日本語と英語を駆使して世代を繋ぐ 相続法専門の弁護士 スミス希美氏 インタビュー | 特集 カナダ・Professionals

日本語と英語を駆使して世代を繋ぐ 相続法専門の弁護士 スミス希美氏 インタビュー | 特集 カナダ・Professionals

スミス希美氏はPallett Valo LLPで遺産相続法を専門とされる日本語を話す弁護士だ。日本と比べ、カナダでは弁護士にお世話になる機会が多く、相続問題については誰もが直面する問題の1つである。その道のプロであり、家族間の紛争予防を仕事とするスミス氏に弁護士になるまでのことやプロフェッショナルとしての心構えを語っていただいた。

ーいつから弁護士になることを意識し始めましたか?

中学生くらいだったと思います。母から、結婚して子供を産んでも働くために資格職がいいとよく言われ、父も公務員として弁護士と関わることが多かったため、資格職なら弁護士だろう、と言われていました。また、父はよく、九州から出て世界を目指せ、と言っていたので英語の勉強も積極的にしていました。

モントリオールの国連機関での同期インターンの仲間達と一緒に

ー弁護士以外に興味のあった仕事はありますか?

弁護士以外ですと、英語を使って専門性の高い仕事ができる国際機関の職員を考えた時期もありました。そういった分野にも携われるのが法学部かな、という思いもあって大学進学は決めました。実際、大学で周囲が司法試験の勉強をしている中で英語の勉強ばかりしていました。当時は司法試験の勉強よりも海外に出たいという気持ちの方が強かったです。

ー短期留学や留学のご経験は?

大学2年生で一か月イギリスに短期留学をしました。その一環で国際機関で働く方とお話する機会がありました。そこで、英語と法律の両方を仕事にできる分野もあることを初めて知り、帰国後は国際法や英米法の勉強に専念し、大学卒業後は、そのまま大学院に進みました。その中で、英語を勉強しつつ専門分野の研究のため、1年間トロント大学のロースクールに大学院留学をしました。

そしてその留学が終わってからはモントリオールの国際機関で3か月間法律関係のインターンを経験しました。その際、やりたかった仕事とちょっとイメージがずれていたことで、自分がやりたいことはこの仕事じゃないのかもしれない、と思いました。

インターンが終わってからは一度日本に帰り、環境系の政策提言を行うNGOで1年程働きました。法律を作ることの働きかけをするために国会議員の方々と関わる機会が多く、面白かったです。ですが、カナダで結婚して定住することを決めていたので、戻ったら弁護士の資格を現地で取ろうと考えました。

弁護士になることでより結果が見え、人を助ける仕事がしたいという想いでした

ー国連職員からすんなりと弁護士に目標は切り替えられましたか?

そうですね。日本に戻る前に、同じ大学院のプログラムに参加している留学生でそのままカナダに残り、弁護士になる方もいました。その方々からたくさんお話を聞いて、既にカナダで弁護士になることは視野に入れていました。

カナダに戻ってきた後はトロント大学のロースクールの学部課程に入り直し、3年間勉強しました。オンタリオでは、大陸法系の国で法学教育を受けた人は、一定の学部科目を履修しないと司法試験の受験資格が与えられません。私の場合、当初2年で修了する予定が、勉強量とその難易度、そして当時の英語力の限界を感じ、最初の1年間をパートタイムにし、2年に分けることで3年間在学しました。これは英語に不安があるため卒業できないかもしれないと学部に相談をしたところ、ご提案頂いたことでした。大学院留学時代は、リサーチとレポートや論文の執筆で卒業できましたが、学部のロースクールは、書面に加え口頭での議論力も求められ、カナダ人と競うため苦労しました。そのため、このような柔軟性のある対応にはとても助けられました。

レジュメは各事務所に直接配り歩き130社に提出しました

ーロースクール時代に辛かったことはありましたか?

毎日辛かったです。ロースクールに入学するということは、この学位が仕事に直結するというプレッシャーがありました。当時は友達にノートを借りたり、テスト前に一緒に勉強したり、寝ないで勉強したりすることがとても多かったです。終わらない難解なリーディングの量と、周りと比べて自分だけがわかっていない感覚、そして英語で議論を組み立てる難しさから自分に負けそうになることは最初の2年間は本当にありました。

ですが、もうお金も時間もかけているのでやめられませんでした。また、ロースクールに入る前に実際に就職活動もしましたが、法学部の経歴があると、「何故弁護士じゃないのか」と訊かれ就職活動がしにくかったです。主人は、ロースクールを卒業すれば弁護士になれるのだから3年間修業と思って頑張れと励ましてくれました。

トロント大学ロースクール卒業式レセプションにて仲良しの同級生たちと

オンタリオでは、ロースクール卒業後、アーティクリングという司法修習期間があるのですが、それは2年生の夏休みに就職活動が始まります。私の場合トロント市役所での修習が決まったため、3年生進学前に見通しが立ち安心しました。アーティクリング用の採用過程は実に特殊で、トロントの場合は、基本的に採用面接が8月の3日間に限定されており、その間に面接をいくつも受けます。私は、トロントでは全部で履歴書を130の法律事務所や政府機関に提出しました。締切日当日の朝まで応募書類の作成をしていたので、レジュメはベイストリートに持って行って、各事務所に直接配り歩きました。

オンタリオ州弁護士会の弁護士資格授与式。日本からご両親も出席される

ーその3日間で何社と面接をしましたか?

5から10の間の採用先と面接しました。決まるまで就職活動は終わらないので、なるようにしかならないと思って乗り切りました。
と言いますのも、その1年前にサマージョブ用の就職活動が、アーティクリングと似た採用形態になっており、そこでサマージョブが決まれば必然的に同じ法律事務所で修習できることになります。私は、法律事務所の仕事には運がなかったので、その時は大学で教授のリサーチアシスタントをしました。

ーロースクールを卒業してからのことを教えてください。

10か月間トロント市役所の法務部で修習を行い、市民の生活と行政に携わる幅広い法律業務を一通り経験しました。トロント市政の裏方のような立場で弁護士業務を経験でき、多くのことを学び、大変充実した10ヶ月でした。ですが、当時6人いた修習生の中で2人だけがそのまま弁護士として市に採用され、私は採用されませんでした。やるだけのことはやったとはいえ、とても悔しかったです。

修習が終わってからは就活をしていましたが、若いうちに子供を産もうとも思っていたので仕事が先か、子供が先かという状態で子供が先になりました。就活をしている間も法律の仕事ができるよう、前の上司が、リサーチロイヤーという自宅からでもできる仕事を紹介してくれました。

子供が1歳になる前にまた就活を開始し、トロント市役所での経験との接点を探しながら、様々な法分野の仕事に応募しました。その時、ハミルトンの小さな法律事務所が相続法の若手弁護士を探しており、相続には元々興味があったので応募してみました。また、ロースクール時代にアジア系の弁護士会から「日本語のできる相続法弁護士を探している」というメールがよく回ってきていたので、日本語需要の可能性を感じ、実際に応募して内定をいただきました。

ーそのハミルトンの事務所に入所してからを教えてください。

2012年に入所し、そこでは信託文書や遺言書を作成することに携わりました。また、オンタリオ州内での遺産相続の裁判所の手続きや相続訴訟、そして不動産の売買などを扱っていました。働き始めてから2年目の終わりくらいで日本語の話せる弁護士を必要としている方からの需要が増えてきました。特に日本人よりも、ご両親が日本語しか話せないという日系カナダ人の遺言作成や、日本の相続問題をカナダ側から対応するための相談が多かったです。その後は日本語のエステートプランニングセミナーの日本語講師を日系文化会館で担当したことから新移住者のクライアントも増え始めました。

ー仕事と育児の両立のリズムはすぐ作れましたか?

最初は大変でした。子供が1歳になったばかりで保育園に預けましたが、預けて1週間目ですぐに病気をもらい、その後の1週間はずっと休みでした。子供が病気をすると仕事に行けませんが、家からでも仕事ができる柔軟性がとてもありがたかったです。

出社時間と退社時間が決まっている仕事ではないので、進め方を自分でコントロールできるという意味ではやりやすかったです。できるだけ予測不可能なことが起こることを予測可能にしてスケジュールを調整していくということを子供が小さい頃はしていました。

ー2016年に現在の事務所に移籍されていますがそのきっかけは?

日系社会の需要が増え、ハミルトンでは地理的な限界を感じていため、いつかはGTAで弁護士活動をしたいと思っていました。現事務所は、ずっと応募していたのですが、2016年になって私の経験年数と募集している経験年数が合致し、すぐに働くことが決まりました。

昔の事務所は小さかったので、若手であっても何でも任せられ、自分で一通りのことができるようになった部分ではすごくスムーズに仕事を進められました。私の所属する今のチームは、専門性が高く、うちでやれない案件は他でもやれない、と自負しています。今の事務所は、日本も含め、国際性のある相続案件や、複雑な相続案件を積極的に取り扱っています。総合事務所であることから、や私の専門外の分野の同僚弁護士たちからのサポートがあるため、できる仕事の範囲が広がりました。

相続法律を専門とされるスミス希美氏

ー日系人からスミスさんがありがたがられる点は何でしょう?

やはり言葉でしょうね。私のサービスは言葉と文化と法律がセットになっています。

ご両親が高齢で、子供が日本語を話せないと込み入った話がなかなかできません。その世代の橋渡しを私が担うことで介護や財産などの込み入った話をするお手伝いができます。特に、片言の日本語と英語が入り混じるご家庭だと伝えたいことの7割8割しか伝わらないもどかしさが生まれてしまいます。

遺言のようなとても個人的なお話は腹を割って話す必要があり、その手段として言葉はとても大切です。私の役割はただ通訳をするということではなく、法律の英語をしっかり理解した上で日本語だけでなく英語でご説明することです。英語でも日本語でも、高校生がわかる言葉を使って法律を説明することが私の目標です。

直接的に救ってあげられなくても、何かしらの力にはなりたいです

ー今後の展望を教えてください。

弁護士としては専門性を高めたいです。私の仕事は紛争予防が目標。作って揉めない遺言書、揉めたとしても少しでも揉めることを減らす、そのための専門知識と技術を高め、経験値を上げ、幅を広げていきたいです。

また、弁護士と依頼人としてのサービスでなくても、法律を知っているだけでも力になれる啓もう活動を通して社会に還元できればと思います。

Don’t Give UpとLower Your Expectationという気持ちを忘れずに

ー好きな言葉や座右の銘はありますか?

Don’t Give UpとLower Your Expectationという言葉が好きです。この2つはカナダに来てよく言われたことです。これは就活や勉強に当てはまることだと思うのですが、努力したからと言って必ずそれがすぐに報われるわけではありません。目標を達成するのには人それぞれ掛かる時間が違ってきます。諦めずに期待値を低くしてじりじりやっていけばいつか目標に達する、カナダに来てから特にこう思うようになりましたね。

できないことはできないと伝え、できることには手を抜かないできっちりやる

ースミスさんにとってプロフェッショナルとは?

きちんと仕事をすることだと思います。弁護士は届けるサービスが高度な分、リスクも伴います。間違ったアドバイスは命取りになります。そのため、責任感を持ち、きちんと一つ一つの仕事に向き合う。できないことはできないと伝え、できることには手を抜かないできっちりやる、これがプロフェッショナルではないでしょうか。

スミス希美さんの年表

10代

16歳:英語のディベートで九州大会に進むが留学帰り、帰国子女が集まっていて全く歯が立たなかった。内容では負けないと思っていたが伝える手段の部分で負けて悔しかった
18歳:中央大学法学部に入学

20代

20代前半:周囲が司法試験の勉強に励む中、英語の勉強に没頭。漠然と国際機関で働くことを目標にしていた
24歳:トロント大学大学院に1年間留学後、モントリオールの国際機関でインターンシップ
20代後半:トロント大学ロースクール(学部課程)に再入学し、弁護士を目指す

30代

30代前半:1人目の子供が生まれる。守るものが増え心の支えになった
30代後半:Pallett Valo LLPへ移籍。仕事の幅や可能性が広がり、満足度が上がる。