アルゼンチンから南極へ ―(1)ブエノス・アイレス|紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第77回

未知の国アルゼンチン

三度大統領に選ばれたJDペロン氏の像

先延ばしになっていた南極(Antarctic Region)の旅が1月に実現。アルゼンチンの南端、ウシュアイア(Ushuaia)港から船に乗る。カナダ政府の旅行サイトによるとアルゼンチンは犯罪が多いので要注意とのこと。乗り換え地点のブエノス・アイレスで一泊するのだが夏の旅行シーズンで犯罪も多いのでは、と不安を抱えながら夏物、冬物(33度~零下15度)を詰め込んで出発。

ブエノス・アイレス郊外

ここはスペイン語圏。思った以上に英語を話せる人が少ない。片言のイタリア語と昔習ったフランス語をごちゃ混ぜにしたらなんとかなりそうだ。まずは空港でSIMカードを買う。出発が楽なように国際空港(Ezeiza)近くのホテルをとったのはいいが、都心からかなり離れている。高級感のある家が並んでいるわりにはゴミのようなポンコツ車の置き去りが目立ち、豪邸はどれも塀があり窓は鉄格子か雨樋でカバーされている。犯罪を暗示しているのか。公園に出た。カレッジもある。頻繁にやってくる色々なバスを見ていたら中心街に足を伸ばしたくなった。ポリスで尋ねると女性警官が「バスは危ないから翌朝タクシーで行ったほうがいい」と。それにバスカードを買っておかないと乗れない。諦めて小さな店でミートパイとコーヒーを買った。が、うかつにもこぼしてしまった。慌てていると新しいカップをくれた。お金は受け取らない。「どこからきたんですか?」と聞かれ「カナダです」と答えると、店主は「オー、カナダ。アイ・ラブ・ユー」ときた。とっさに私も「アイ・ラブ・ユー, too」。店で働く人に悪い人はいなさそうだ。それに1000ペソ($1000と表記。ペソと読む)は今の日本円で約1000円だからわかりやすい。

ブエノス・アイレスダウンタウン一人歩き

博物館を併設するカサ・ロサーダ。大統領の執務館で住居は別
街中でラプラタ川に浮かぶサルミエント号博物館
世界的に有名なテアトロ・コロンのきらめく劇場内
忘れられたビルから木が生殖、枝葉を伸ばしている

翌朝、世界的に有名なオペラ座、テアトロ・コロン(Teatro Colon)へタクシーで直行。休演中だが5000ペソで50分の英語ツアーに参加した。イタリアの建築家に始まってベルギーの建築家に終わった20年がかりのヨーロッパ建築は絢爛豪華で上流階級の社交場のよう。切符の値段によって客の出入口が違うという。少し離れた道路では物売りが果物、Tシャツ、靴下などで商売をしている。大通りから中にはいると角地のビルの窓から木が伸びていた。家主不明のほったらかしか?通りかかったお惣菜屋で、量り売りの魚と野菜料理を700ペソで買う。プラザ・デ・マヨ(Plaza de Mayo)広場のベンチはランチするのに好適な場所だ。プラザから見えるピンクのカサ・ロサーダ(Casa Rosada)は16世紀に要塞だった(当時オーストリア占領)場所で今は大統領の執務館になっている。住居ではない。歴代の大統領や歴史がわかる博物館も併設しているが残念ながら休館中で入れず。ピンク色は連邦派(赤)と統一派(白)を混ぜ合わせた色なんだとか。ちなみに有名な『EVITA』(Eva Peron大統領夫人をマドンナが演じた)もこのビルで撮影された。大砲を入口に構えた国防省ビルの前を通り、三度大統領を務めたペロン氏(Juan Peron)の像に一礼をしてラプラタ川(Rio de la Plata)方面に出る。1938年まで世界中を38回航海したサルミエント号(Fragata Sarmiento)が100ペソで入れる博物館になっている。日本に寄港した記録を見るとなぜか胸が熱くなる。締めはマクドのソフトアイスで。

『花』に要注意

花壇ではない、芸術作品の花

地図に「花」と書いてあるのは花壇に違いなかったーー巨大なアルミの花を見るまでは。えっ、これだけ?花びらに周りのビルが映る。私の足はもう一歩も前に出ない。ホテルに電話してタクシーを回してくれるように頼んだが、住所がないと回せないという。そんなものどこにも書いてない。仕方なくGoogle Mapで自分の居場所をスマホでだし、それをスクリーン・キャプチャーしてLINEでホテルに送る。ここの夏は東京とは違い湿気がなく「そよ風付き」なので炎天下の待ちぼうけも気にならない。チェックアウトしたのは翌朝の2時。4時発ウシュアイア行きのアルゼンチン航空ゲートは真夏の行楽客で驚くほど人の山。