「私とパンデミックとカナダ移住」久保 祐子さん|私のターニングポイント第13回

現在は、大阪豚まんのお店「MUSU Osaka Buns」で夫がオーナー兼皿洗い、私が調理とメニューの考案を担当しています。過去、日本では、証券会社で勤務していました。

日本の会社を退職、マイホームも売却。いざカナダ移住という時に世界がコロナに

 未曾有のパンデミック直前まで私たち家族は日本に住んでいました。長男をカナダの小学校に通わせるためにカナダへ移住を決断。この頃は希望に満ち溢れながら、永住権の申請を進め、退職届けを出し、移住の機会に合わせてマイホームも売却、さぁ、そろそろ引っ越しの準備を始めようか、と思っていた矢先に日本もカナダも世界中で新型コロナウイルスが感染拡大しました。

 この時はまだ、数ヶ月で収まるだろと簡単に考えていた私たちですが、どんどん状況は悪くなるばかり。とうとう、予定していた時期にカナダへの航空券も取れず、退職の日が訪れ、息子は保育園を退園し、マイホームの引き渡しまで終わってしまい、収入も住む場所もなくなってしまいました。

 永住権は申請書類を全て提出した直後にコロナの影響でプロセスがストップ。急遽、私の実家で身を寄せていましたが、一瞬コロナの感染状況がスローダウンしたところで、今しかないと、永住権が降りていないにもかかわらずカナダへの航空券を無理矢理購入しました。当日ありえない飛行ルートのチケットしかなく、チェックインでは3人の方が搭乗拒否をされていて、人生で経験したことがない位、不安で押し潰されそうなフライトでした。

 幸運にも無事トロントへ到着。トロントの夫の実家でお世話になる事になりました。その日は7月16日。コロナなんて嘘なんじゃないかと思う位、快晴のトロントの夏が私たちを迎えてくれました。

移住時のフライト
移住時のフライト

毎日毎日何もやることがなく、身動きが取れず、一日の終わりには虚無感と焦燥感を感じ、知らず知らずの間に心を病んで行きました

 カナダの夏はなんて最高なんだ!そう思っていたのもつかの間、永住権は音沙汰がなく、旅行滞在期間の6ヶ月が過ぎ、延長を申請(結局、この一年後にやっと永住権がおり、申請から2年かかりました)。OHIPもSINもない、車の保険もなく、買い物へ行くにも誰かに運転してもらわないといけない、まるで羽根をもぎ取られたような気持ちでした。日本では仕事をし、子育てをし、走り回っていた私にとって、パンデミックの中でどう過ごしていいのか分からず、もがき続けていました。

 そして、突然私を襲った過呼吸。頻繁に発作をおこし、キッチンで倒れ、とうとう息子のお迎えに行くこともできなくなり、一日中ソファに横たわっている。それなのに、夜になると覚醒し眠れない。OHIPがないので病院にも行けなかったのですが、みかねた夫に無理矢理病院へ連れて行かれました。
パニック発作と鬱でした。明るい性格が取り柄で人生送ってきた自分の身にまさか!というショックをうけました。

 この後、しばらく休養します。そして、体調が回復に向かい出したころ、とにかく何か趣味を持とうと、日本でもしていたパン作りを始めました。もう「今日何もしてない」様な気持ちを持たないために。

発作に苦しんでいた頃
発作に苦しんでいた頃

 少し経った頃、家族全員が日本食を恋しがり始めました。きっかけは買ってきた中華まん。食べ慣れている味と違う。全然違う。トロントには美味しいラーメンもうどんも寿司も居酒屋もある。でも、中華まんだけは全く違う食べ物で、誰の口にも合いませんでした。

母としての血が騒ぎ、「よし!自分で作ってみようか!」と思ったのが全ての始まり

 ひとまず、いろいろなレシピを引っ張ってきて作ってみました。その中で配合を変え、材料を変え、毎日作りつづけました。この中華まんを完成されられたら、達成感が得られると思ったのです。

 ところが一筋縄ではいきません。まず、材料が揃わない。豚バラを探して精肉店を回っても豚バラがないのです。カナダでは豚バラはベーコンになってしまい、近くで生のブロックを販売しているところはありませんでした。玉ねぎもなかなか納得いくものに出会えず、小麦粉もいろいろなブランドと種類を試しました。作って作って作り続けて、消費が追いつかず地下の冷凍庫は中華まんでパンパンに。義両親が自分たち用に新しい冷凍庫を追加購入してくれたほどです。

blogTOで紹介される!

 あまりにも試食を続けて、もはや味が分からなくなってきた頃、休憩がてらに中華まん用のインスタを開設。他の同じ趣味の方々と交流してみたかったのです。そんな中、偶然にblogTOが私のインスタを見つけて、私の中華まんとバックグラウンドを記事にしたいと連絡をくれて記事が掲載されました。

 掲載当日にはアクセス、コメント、DMが殺到し、驚いたことに日本の方はもちろん、来日経験のあるカナダの方々が「大阪の豚まんが恋しい、応援している」と、励ましのDMをくれました。もしかすると、誰かに喜んでもらえるかもしれない、パンデミックで長期間日本に帰国できていない方々を元気づけられるかもしれない、そして、「パンデミックでドン底だった私の人生の期間を、無駄じゃなかったと思えるかもしれない」そう感じ、中華まん、いえ、豚まんの試作を再開しました。

食品販売規制の壁、パンデミックによる供給網の問題

試作に試作を重ねてできた「豚まん」
試作に試作を重ねてできた「豚まん」

 豚まんの味が定まってきた頃、ゆくゆく永住権が下りたらネットで少し販売してみようかなとトロントの食品販売の規制について調べ出しました。すると肉を含む食品は規制が厳しく、商業用調理場が必要だという事がわかりました。

 店舗を借りるほど資金力はありません。何か方法はないか、探しつづけ見つけたのが「ゴーストキッチン」です。キッチンだけをレンタルし商品はネットで販売するという選択肢です。しかし、ここからキッチン用品を揃えていくのですが、さらに壁にぶち当たります。パンデミックで、物資がなかなか届かないのです。テイクアウトに使う容器ですら、在庫切ればかりでストックがある範囲で調達しました。記事掲載からは半年が過ぎていました。

思い返せば、パンデミックと移住が重ならなければ今の道は絶対に選んでなかったと思います。パンデミック前はカナダでもどこかの証券会社で働こうと思っていたのですから

 そして、お店オープンの当日。開店と同時に信じられない量の注文が入ってきたのです。手が回らなくなり、途中でサイドメニューを止め、豚まんだけの販売に切り替えたほどです。その日の閉店後、放心状態でした。オープンの日まで半年もかかったのにもかかわらず、たくさんの方が待ち続けてくれたのだなと、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

■ いまの自分に点数をつけるとしたら?

0点 もう今以上に底はないと思いたいので。

■ もし人生をやり直せるとしたら、いつ?

 やり直したいと思った事はありません。もちろんも満足していないところもあり、後悔していることもありますが、やり直したいとまでは思いません。

■ 人生で大切なことは?

 逆境の中でも必ず何かを見つけることができると信じる事です。今まで逆境の中で見つけたものは、後々忘れた頃に人生の中で役立ってきているからです。

■ 学生時代のエピソード

 学生時代は常にキャラクター的存在でした。中学校3年生の進路指導では担任の先生から真剣に吉本養成学校を勧められ、母が激怒した経験があります。大学時代から社会人にかけては、海外旅行に明け暮れていました。

■ 将来の夢・ライフプラン

 MUSU Osaka Bunsの店舗を増やしていきたいです。私が日本で仕事と子育てをしていた頃、毎日毎日がヘトヘトで、夕食はデパ地下のコロッケやお惣菜、そして豚まんによく助けられていました。そこに具沢山のお味噌汁をパパっと用意して足すというのがパターンでした。

 カナダにいると手軽にというとどうしてもハンバーガー、チキン、ピザ、ホットドッグの登場率が上がってしまいます。そんな中、ファストフード以外で手軽に調達しやすい食べ物屋さんとして展開していきたいなと思っています。現在、栄養を補えるレパートリーを増やすためにメニューを再考案中です。

-座右の銘: “Everything happens for a reason.” “Opportunity is NO/WHERE, Opportunity is NOW/HERE.”
-好きな本: 恥ずかしながら、読書はしません。活字がとても苦手です。
-尊敬する人: ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)、同時通訳者・横山カズ氏、綺麗な表現と言葉使いができる人
-感謝している人と一言メッセージ: 子供たち。子煩悩ではない私を、愛してくれてありがとう。抱きしめてくれてありがとう。
-カナダの好きなところ: 「自分は自分、人は人」なところ。いろんな食を楽しめるところ。見知らぬ人同士でもすれ違い様に挨拶をするところ。