アルゼンチンから南極へ(4) ―ドレイク海峡を渡る|紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第80回

南極半島はどれくらい寒い?

ウェッデル海で水と戯れるカヤックチーム

アルゼンチンに向かって弧を描く南極半島は北と南に区分されていて、平均気温はそれぞれマイナス5度とマイナス20度、と極端な差がある。南極大陸中心部の平均気温がマイナス30度からマイナス70度だから極寒だ。世界の最低気温新記録は1983年にロシアのボストーク基地で観測された想像を絶するマイナス89.2度。

近年の地球温暖化のせいもあってか我々が航海した夏季、1月の南極半島はマイナス1、2度の快適な気温で驚いた。それでも強風、雨や雪が降れば急激に気温は下がる。環太平洋火山帯に属する南極半島の周囲には火山の大爆発でできた島が無数に点在している。南極半島やそれを取り巻く島々で南極の自然に触れ、命を張った冒険家たちの足跡をたどり、次号ではヨーロッパが商業目的でクジラを捕獲しまくった史跡をたどりながら、環境や人間の歩みを探ってみる。

スノーヒル・アイランド(Snow Hill Island)

スウェーデン探検隊の小屋が立つスノーヒルアイランド

半島の弧の内側にある島。1902年にスウェーデンの地質学者、オットー・ノルデンショルド(Nordenskjold)が建てた小屋で知られる。南極半島の地質の研究が目的だったが船が氷塊に破壊され、隊員は予定より長い越冬を余儀なくされてしまう。それでも半島付近の三カ所で前向きに研究を続け何百頭ものペンギンやアザラシを食料や燃料の原料として命を繋いだという。

ペンギンを南極のチキンと言ったのは誰だったか。昔の南極探検記を読むと必ずペンギンやアザラシで生き延びる記述が出てくる。嫌がって食べない者は体力が衰えいずれ死に至る。究極、人間も動物になれ、ということだったのだろう。

今は動物愛護のおかげで動物たちは好きなように南極で繁殖する、その様子を我々が観賞隊としてエンジョイさせて頂く。不毛に見えるぬかるみに足を取られないようにベタつく重い泥を持ち上げながら勾配の有る山に登ると、西側のドレイク海峡とは違った静かな東側のワッデル海を望むことができる。2年待ってアルゼンチンの救出船が視界に入った時の喜びはどんなだっただろう。

ブラウン・ブラフ(Brown Bluff)と動物観察ルール

南極半島の先端、ブラウン・ブラフで見た100万年前の噴火の燃えかす、テフラ

南極半島の先端にある所で文字通りブラウン色調の土地がこれ。島ではないが上陸できる場所が限られているので島のような感じだ。

まず目に飛び込んできたのはテフラ(Tephra)、人工的な芸術作品のような岩。約100万年前の大噴火で焼け焦げた火山の砕屑物だ。つまりゴミ。ブラウン・ブラフにはいろいろな種類のミズナギドリやアデリーペンギン、ジェンツーペンギンの生息地がある。先月写真で紹介したアデリーの頭は真っ黒だがジェンツーは左右の目を繋ぐ白いヘアバンドが特徴。

ここで野生の動物観察に対するルールを挙げておこう。まずペンギンの歩く道を塞ぐような場所に立たないないこと。ペンギンが近寄ってきたら後退りすること。動物を追いかけてはいけない。触ってもいけない。鳥の巣の近くに行ってはいけない、など。

アデリーペンギンについて

潜るージャンプの繰り返しで泳ぐアデリーペンギン

カヤックチームが漕ぎ出した。気持ちよさそうに南極の水と戯れている。カメラチームの私がボートの上からカヤックチームを見送ると、アデリーペンギンの団体水泳教室が始まっていた。小柄な身長60~70センチのアデリーが〝潜るージャンプ〟を繰り返すその飛ぶような泳ぎは力強くもあり、可愛くもある。天敵から逃れるスピードは時速30㎞まで出るとか。水中には6分間、水深180メートルまで潜れる小粒で強靭な体を持つ。

発見されたのは1840年、覚えやすいその名前は発見したフランスの探検家の奥方の名前。生後7~9ヶ月でコロニーを後に海に去る。同じコロニーには戻らないというからかなり冒険家でもある。巣作りするのは雄の役目。雌をおびき寄せるためにはできるだけ巣を大きくする必要があり、そのためなら隣の巣からも石を拝借する、という狡賢さも持つ人間のようなヤツでもある。雌が産む卵は2個だけ。

日本の国鉄JRがアデリーペンギンをマスコットにした理由は一体何だったのか?