迫りくる本当の働き方改革とは。上手に生き抜くための入れ知恵|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明

迫りくる本当の働き方改革とは。上手に生き抜くための入れ知恵|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明

 コロナ禍における働き方改革は一つのテーマだった。ところが結局、コロナが収まってきた日本ではリバウンド現象で昔のように事務所や勤務先に通う人も増えてきた。ここカナダでもリモートの人はまだ多いが巣籠し続けている人は着実に減ってきている。2022年、そして近未来の働き方はどうなるのだろうか?

「仕事がない」のではなく「仕事を選んでいる」という米国の現状

 アメリカではコロナ前に比べていまだ400万人以上が失職しているとされる(10月雇用統計より)。彼らに仕事がないとは言い切れない。選んでいるのだ。1年以上も失職し、在宅で政府補助金をもらい、余力のある人はそれを株に投資し、イージーマネーを手にした人は多いはずだ。一部の株式関係の掲示板で特定銘柄を参加者の皆で買い上げ、株価を何倍にも高騰させ、自分たちの存在感を株式投資を通して見せつけたのが今年の特徴であった。その声は投資を通じた新しい生き方を提示したともいえる。

 幸いにして本稿を書いている11月上旬はまだコロナショックの20年3月からの1年8カ月以上にわたる株式ラリーが崩れていない。カウチに寝そべりながら「仕事をするよりもっと収入がいい」と豪語している人は多いだろう。

 だが、「相場で飯を食う」プロの投資家はほんの一握りで一般大衆の7割は必ず振り落とされることになっている。それは時間が証明するだろう。しかし、今の時点ではまだ、切羽詰まった感じがない、これが今の労働者の正直な立ち位置なのだろうと思う。

私が考える懸念事項

 私は経営側なので雇う立場として今の状態をかなり懸念している。それは親が子を心配するようなものかもしれないが、私の懸念をいくつか箇条書きにしてみよう。

❶スキルがないのに職を選びすぎる
❷時給が安いと見向きもしない
❸友達に言うと聞こえが悪い仕事にはつきたくない
❹たるい仕事は嫌だ
❺社風が良くないとすぐに辞めたくなる

 今時、ガバナンスに人権問題、さらには労働管轄の当局のチェックも厳しく、雇用する側は腫れ物に触るぐらいの気持ちで人を採用するが、企業がクビを切る権利より従業員が辞める自由度の方がはるかに緩やかだ。仕事を教えるには手間だけではなく、かなりのコストがかかる。何故なら教えている時間は二人分の給与が発生するからだ。ところが、せっかく教えて独り立ちしたと思ったら辞める、となると雇用側としてはやりきれない、これが正直な気持ちだ。

 アマゾンは慢性的な人材不足に陥っている。コマーシャルでは給与など待遇面もとても良いと宣伝しているが定着率は悪い。それよりももっと聞こえの良いところで仕事をしたいと人々は思っている。

 アメリカではレストランの営業が再開するも人手不足で営業ができない。ティムホートンズだって人手が足りなくて長蛇の列の上に24時間営業どころか夕方になると店を閉めるところがあるぐらいだ。

10年後の我々の仕事環境を想像してみよう。

 多分、人間が行う仕事は今の半分で済むはずだ。残りはAIとロボットがこなす。アナウンサーも小説家も人間ではない。レストランに食事に行っても手元のスマホで注文し、ロボットが運んできたものを食べ、スマホで支払いをして終わるだろう。サーバーがいないからチップは要らない。自動運転のトラックが動き回り、人が介入するのはごく一部分だけになる。世の中で一番高いものは郵便になるかもしれない。

 弁護士も会計士もAIのチカラでどうにでもなる。例えば会計士の業務はルールに基づく処理をするのが主眼であり、知識量に頼るところが大きい。だが、AIの方がはるかに正しく、間違えない点に於いて人間にその業務依頼する意味がどこにあるのだろうか?

では我々普通の人間はどう対処すべきだろうか?

 つまり、本当の働き方改革が起きるとコンピューターやテクノロジーを使う人と使われる人に分かれる、これが究極の選択肢だ。
 私は人間が作るあいまいさと失敗から生まれる新たな産物こそが本当の価値になるとみている。AIはビックデータをベースに過去の経験則からの判断に基づくため、意図的に想定外を生み出したり創造性を発揮してクリエイティブになることは難しい。AIはそれゆえに失敗もしないが、何一つ新しい発想が生まれないという弱点があるのだ。

 全ての人は才能を持っている。その才能を生かした生き方をすることが今後の真の意味での働き方改革になるだろう。リモートワークとか、ワークライフバランスというのは今の流行だが、これは数年後に確実に形を変えるだろう。労働市場で今後最大の問題は満足しうる仕事がないことによる「生きがいロスト症」だ。

 私の周りで一日、ほぼ何もしないのにそこにいるだけで仕事になっている人を多く見かける。私の入居するシェアオフィスの受付の人はすぐに辞める。理由はあまりにも退屈な仕事だからだ。雇う方はそれでも時給を20ドルも払う。「つまらない仕事だから我慢代だ」といってびっくりするほど給与が高かったりする。しかし、仕事は給与の金額ではない。やりがいがあるかどうかだ。問題はやりがいある仕事を機械が奪い取ってしまった、という現代の悲劇である。こんな恐ろしいストーリーを12月号で書くのは申し訳ないが、この厳しい将来に向けてどうあるべきか、私も含め、考えなくてはいけない時が来たといえるのだろう。