電気自動車の時代は来るのか?|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明

電気自動車の時代は来るのか?|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明

 自動車会社は自動運転と電気自動車へのシフトを強調するが、多くの人にはまだなにか縁遠い気がする。しかし、その時代は着実に迫ってくる。あなたも次に車を買い替えるときは自動運転のEVになっているかもしれない。その道のりを少し考えてみよう。

自動化と電動化に注力してきた10年

 オタワでコンボイが極めて強硬なストライキとデモンストレーションを行い、緊急事態宣言すら発せられた。アメリカとの国境越えに際し運転手にワクチンを強要したからだが、今から10年もすればこのバカげた騒ぎは歴史の遺産と化しているかもしれない。

 自動車会社はこの10年ほど、自動化と電動化に注力してきた。世界初は三菱が発売した小さな電動自動車、そして日産はゴーン氏の時代に大風呂敷を広げ、リーフを投入した。一方、自動化運転にも多額の投資が行われ自動運転のレベル2とか3といった言葉が我々の目に留まるようになった。

 自動化運転の車は一般車両よりトラックを優先的に開発するかもしれない。理由は世界的な運転手不足である。物量の増大に対してトレーラーの運転職は魅力に欠け、誰もやりたがらない。これでは世の中の経済が止まってしまうのだ。ベンツは29年までには自動運転のトラックの普及させるとしている。だが、物流で最も自動運転を必要としているアマゾンは既に自動運転開発会社と周到なタッグマッチを組み、更に早い実現を目指している。

 我々の知る常識はまさに日進月歩の新陳代謝を繰り返しているといってよい。

では電気自動車はどうだろうか?

 カナダの電気自動車の登録台数は2020年のデータで3.5%となっている。ちなみに温暖なBC州は9.4%で冬の気温が下がるケベック州でも6.8%となっている。この普及率は今後、飛躍的に上昇すると見られている。それは社会が地球温暖化対策やSDGsといった大義名分を糧にその普及を支援し、開発会社がその開発を急ぎ、周辺産業やインフラが着実にキャッチアップするからだ。

 BC州はオンタリオ州よりはるかに電気自動車普及に向けた土壌が整っている。それはオンタリオ州ほど都市が大きくなく、また都市も分散していないからだ。BC州は極論すればバンクーバーとその近郊に効率的に集中投資をすればよい。これは有効利用できる土地が山と海とアメリカ国境に囲まれているため、狭く、高密度な都市ゆえに社会的インフラ整備が飛躍的発展しやすいのだ。

 私は自社の事業に駐車場の運営部門があるため、当局と電気自動車普及に関する業界懇談会に招へいされている。当局曰く、2024年1月より駐車場運営者は電気自動車のチャージャーを一定数備えていなければ懲罰的ビジネスライセンス費を毎年課す条例案の最終的な調整をしているという。私はこの条例案には反対した。理由は電気自動車のチャージング方式は現在普及しているConductive Chargingに限らず、Inductive Charging(間接充電方式)やBattery Swap(電池交換方式)などが今後普及してくるため、インフラを一つの種類に限定するのはインキュベーション(ふ化)の段階としては違和感があるからだ。

 ただ、私は自社所有のうち80台分をチャージャー利用可能にアップグレードする作業を当地の電気会社と共に進めている。それはいずれ需要爆発があることが容易く想定できるからだ。

 トロントやバンクーバーではコンドミニアムの地下駐車場にEV可能駐車場にする仕組みがなかなか進まない。だが、やり方によっては政府補助金と受益者負担を組み合わせるとかなり安く備えることは可能だ。要は管理組合が面倒くさいので動かないだけなのだが、5年後にこのEV充電設備があるのとないのではコンドミニアムの価値に大きな差が出てくることは容易に想像できる。

では自動車そのものはどうだろうか?

 大手自動車メーカーは押しなべて2030年から35年に向けて電気自動車のラインアップを主流にし、一部のメーカーはガソリンの自動車開発を止めることを宣言している。日産もその一つだ。

 「俺はアンチ電気自動車だ」という人は必ずいる。それはそれで構わない。何故なら登録される自動車はオセロゲームのようにある日突然全部変わるわけではないからだ。内燃機関の自動車は10年以上乗り続けるのが普通であるのだから2050年になってもガソリン車に乗ることは物理的には可能だ。

 だが、今回の電気自動車政策は白人主導の商業主義に根差した計画だということを理解しないとこのダイナミックな変化を理解できない。つまり、好む好まざるにかかわらず、そうさせるのが白人社会のしきたりだからだ。よって2040年に内燃機関の車を乗っていれば自動車保険会社や当局から特別税なり付加費用が掛けられることになるかもしれない。そして、私がそれ以上に懸念しているのは部品の欠如と自動車修理工の圧倒的不足だ。

 私の友人は自動車修理工場を経営している。彼は私にこういうのだ。「俺は息子にこの仕事を継がせない。何故なら電気自動車の修理の扱いは今の車とはまるで違う。ならば将来性がない今の仕事は継がせない」と。今でも彼は工場のスタッフの慢性的不足に悩まされている。自動車メカニックなんて流行らなくなるのだろう。

 時代の変貌とは恐ろしい。そしてそれは加速度を伴ってやってくる。私も次は電気自動車と決めている。何故かって。あの加速感はガソリン車では経験できないからだ。