「アウトサイダー」でいることを楽しむ 日系カナダ人心臓外科医ボビー・ヤナガワさん|アイデンティティーの交錯「カナダ人であり日本人であるということ」

「アウトサイダー」でいることを楽しむ 日系カナダ人心臓外科医ボビー・ヤナガワさん|アイデンティティーの交錯「カナダ人であり日本人であるということ」

バンクーバーで生まれ、現在はトロントの病院で心臓外科医として勤務する日系カナダ人がいる。
トロント大学で医学生の実習も担当するボビー・ヤナガワさんは、女性やマイノリティが心臓外科医になる道を作ろうと若手育成にも力を入れている。
もともとは化学専攻だったボビーさんだが、PhDやトロント大学メディカルスクールなど約20年の勉強・研究を経て医者として働き始めた経歴を持つ。
なぜその道を辿ることになったのか、そして自分の中にある〝日本人〟としての部分やアイデンティティのお話を含め、たっぷりと語ってもらった。

「よそ者」だから好きに生きられた

―ボビーさんの幼少期について教えてください。

東京出身の母と宮城の気仙沼市出身の父がいて、両親は1970年初めにカナダに移住しました。私は1976年にバンクーバーで生まれて、そこから主にカナダで育ちました。小学校から高校まで日本語学校に毎週通っていて、カナダ人の友人は週末にアニメを見たりしていたのに、私だけ学校に行かないといけなかったのですごく嫌でしたね。

―では日本語はある程度学んだんですね。

実際のところ、私が小さかった頃の第一言語は日本語です。両親は移民だったので、家では日本語を話していましたからね。でもローカルの学校ではカナダ人ばかりの環境だったこともあって、そのうち日本語は忘れてしまいました。

今も日本人の友人はあまりいませんし、妻もカナダ人ということもあって日本語は50%くらいしかできないと思っています。

でも、グレード12の時に1年間仙台育英高校に留学したり、J-POPバンドを聴いて日本語をちょっと覚えたりはしてきました。

―カナダ人ばかりの環境となると、日系カナダ人というマイノリティでいることで大変なこともありましたか?

もちろんありましたが、アウトサイダー(よそ者)でいることを楽しんでいる自分がいました。他と違うからこそ、ある意味すごく自由でした。誰も私に期待しないし、みんなに合わせる必要もないから好きなことをすればいい。常に外から物事や人を観察することで、違った考え方を持つこともできました。

自分の中に20%の日本

―仙台育英高校に留学した経験はどうでしたか?

全てがおもしろくて、カナダと日本じゃこれもあれも違うんだと感じることばかりで毎日新鮮だし刺激的でした。父の影響で剣道をずっとやっていたので、仙台育英でも剣道部に入って友だちもできましたし、とても良い経験になったと思います。

―日本と繋がりを持つ中で、日本文化がボビーさん自身に影響を与えたと感じる部分もあるのでしょうか。

私は日本人であることを誇りに思うとは言いたくないと思っています。日本人であるということは別に自分がやり遂げたことでも何でもなく、単にそう生まれただけのことです。

でも日本文化の中でとても好きなのは、勤勉さです。技術を習得することに重点を置いていることも好きです。1つのものを作ったり極めたりするために一生を捧げる追求心は美しいですし、その心が私の中にもあるかもしれないとは感じています。

―では、ご自身のアイデンティティについてはどう考えていますか?

80%カナダ人で20%日本人でしょうか。ほとんどカナダ育ちのカナダ人だけど、日本人の部分もあって、でも50%と50%では絶対にないと思っています。見た目は日本人ですが、中身はもっとカナダ人だと感じます。

失敗してももう一度目指した医学の道

―現在は心臓外科医としてご活躍されていますよね。心臓外科医を目指したきっかけは?

はっきりとしたきっかけではありませんが、私が20歳くらいのときに父が心臓発作を起こして手術をしたことがありました。

カナダに来てフランス料理を勉強した父は、毎日のように朝9時から夜10時まで働いていましたし、シフトの2、3時間前には行って仕込みをしたり、仕事が終わっても数時間は掃除したりとレストランに誰よりも長くいたようです。

そんな父を尊敬していたし実際私のロールモデルでもありますが、カナダでそんなことをする人はいませんよね(笑)

―確かに、勤勉な日本人らしい働き方ですね。

だからかあっという間に昇進したり自分の店を構えたりとうまくいっていましたが、ある日家に帰ってきて「心臓が痛いから病院に連れて行ってくれ」と言うんです。「寝ていれば大丈夫だよ」と私は言ったんですが、どうしても連れて行ってくれと言うので病院に行ったら心臓発作を起こしていたことがわかりました。そのままバイパス手術を受けることになって、今では元気に過ごしています。ですがその時の罪悪感からか、心臓外科医になろうと決めたのかもしれません。

―では大学から医学の道に進んだのですか?

ブリティッシュコロンビア大学(UBC)では化学を専攻していました。PhDでは心血管病理学を専攻し、その後イギリスのカーディフでポストドクターとして1年間医療微生物学を研究して、そこからトロント大学のメディカルスクールに行きました。その間に3ヶ月ほど大阪にある国立循環器病研究センターで研究もしましたね。合計で20年くらい勉強していたかもしれません(笑)

―20年とは長いですね。

実は大学卒業後に医学部を受験しましたが、合格できませんでした。

そこから1年間ホテルの駐車場係として働いたのですが、1ヶ月で覚えられる仕事を何十年も続けることは無理だと思って、また医学部受験をしてみることにしました。

しかし2度目の挑戦も失敗に終わって、ひとまずPhDに行って研究しながら医者になる道を目指してみることにしたんです。

トロント大学のメディカルスクールでの4年間を経て、専門として心臓外科を選びました。

誰かを助ける今の仕事が好き

オペ中のボビーさん

―現在の仕事について教えてください。

トロントにあるセント・マイケルズ病院で心臓外科医と部門長として勤務し、成人の心臓手術を担当しています。それとは別に、トロント大学のプログラムディレクターも務めています。研修医のトレーニングを担当していて、若い外科医を育てるのが私の仕事です。

―1年間にどれくらいの手術を担当されるんですか?

200~250件くらいです。バイパス手術が中心で、感染した心臓を治すことが私の専門です。

ドラッグを使用して静脈に注射をすると、体内にたくさん細菌が入って心臓に感染することがあります。

トロントにはそういった若い患者がたくさんいるので、患者を担当することがやりがいにも繋がっています。

―自由時間もあまりないような忙しい職業だと思いますが、医者でい続けられるそのモチベーションはどこにあるのでしょうか。

仕事に行って誰かを助けることができるので、気分は良いし自分のしていることが好きでたまらないという感じです。挑戦することが好きだし、すごくやりがいのある仕事です。

こう考えるのは日本の血が流れているからかもしれないとも思います。誰にも負けられないというか、競争しながら楽しんでいるところがあるのかもしれません。

誰でも外科医になれる時代

ボビーさんと教え子のアリア・イズミさん

―ボビーさんの夢や目標は何ですか?

とりあえず、医者という好きな仕事をして充実した日々をすでに過ごすことができていると思っています。

夢というわけではありませんが、私が心臓外科に関して変えていきたいことの1つが、この分野にもっと女性を入れることです。

カナダの医師の90%は男性だという事実があります。特に心臓外科医を目指す女性たちを指導するプログラムや奨学金を作ることで、女性でも心臓外科医になれるということを広める手伝いがしたいです。

今教えている学生の中に、日系カナダ人の女性もいます。彼女のような優秀な女性が心臓外科医を選択できるような道を作りたいです。

性別も人種も関係なく、誰もが心臓外科医になることができるのが今の世界です。心臓外科医は男がするものだという古臭いイメージはもうありません。誰でも可能だということを伝えたいです。

―日本人の中にはカナダに来ようと考えている人、医療分野に興味のある人などさまざまな人がいると思います。そういった人にぜひメッセージをお願いします。

一番に伝えたいのは、物事を大きく考えるべきだということです。何かしたいことがあるなら、きっとできます。私自身、そこまで頭が良いわけでも大して特別な才能があるわけでもありません。でも唯一、一生懸命働くことができるし諦めるということをしません。だから、何かしたいと思う気持ちがあれば絶対にやり遂げられると信じています。

もし失敗したとしても、自分で自分を奮い立たせて前へ進むことが大切です。そうすればきっとうまくいきます。

【プロフィール】
ボビー・ヤナガワ
1976年バンクーバー生まれ。幼い頃から日本語学校に通い、高校時には父親の故郷にある仙台育英高校に1年間留学。UBCでは化学専攻、PhDで心血管病理学、イギリスではポストドクターとして医療微生物学を研究。2004年からトロント大学のメディカルスクールで学び、心臓外科医の道へ進む。2005年には大阪の国立循環器病研究センターで3ヶ月研究した。現在はトロントのセント・マイケルズ病院の部門長を務めるかたわら、トロント大学で医学生のトレーニングを担当し若手育成に力を入れる。医療や心臓外科に関して質問のある方はbobby.yanagawa@unityhealth.toまで。