったので仕事の幅は広がりました。最初は100%やりたいことではなかった仕事でしたが、よくよく考えたらカナダに住む移民や難民の中でヘルスケアが十分ではない人って多いんですよね。

そういう人をサポートする仕事も必要だと思うようになりましたし、私がしたいと思っていた仕事と今の仕事も根底では繋がっているなと気づいて、仕事が楽しくなりました。

与えられたチャンスに対して、『ノー』と言わない

海野: 今振り返ってみて、カレッジに通う選択をして良かったと思いますか?

小高: 良かったと思います。先日とある面接を受けた際に、経歴にギャップがあることを指摘されました。しばらく子育てに専念した後に学校に戻ろうと思ってカレッジに通ったと話したら、「良い選択だったね」って言ってもらえたんです。カレッジに通うことで自信にも繋がりましたし、英語はやらないといけないから英語力も上がりました。

小高:人間ってある程度のところまで到達すると努力しなくなるじゃないですか。でもそこを超えられたように思います。周りから認められたり、同業種で働く友人ができたり、そういう意味でもカレッジに行ったのはとても良かったと思っています。

海野: 今後の目標は何ですか?

小高: 今はまだパートタイムでの勤務なんです。子どもたちも大きくなってきましたし、フルタイムの機会を今は探しています。

上司と話して、こういう方向に行きたいので何か良い求人があれば推薦してくださいというアピールもしていますし、他の仕事にアプライして面接を受けたりもしています。

海野: ご自身の経験を踏まえて、カナダに来て子育て中だという人に何かアドバイスするとしたらどんな言葉をかけたいですか?

小高: 23歳くらいの時に日本のヒルトンで働いていたんですが、そこで出会ったジェネラルマネージャーはハウスキーパーから上り詰めた経歴がある人でした。

どうしてここまでキャリアを成功させることができたのか聞いてみたら、「与えられたチャンスに対して、『ノー』と言わないこと」と教えてくれました。それが今も頭の中にあります。

振り返れば、高校生の時に進路に悩んでいた自分を見つめ直すために短期留学して、将来カナダに帰ってこようと誓ってから、最終的には29歳で移住と遠回りしました。40歳までに学校を卒業し、自宅を購入、社会基盤を作ることを目標にこれまでも色々と軌道修正してきましたが、無駄なことは何一つなかったと信じています。

私も今の仕事が100%やりたいことだったわけではありませんが、チャンスを与えられたからやってみようと思って飛びついたので、そういうところが大切かなと思っています。

これまでいろいろと軌道修正して生きてきましたが、どんなに遠回りしようと無駄なことも遅いなんてこともありません。移民だから、結婚したから、子どもがいるからというような言い訳をせずに一歩踏み出してみたらどうにかなるものだと信じています。

海野 芽瑠萌(Merumo Unno)
日本では法学部で学び、日本の英会話や、小中学生の英語教育に関わる。2008年に渡加。現地留学エージェント、語学学校での経験を経て、現在はトロントにて、留学エージェント・教育コンサルティングの「Mynds Inc.」の経営を行い、グローバル人材の育成に取り組む。 2019年からは、トロントのビジネスサポート団体新企会の会長として、日系コミュニティーに貢献している。
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