5月12日は母の日。花を贈ったり、おいしいご飯を一緒に食べたり、手紙を書いたり…特別な日に特別なものを贈りたいと計画を立てている人もいるのではないだろうか。読者の中には、日本に家族を残してカナダに来た人もいるだろう。母の日を迎え、遠く離れた場所にいるお母さんに伝えたい思いがきっとあるはず。カナダに住む3人の若者に、普段言えないお母さんへの“スペシャル”な気持ちを紡ぎ出してもらった。
拝啓 一生超えられない素敵な母へ
現在のステータス: 永住
カナダ歴: 4年
お母さん: 雅子さん
―どんなお母さんですか?
暖かくて陽気。常に笑顔で明るく、忍耐強くて器の大きい人です。幼少期は、うちの母はあんなに可愛いのになぜ芸能人でないのか不思議でした。花や植物、山下達郎とボサノバ、ハワイが好きな昭和の女です。
―これまでに、何か思い出に残っているお母さんとの出来事はありますか?
特に派手なエピソードはありませんが、私は小さいころから母のことが大好きでした。明るいところもポジティブなところも好きですが、特に愛情深く優しいところが大好きです。私は3人きょうだいの末っ子で、上2人に埋もれがちなのですが、話をしていて私がどれだけ小さな声で何かつぶやいても、取るに足らないことでも必ず反応してくれます。そういった小さいことの積み重ねで、両親からの愛情不足を感じたことは小さいころから1日もありませんでした。
性格だけでなく、母の料理やセンスも大好きです。家族のほぼ全員スポーツ少年団や運動部に所属していたこともあり、ご飯をたくさん食べる家庭でした。毎日母は仕事から帰ってきて、おいしいおかずをたくさん、しかも2、3種類作ってくれていました。今思い返すと信じられません。私は母の手料理の中でぶりの照り焼きが一番好きで、日本への一時帰国のたびに毎回リクエストするほどなのですが、どうやらためしてガッテン(放送終了したNHKの番組)で紹介されていたレシピのようです。うちの母の味を食べたい方は、ぜひためしてガッテンを参考にしてください(笑)
また、母の服装のセンスも好きです。私たちが生まれてからは忙しく服装に無頓着になってしまったようですが、昔は衣装持ちでした。母が20代のころに着ていた古着のミニスカートとブルゾンを私が譲り受け、今でもカナダで着ています。
―カナダに行くと伝えた時、お母さんの反応はどうでしたか?
10年ほど前、私生活が上手くいかず半年ほど落ち込んでいた私に、海外に行ってみたら?と最初に勧めてくれたのは母でした。そこからニューヨークに短期留学し、ニューヨークが大好きになった私は近くで安いからとトロントに居つきました。当時はその後こちらに永住するとは露ほども思いませんでしたが、あの時母から海外行きを提案されなかったら、今は全く違う人生を送っていたと思います。
私はトロントで出会ったパートナーと結婚しているのですが、両親へ「カナダで結婚します」という報告をした時も、父と母は「瑞季が決めたことなら信じるから良いよ」と少し泣いた後に喜んで背中を押してくれました。本当は「隙あらば日本に帰ってこい」と思っていると想像できますが、私が幸せな限りは世界中どこに住んでいようが応援してくれている自信があります。
―カナダに来てからもお母さんと連絡を取っていますか?
日本にいたときと連絡頻度はあまり変わりません。私は連絡がマメではないので、母にインスタアカウントを作ってもらい、そこから私のストーリーを見てもらっています。主に晩御飯の投稿が多いので、「野菜を食べなさい」と苦言を呈されています。昨年姉に子どもが生まれて、それがきっかけで姉・甥っ子・母・私で平日はほぼ毎日トロント時間17時(日本時間の朝6~7時)にビデオ電話を10分ほどしています。毎日他愛もない話しかしませんが、私にとっては日本語で話せるリフレッシュの時間になっています。
ここ最近ですが、楽しい話だけではなくお互いに辛かった経験なども共有できるようになりました。母は明るい人ですが、若い時に他県から静岡の田舎に嫁いできて、田舎ならではの人付き合いの複雑さや根強く残る男尊女卑にもまれ苦労しただろうと思います。当時つらかったときは、近所の小さな公園で同じ環境の奥さん仲間と泣いていたと話してくれました。私はトロントという都市部でまだ子どももおらず気楽な生活をしていますが、広いようで狭いコミュニティーや価値観の違う人たちとの生活の中で、似た環境の友だちに支えられているという点では、当時の母の気持ちも少しはわかる気がします。
―これまで母の日にはどんなことをしてきましたか?
母の日には毎年小さくても何かしらの贈り物をしています。何をあげても喜んでくれるため、ヒントがなくてプレゼントに毎年悩みます。小学生の頃、母に化粧品を買いたかったのですがどこで何を買えばいいのかわからず、コンビニで売っていた小さい化粧水セットをあげていました。歳を重ねて大人になってから、あの小さなセットが実はトラベル用の化粧水セットだったことに気付きました。旅行にたくさん行く人ではないと使いづらいものですよね。お母さん、もしこの記事を読んだら何がほしいか具体的な品名かブランド名を教えて下さい!
―お母さんへのメッセージ
母の日おめでとう!いつも感謝しています。せっかくの機会なので、普段言えない気持ちを書きます。
世の中の成功者やすごいビジネスマン、死に物狂いで努力すればそういう人たちは1%でも越えられる可能性があると思います。でも、お母さんはどう頑張っても越えられません。母の優しさと強さと忍耐力は、一生超えられない壁のように思えます。いつか私も子どもを持ちたいとは思っていますが、お母さんのように完璧な母にはとてもなれる気はしません。そこそこで頑張ります。
私の友人たちの中にも最近異国の地で子育てを頑張っている新米ママさんがたくさんいます。お母さんは実家から遠く離れた土地で子育てをする孤独と大変さを心の底からわかっていると思うので、お母さんが新米ママさんの時にしてほしかったこと、私が新米ママの友人たちに協力できることがあったらぜひアドバイスしてください。
いつもありがとう。これからも元気でいてね。献身はほどほどに、これからもお母さんがお母さんの人生を楽しんでくれることを願っています。お互いに弱音を吐かないタイプですが、私も30歳になりぼちぼち立派な大人です。たまには頼ってくださいね。
拝啓 自分で決める力を身につけさせてくれた母へ
現在のステータス: ワーホリ
カナダ歴: 1年
お母さん: えつこさん
―お母さんを一言で表すと?
優しいという言葉が似合う人だと思います。全く怒らない人というわけではないけど、家族のことを大事にしてくれているのはすごく伝わります。お金があまりない家庭でしたが、自分でできる範囲ならなんでもやりたいことをやってみなさいと言ってくれる良い母親です。
―幼少期から今まで、お母さんとの思い出は何かありますか?
子供の頃、家庭は決して裕福ではありませんでしたが、僕と2人の妹が何不自由なく育つように尽くしてくれました。「放任主義」と言うと聞こえは悪いかもしれませんが、母はいつも自分の道を選ぶ際に「自分のことは自分で決めなさい」という言葉をかけてくれたことを覚えています。おかげで何をするにしても自分で考え、行動する習慣が身につき、大人になった今でもその教えが自立心を育てる助けとなっています。僕自身も、「放任主義」の方が自分のやりたいことができるし良いなと今は改めて感じています。
両親は家の隣で寿司や相席料理の日本料理店を営んでいて、学校から帰っても常に家に母がいるのが当たり前で、寂しい思いをしたこともありません。高校卒業後は家を離れたので、1年に1回帰省して会う程度ですが、一緒にご飯を食べたり家族で出かけたりもしますし、普通に仲の良い母と息子という関係だと思っています。昔からどんな小さなことでも反対することなく、いつも背中を押してくれたとてもありがたい存在です。感謝しています。
―カナダに行くと伝えた時、お母さんはどんな反応を見せましたか?
僕がカナダに来たのはちょうど1年ほど前の2023年の冬でした。岐阜の郡上市にある実家から遠く離れて東京で暮らしていたのですが、カナダに行く前には絶対に帰省しようと思っていたので年明けに実家に帰りました。普段あまり僕の話に驚くことのない母でしたが、さすがに海外に行くという僕の話には驚いたようでした。というのも、普段からそこまで僕が自分の話をしませんし、親からもそこまで聞かれたことがありません。海外に興味があるという話もしたことがなかったので、突然のことのように思えたのだと思います。母が驚く姿を見たのはこれが初めてだったと言えるかもしれませんが、「海外いいなあ、うらやましいなあ」と言いつつ、「健康にだけは気をつけて」と言ってくれました。やはり、好きなことをして生きていけばいいという母の考えは相変わらずだなと感じました。それでも、体にだけは気をつけてほしいという母の思いには少し嬉しさも感じました。
―カナダに来てからも、お母さんと連絡を取ることはありますか?
普段からそこまで話をするスタイルではないので、正直あまり連絡は取っていません。両親と僕、妹2人の家族ラインがあって、そこで妹と両親が話をしたり写真を送り合ったりしているのを僕は見ているだけということが多いです(笑)。2年前から実家でパグ犬を飼い始めたのですが、家族ラインではパグの話題であふれています。僕はあまりメッセージを送ったりはしませんが、パグの写真にはとても癒されています。
お互いにあまり連絡をしていませんが、月に1度くらいのペースで母からテレビ電話がいきなりかかってくることがあります。そこでも話題は9割がパグのことで、テレビ電話なのも僕がパグを見たいからです。毎回30分くらい電話をしていて、「最近元気?」「そっちは寒い?」というような簡単な会話はしています。お互いに健康で元気に生きていると信じているからこそ、あまりお互いの話をしようとしないんだと思います。
―これまでの母の日エピソードは何かありますか?
小学生くらいの時に学校の授業関連で母にプレゼントを贈るというようなイベントはあったような気がしますが、正直なところ、それ以外で何かした記憶がありません。ただ、高校を卒業して働いてすぐの時に父から「初任給でお母さんに何か買ってやれ」と言われ、初めてのお給料で母の日にプレゼントを贈りました。パン作り教室に通うほどパン作りが大好きな母なので、その時使えるエプロンと洋服とAirPodsをあげました。エプロンは今でも使ってくれています。AirPodsは犬に噛まれて壊れてしまったので、今回カナダに来る前にまた新しいのを買ってプレゼントしました。
それ以来は特に何もして来ませんでしたが、母の日のタイミングで何か特別なことをしてあげたいという気持ちはあります。特に今、社会人として収入も安定してきましたし、田舎ではなく少しでも都市部に近いところにマンションを購入してあげることを検討中です。いつか叶えられたらと思います。
―お母さんへのメッセージ
小さい頃から「好きなことをして生きていきなさい」と言われてきましたが、その言葉を胸に高校卒業してから社会に出て、今ではエンジニアという僕が本当に好きなことをしながら楽しく生きています。今は岐阜から遠く離れたトロントに暮らしているけど、やっぱり日本は好きだし、いつかまた日本に戻る日が来るんじゃないかなと考えています。とりあえず10月に一度日本に帰る予定だから、その時に久しぶりに会えるのを楽しみにしています。あまり近況を話し合わない僕たちだけど、その時にはちょっとだけでも話ができたら嬉しいですね。
やっぱりパグのことが大好きな僕たちだから、一緒にドッグランに行ったり家族で楽しいことをしましょう。お母さんはあまり海外に興味がないかもしれないけど、僕がいる間に一度くらいカナダに遊びに来てくれたら嬉しいです。お母さんの好きな和食がおいしい店を見つけたから一緒に食べに行けたらいいなと思っているし、カナダのデザートは甘いものが多いから、きっとお母さん好みのスイーツもあると思う。その時までどうか健康でいてください。インフルエンザにも新型コロナにもかかったことがないくらい丈夫な体を持つうちの家族だから大丈夫だと思うけど、これからも長生きしてね。僕も元気に頑張っていきます!
拝啓 いつも助けてくれて私をよく知っている母へ
現在のステータス: Co-op留学
カナダ歴: 1年
お母さん: 靖子さん
―お母さんはどんな存在ですか?
温かく見守る偉大な存在です。今まで、私がやりたいことを「やってみたら」と言って何でもやらせてくれました。たまに「放任すぎない?」と思うこともあります。でも、進路や今後の仕事など大事な話をする時、「どうしてこうしたいか?」と理由を話すと、母の角度から意見をしっかり話してくれます。私がやりたいことにむやみに口を出さず、何でも挑戦をさせてきてくれました。今のCo-op留学もそうです。「大学の交換留学はコロナでダメになったけど、やっぱり留学をしてみたい」と話すと「いいんじゃない」の一言でした。度量の大きさを私も見習いたいです。
―幼少期から今まで、お母さんとの思い出に残っているエピソードは何かありますか?
高校3年生の時、センター入試の成績が良くなくて私が自信を無くしていた時のことです。私は5人姉妹で7人家族です。到底、私立大学なんて行くお金はなく、奨学金を借りて両親から払ってもらえたらギリギリというくらいでした。センター入試当日、点数をしっかり取れなくて学校で成績表をもらった時は「国公立に行くのは難しい」と確信しました。学校帰りに寄った塾で先生に見せた時は大泣きして、何も手がつかなかったです。でも、「母に見せないのは違うかな」と思って素直に見せました。その時は何を言われるのか怖くてその場から逃げてしまいましたが、夜ご飯の時間になって食卓に行った時に、「別に国公立じゃなくてもいいんだよ。推薦で私立には1つ受かっているんだから」と言ってくれたんです。その時期の私は受験のことで精いっぱいで、気持ちが不安定だったことが母にも伝わっていたのかもしれません。さすが、自分の子供のことを分かっているんだな、と尊敬しました。
―カナダに行くと伝えた際、お母さんはどんな反応でしたか?
ただ一言「やってみたらいいんじゃない」と言われました。私は大学在学中の2023年の秋に大学の交換留学でカナダに来る予定でしたが、コロナの影響で留学がキャンセルになり、その時は諦めたんです。ただ、どうしても行きたくて「会社員になって退職に悩むくらいなら、行きたいと思う今行きたい」と思い、新卒社会人になることを捨ててカナダに来ました。就活のこと、今後のことを考えて「なんで?」と言われると思いましたが、母は背中を押してくれたんだと思います。私は国公立の受験も失敗してしまい、私立大学に通って親に高いお金も払ってもらいました。そういう背景もあって、自分の好きにさせてくれることに驚きました。応援といっても、留学資金は全額自分で貯めることを条件に留学を許してくれました。留学前の1年間は昼間と夜、バイトを掛け持ちして休む間もなく働き、「この1年が今までで一番しんどいだろうな」と思っていました。ただ、本当にしんどいのは留学が始まってからの半年ほどで、仕事が見つからずに破産してしまった時でした。その時も母に相談したら、心配してお金も貸してくれました。自分でお金を貯めることを約束したけど、それに関しては何も言わず、助けてもらえたことで今は毎日「今日も頑張ろう」と思えます。
―カナダに来てからお母さんと連絡を取りましたか?
日本食や日本の生活が恋しくなって帰りたくなることはありますが、「家族に会いたいな」と思うことは実はないです。(笑)。母もそんなに過保護なわけではないし、離れていても心配して母から連絡してくることはほとんどありません。でも私がインスタに投稿すると、必ずコメントをくれます。体調が悪いことをインスタのストーリーに載せると「大丈夫?」と返してくれたり、自炊で作ったご飯をストーリーにあげると「頑張っているね」とコメントしてくれたり、本当にいつもよく見てくれているなと思います。また、1回だけですが祖母経由で電話をしたこともあります。「元気?」など普通の会話でしたが、声を聞くだけで安心しました。基本、私は落ち込んでも誰かに相談しないタイプなので、母もそれを分かって特に積極的に干渉はしないと思うんです。私は泣きべそかくよりも「とにかく前に進まなきゃ」と思うタイプなので、甘やかさないんだと思います。私が楽しい話をしたいときに応えてくれる方が元気出るし、リフレッシュになるので、母との貴重な会話の時間は大事にしています。
―母の日の思い出はありますか?
母がほしいと言っていたものをプレゼントしたり、姉妹と父の6人で協力して「今日はお母さんに家事をさせないようにしよう」と決めてお母さんを休ませてあげたりする日が母の日でした。以前、母の日に少し豪華な夜ご飯をみんなで買い出しからして、ケーキまで作ったことがありました。その時はそこまで料理が上手じゃなく、とても「おいしい」と言えるものは作れませんでしたが、母がすごく喜んでくれて嬉しかったです。私たち姉妹が大きくなると、母の日にみんなそろわないこともありますが、何かしら「お母さんが喜んでくれるようなことはしたいね」と姉妹5人で考えて感謝を伝えています。
―お母さんへのメッセージ
看護師の仕事は、夜勤もあってヘトヘトになって帰ってくることがほとんどだし本当に大変だよね。でも、いつも私たち姉妹5人のことを気にかけてくれて本当に感謝しています。私が大学受験の時は、夜勤で深夜に帰ってきた時も次の日に持って行くお弁当を夜のうちに作ってくれたり、私がコロナになってホテル隔離になるからパッキングをしている時に、私が大好きな芋けんぴを調達してきてくれたり、私が好きなものをよく分かってくれていてすごいです。自分でも分かっているけど、私は全部自分で頑張ろうとして甘えられないので、それを見越して助けてくれるところは「本当に私のことよく見てくれているな」と思います。学生の時も今も未だに自立できてないし、主にお金の面で頼りっぱなしだけど、必ず何か恩返しするね。お互いに旅行好きだし、一緒に温泉旅行でも一緒に行こうね。いつもありがとう。