【後編】カナダ国立バレエ団(THE NATIONAL BALLET OF CANADA)・プリンシパル 石原古都さん × マッサージセラピスト青嶋正さん|プロアスリート対談

トロントを拠点としたカナダ最大の国立バレエ団で世界でもトップクラスのダンスカンパニーとして知られている「The National of Canada(NBC)」。今回登場いただく名古屋出身の石原古都さんは、フロリダそしてサンフランシスコ・バレエ・スクールの留学を経てサンフランシスコ・バレエに入団。2019年にファースト・ソリストとしてNBCに入団し、今年プリンシパルに昇格した。

 前編では、数々のトップアスリートの体を診てきた青嶋先生と、NBCのプリンシパルを務めるトップバレリーナの石原さんが、バレエと体について語り合った。後編では、石原さんのことを通じてバレリーナの心得とコンディショニングの重要性とともに、バレエ全体の魅力について教えてもらう。

バレエの楽しみ方

石原: 特別な決まりはありませんが、フォーシーズンズ・シアターはダウンタウンの交通の便も良い場所にある綺麗なシアターなので、まずは興味のある演目を観に来て頂ければ色々な楽しみ方を見つけられると思います。

 音響効果の良いシアターで生演奏を聴くだけでも心が安らぎます。チケットは数十ドルから入手でき、上の方の席でも十分にステージは鑑賞できますし、ダンサー全体の動きを見るために好んで上階の席を求める人もいます。特別気張った服装も必要ありませんが、週末に外食の代わりにみんなで少しお洒落をしてバレエ鑑賞というのも良いリフレッシュにもなると思います。

 バレエには音楽・ダンス・衣装・ステージ効果など人それぞれ興味を引くポイントが多くありますので、自分なりの鑑賞ポイントを見つけられれば、より楽しめます。

ナショナル・バレエ・オブ・カナダの魅力

石原: まず、私がNBCに来て感じたことはバレリーナがキッチリと踊るということです。以前いたサンフランシスコ・バレエと比べ個性が少ないとも言えますが、ダンスも体型も綺麗に揃っているのでバレエっぽいバレエというか、ある意味、観やすいパフォーマンスが出来ていると思います。「白鳥の湖」などのグループダンスは綺麗に揃って見応えがありますし、今までバレエに興味の無かった方にも楽しんでいただけると思います。

 また、二十代前半のバレリーナで構成するバレエ団が多い中、四十代後半のバレリーナが在籍するのも特徴の一つで、ベテランのダンサーだからこそ演じられる演目もあります。

 公演数も多く、「くるみ割り人形」「白鳥の湖」「スリーピング・ビューティー」「不思議の国のアリス」などお子さまでも興味を持って親しみやすい演目も多くあります。午後2時からスタートする公演もあるので遠方やお子さま連れでも来やすいと思います。

 また、オペラ公演で使用されるフォーシーズンズは音響効果も良く、生演奏を聴きにくるだけでも価値があります。公演前や途中休憩で、アイスクリームやアルコールをゆっくり楽しむのも良いですよね。

青嶋: 私の体験でいうと、NBCの公演のイメージは別世界に誘われる感じです。服装にも普段より少し気を使ったり、自分の身のこなしも気をつけるような空気感があります。建物も綺麗だし、ゆったりとした時間が流れているのでそう感じます。同時に子どもたちも自然と同様な振る舞いになります。これは、親が言葉では教育出来ない経験をする場でもあるのかなと。劇場内は4階席まで吹き抜けの大きな空間で、馬蹄形状にステージを囲む客席の作りは温かさを感じます。音響効果も良いので生演奏を十分に楽しめるし、年齢層が広いバレリーナを抱えるカンパニーならではの表現豊かなパフォーマンスを楽しむことが出来ます。

石原: 私たちが目指しているのもまさしくそこで、演じている世界に引き込んで観客に何かを伝えたい、感じ取ってもらいたいという気持ちです。そのために私たちバレリーナもステージ上では観客と言葉のない会話をしながらパフォーマンスをしているんです。

日本とカナダバレエを取り巻く環境の違い

石原: まだ歴史の浅い日本とロシアやヨーロッパをはじめとした文化として根付いている環境のある国とでは大きな差があるように感じます。カナダのように公演数も多い国立バレエ団を抱えるような国ではサポート体制も充実しており、クリスマスの時期のくるみ割り人形などは毎年家族で鑑賞するなどバレエを身近に感じる人が多いかと思います。

古都さんが得意とする役柄

石原: 綺麗または可愛い系の役が得意です。むかし陸上部で高跳びをやっていたのでジャンプが高いのも自信があります。

一人一人を理解できる先生は世界でも数人程度。では、各々ができることとは?

石原: バレエのレッスンは、教科書に書いてある事を読むだけでは理解出来ないので、それを言葉や動きで示してもらえる生身の先生が必要なのですが、個々のダンサーそれぞれに適した指導スキルを持つような知識と経験と指導力のある先生は世界に数人しかいないと思います。

青嶋: 各々が現状で対策を立てるとすると、結局自分のコンディショニングをしっかりとすることになりますよね。「右肩が下がっている!」と注意されたら、まずは右肩甲骨辺りや右腰に辺りの筋肉緊張でもともと右に倒れる姿勢になっていないか?といった自分の体のコンディションを見直す習慣をつけたら解決への近道になるでしょう。

 このような体のブレを早く見極めるには、日頃のコンディショニングでいつも体のニュートラルポジション(主要関節に疲れのない状態)を維持しているのが大切です。あちこちにブレがあると、どれが問題点なのか見極めるのが難しいですよね。自分のコンディションを整えて体のブレが問題でバレエの動きの注意を受けないという協調体制が先生との関係に繋がると思います。

 シアターでパフォーマンスをする時はどんな感じですか?体はブレたりしないのですか?

石原: 広い空間に放り出される感じで、まるで空の上で踊っている様な感覚です。困るのは、踊っている時に視線を固定するポイントなどが無いので、鏡や壁を基準に踊っているリハーサル時より難しいんです。頼りになるのは自分の感覚だけなので、体の一部に無駄な緊張があって、体の軸の感覚がブレると踊るのが非常に難しいです。

趣味でやるのか?プロになりたいのか?プロになって真ん中で踊りたいのか?

石原古都さん(右)とマッサージセラピストの青嶋正さん(左)
石原古都さん(右)とマッサージセラピストの青嶋正さん(左)

青嶋: バレリーナを目指す人が一番大切なこととは?

石原: 目的をハッキリと決めて始めることだと思います。高い目標を目指すには、厳しいようですが客観的に自分の能力(体のサイズ+バランス)を早いうちに見極めることが必要です。バレエ以外の多くのものを犠牲にして努力しなくてはいけない厳しい道になるので本当にバレエが好きでなくては続けられないです。十分な能力がないと判断した場合は早く辞めて違う道に進んだ方が良いこともあります。実際バレエ学校では毎年色々な角度から判断されて脱落者が出ます。その後の人生を考えるとバレエだけに集中して学校にも行かないというのは賛成できません。

青嶋: 残念ながら日本人はボディーサイズなどで海外のバレリーナに劣るケースが多く、テクニックはあってもオーディションで苦戦するケースが多いでしょう。世界レベルでの活躍を視野に入れた場合、この様な現実もしっかりと自分で見極める必要がありますよね。残酷なようですが、これが現実なので最後の最後に解決困難な壁に当たらないためにもとても重要な判断が必要です。

石原: 私自身も日本にいた時は体型に恵まれていると言われましたが、海外では普通です。プロバレリーナを目標にしても、グループダンスの一員で満足するのか、真ん中で踊りたいのか?で道のりは大きく異なると思います。

【ポジション】
●プリンシパル…主役を演じるため雇われているバレリーナ。
●ソリスト…主役ではないが一人で踊るパートがあったり準主役を演じる。さらに主役を演じるチャンスもある。
●コール•ド…グループダンスを中心に担当する。

プリンシパルは他とは違う個を持っていなければいけない

青嶋: ところでプリンシパルにはどうやったらなれますか?

石原: 一言で言うのは難しいですが、十分なテクニックを持つダンサーが、所属するバレエカンパニーの演出家が必要としているタイプであるかなどの条件で選ばれます。実力があっても運に恵まれずプリンシパルになれないことも多いです。

青嶋: 僕が思うには、プリンシパルは少なくとも他とは違う個を持っていなければいけないように見えます。個とは、ボディーサイズ・間・フィジカル・凛とした態度・観客との距離の取り方・圧倒的な存在感など、物差しのない基準における特徴でパフォーマンスの隅々でバレリーナに惹きつけられる魅了の要素だと思います。日本人バレリーナとしての強みは?

石原: 日本人だからと言って良いかわかりませんが、私の場合はわりと器用で体力があったことから、便利屋的に色々な役をもらう機会が多かったです。
 当時は体が強いと思って、言われるがままにステージに上がっていましたが、その後故障してしまったことから考えると自分の体を良く理解せずに無理していただけかも知れません。

青嶋: 若いうちに色々な役をもらえたのは貴重な財産ですが、体のダメージを予防するのはとても難しいので経験豊かなサポーターが必要ですね。

青嶋先生からのまとめ

間違ったアプローチ

 足が前に上がらないと動作の主動筋肉であるヒップフレクサーを鍛えろと言われがち。引っ張る筋肉が弱いから足が上がらないという発想だ。間違いでないが、多くの場合ヒップフレクサーが疲れすぎて力を発揮できない状況にあることが多い。この場合の対策は全く逆であり、鍛えるのではなく緩めることである

 バレリーナの動きの問題点を、体の動きから根本的に修正箇所を指摘して、改善できるような先生は世界トップレベルであると思うが、現実的に巡り会うのは難しい。先生のバレエ指導力と自分のコンディショニング能力のコンビネーションが良い先生と巡り合う鍵となる

緊張を瞬時に緩める方法

 本番前は緊張して呼吸が浅くなる。そして集中力や体の動きが悪くなる。緊張を瞬時に和らげる簡単な方法として、肋骨の間の緊張をセルフマッサージで緩める方法がある。

 呼吸が深くなり体の緊張が取れる。結果的に酸素供給量が増え、スタミナアップに繋がる。肋骨の緊張がこんなに体に影響すると認識している人は少ない。本番前にも効果大だ。

バレリーナの落とし穴

 バレリーナは、他のアスリートなどから比べると高い体のコンディショニングの知識を持っていると思うが、ここに落とし穴がある。一般の人よりも体が柔らかいので、自分の体にコリや慢性疲労が溜まっていると夢にも思わない。原因はストレッチなど自分で行うコンディショニングには限界があるからだ。

 つまり完璧なストレッチを毎日欠かさずしても、取れない疲れがあることを理解しなくてはいけない。ストレッチをしても伸びない部分に疲労が溜まるので、この部分はストレッチではない違うアプローチが必要だ。疲れの溜まっているポイントを理解して、適切な刺激を与えて疲れにリリースを確認する。

 この様なアプローチをしない限り、見えにくい部分に蓄積された疲労は放置されて大きな怪我に繋がる。コンディショニングの目的は怪我予防だから、痛みや違和感の改善を行うだけでなく、本人が気付かない問題点を見つけ改善することが大切。
 
 バレリーナでも、このレベルの細かい体のコンディションを理解している人は少ない。

「カナダバレエ史の大事件」

 以前NBCが使っていたシアターのトロント公演中、ロシアの天才バレエダンサー、ミハエル・バリシニコフが冷戦時代のソ連KGBの監視から逃れて亡命した。パフォーマンス中、客席側をマークしていたKGBの裏をかき、カーテンコールのステージの幕が降りたタイミングで裏口から脱出という映画のような実話。本人も当日の脱出数時間前に計画を知らされたとか!その時に使用された車両は今も保管されているという。後に「ホワイトナイツ」という本人が主役を演じた映画でも似たようなシーンが描かれて話題となった。
 脱出に使われた裏口もドアには現在プレートが設置され、「Door for Freedom」と書かれている。