「競馬場で死んでも良いという気持ち」日本人初のカナダダービージョッキー福元大輔騎手(後編)|Hiroの部屋

ヒロさん(左)と福元さん(右)
ヒロさん(左)と福元さん(右)

本人騎手として初めて「カナダダービージョッキー」に輝いた福元大輔騎手。いきなり2冠を達成し、トップジョッキーとなったが現実について行けず少し休んで旅に出たという。最終回となる今回はモチベーションなどについて語ってもらった。

ヒロ: 技術の高め方やモチベーションの維持はどうされているんですか?

福元:尊敬している武豊さんの騎乗や海外のレースをよく見ることを心がけています。競馬は乗り方だけが大事というわけでなく、レース展開も含めて頭も使わなければいけないので、よく見て研究することが大事だと思っています。

 美容師の世界でヒロさんのように長い経験を積んでいる場合はどうなのでしょう?

ヒロ: もちろん技術も大事ですが、カナダの美容師は、感性やテイストの幅広さも重要だと思います。ここは多民族国家なので、お客様の髪質や好みも人種によって大きく違うし、さらに流行も変わるので、不変で明確な答えはないと思います。

 私は、よく料理の世界に例えて話すのですが、暑い夏には冷たいもの、寒い冬には温かいものを好むように、髪の毛の長さや量も季節ごとにご希望が変わることもあります。当然、技術も向上し続けるべきですが、そのようにご来店毎に変わるニーズやテイスト、多種多様なお客様への「対応力」で自分を向上し続けるのだと思います。

 なので、今でも私自身は日々、サロンにご来店して下さるお客様のお陰で成長とモチベーションのキープができるのだと思います。

競馬場で死んでも良いという気持ち

福元: 僕は大きな怪我をしたことがないのですが、以前骨折をした時は引きこもりがちになりました。家族もいないですし、一人の時間は辛いものがありましたね。やりたくないとか怖いといった恐怖心を感じる時もあります。それでも怖いという気持ちも克服しなければいけませんし、調子が悪い時でも自分はできると自信を持っていかなければなりません。ヒロさんはロックダウンの最中はサロンを開けられない日も続いたと思いますが、どう乗り越えてきたんですか?

ヒロ: 私は、10年前のサロン不動産詐欺被害が本当に色々と辛すぎたので、その頃を思えば今回のロックダウンは全然、平気でした。100年に一度と言われる歴史的なパンデミック。被害に遭われた方、大切な人を亡くした方、医療従事者など前線でお勤めの方の大変さに比べたら、私は幸運だと思えました。自分は休業中で時間があるからこそ、心身ともに健康第一を意識しながら、見識を広げることを試みて、ロックダウン明けに備えていました。結果的にロックダウン前に比べ、今の自分の方が成長してると思えます。

新しい場所に行くのっていいですよね。ワクワク感ができて。
チャリティーイベントにて日系コミュニティとも交流
チャリティーイベントにて日系コミュニティとも交流

福元: 1回目の挑戦でダービーを獲ったのはなんか宝くじに当たってしまったような感覚だったんです。ポンポンと次も勝って二冠、自分が現実に追いつけなかった感じで、当時はちょっと疲れたんです。だから休んで旅行に行こうと。今までは競馬場があるところを選んでいたのですが、今回は初めて競馬場がない場所を選びました。それだけ精神状態も良くなかったのかもしれません。

ヒロ: また乗りたいという気持ちになったのは?

福元: 中東のバーレーンに行った時に週に2、3回しか乗れない競馬というのがまた楽しいなと思えたんです。バーレーンは島なのでストレスも少なく、リハビリみたいな感じで少しずつ乗りたいという気持ちになれたんです。ヨーロッパのジョッキーなどとも交流できたのも良かったです。同じ場所で乗るのがいつの日か仕事仕事っぽくなっていたことに気づきました。そしてそれは自分の中でまた頑張ろうという気持ちになれたときでした。

ヒロ: 世界で活躍するサッカーの名選手だった中田英寿氏が当時29歳で突然の引退を発表した際、「子供の頃から大好きだったサッカーを、最近は素直に大好きなサッカーだと楽しめなくなっていた」的な言葉を残していたと思うんですが、その感覚と似た感じだったのですかね。それでもジョッキーとして戻ってきたのは、やっぱり天職であり、運命なんでしょうね。

福元: そうですね。 競馬学校って厳しい環境なんです。僕は行かなくてそれでジョッキーになっているから甘いと思われるかもしれないけど、自分は競馬が好きだったから、練習もするし、自分で考え続けていられるんです。 どれだけ好きかってとても大事なことだと思います。

環境に勝る教育はない

福元: 小さい頃から競馬雑誌などでアメリカのサクセスストローリーばかりを見ていました。海外の方がチャンスが大きいんじゃないか、海外に行けばなんとかなるんじゃないと思っていました。中学時代、高校の進路相談で第1志望はJRA、第2志望は地方競馬、第3志望はアメリカに行くって書いたんです。当時、高校3年生だった大谷翔平選手がメジャー挑戦表明した時でもあります。

ヒロ: 私が常日頃から言う「環境に勝る教育はない」という言葉の、まさに良い例ですね。競馬学校にも行かず、高校にも行ってない、当時17歳の少年が一人で直接、実力主義の海外へ挑戦。全く前例のないその環境の中で、こうして立派にゼロから1を作り上げたわけですから。

(聞き手・文章構成TORJA編集部)
対談はサロンを貸切にし、撮影のため一時的にマスクを外して実施しています。

福元大輔さん Daisuke Fukumoto

 カナダを拠点に活躍する騎手。福岡県出身。小学2年生の頃から騎手になりたいと志す。中学生の時にJRA競馬学校を受験するが、二年連続で不合格となり、 海外で挑戦したいという小学生の頃からの夢を叶えるため、2015年17歳のとき観光ビザで来加。その後ワーキングホリデービザを取得し、ウッドバイン競馬場の調教師のもとで調教や騎乗の手伝いを2年間続け、2017年7月20日にカナダの騎手免許を取得した。

 2020年6月6日、クイーンズプレートステークスで マイティーハートに騎乗し、優勝。日本人騎手として初めてカナダダービージョッキーとなった。同年9月29日にはカナダ三冠の第2戦となるプリンスオブウェールズステークスでも、マイティーハートに騎乗して勝利し2冠を達成した。そして2021年9月18日には、ウッドバインマイルでタウンクルーズに騎乗し、国際G1競走初勝利を挙げた。