【特別インタビュー】「65歳、映画はじめます」の衝撃と感動 『海が走るエンドロール』の漫画家 たらちねジョンさん|トロントを訪れた著名人|特集「インタビューで綴る、文化の交差点 マンガ・アート・茶の世界」

【特別インタビュー】「65歳、映画はじめます」の衝撃と感動 『海が走るエンドロール』の漫画家 たらちねジョンさん|トロントを訪れた著名人|特集「インタビューで綴る、文化の交差点 マンガ・アート・茶の世界」

漫画大国日本で2021年、ある作品がネット上で大きな話題をさらった。
65歳の女性がとある男子大学生との出会いから美大に入り直し、映画監督になるため走り出す姿を描いた『海が走るエンドロール』(秋田書店)だ。
第1話をX(旧ツイッター)で公開したところ、28万いいねを獲得。宝島社「このマンガがすごい!2022」オンナ編では1位に輝き、多くの読者の心を奪っている。

今回取材のためトロントを訪れた作者のたらちねジョンさんに、ストーリー誕生の裏側から多様性の話までさまざまな角度から語ってもらった。

©たらちねジョン(秋田書店)2021

【あらすじ】
65歳を過ぎて夫に先立たれた茅野うみ子は、数十年ぶりに訪れた映画館で映画専攻の美大生・濱内海(カイ)に出会う。カイの一言で自分は「映画が撮りたい側」だと気付いたうみ子は、65歳で美大に入学。映画監督になるという夢に向け、もがきながらも映画の海へ船を漕ぎ出す。

まるで街のお祭りTIFFの雰囲気に圧倒される

漫画家 たらちねジョンさん

ートロント国際映画祭(TIFF)を訪れたそうですね。

漫画の取材の一環で見に来ました。私は大学時代に映画専攻だったんですが、当時周りに「ぴあフィルムフェスティバル(PFF)」という日本の映画祭で新人賞を受賞して、作品がバンクーバーで上映されることになった友人がいました。それから時間が経ちましたが、今回『海を走るエンドロール』を描くことになりその友人のことをふと思い出したんです。映画が題材ですので、今後、作中にも映画祭を出す可能性もありますよね。私は自分の経験を元に漫画を描くことが多く、そこで一度海外の映画祭にいってみようと思ったんです。TIFFは大きい映画祭ですし、もともとトロントに興味があったので取材にうってつけでした。

ー実際にTIFFに足を運ばれて、どんなことを感じましたか?

お祭りなんだなと思いましたね。会場近くにいた日本の学生さんたちが、「先生に勧められたから来た」と話していました。美大生ではない学生にも先生が勧めるほどTIFFは街全体の大きな祭りであり、トロントの人にとってTIFFがどれだけ大きい存在なのかを感じ取れた気がします。もちろん、会場の雰囲気や客層をつかむこともできました。

ー日本の映画祭とは違う雰囲気ですか?

違いますね。TIFFはかしこまったイメージがありましたが、お祭りみたいに雰囲気が楽しそうでした。例えば日本のPFFはお祭りのノリはなくて、コンペティションの空気感が強いです。でもTIFFの上映会はとても盛り上がっていて、お客さんが手拍子したり応援したり大声で笑ったり。映画ってやっぱりエンターテインメントなんだなと改めて思いましたね。

トロントの空気を感じて漫画に描く

ートロントに興味があったというのはどうしてですか?

ニューヨークに近くて都会的なイメージがあったのはもちろん、カナダの文化的中心地はトロントなのかなと思っていました。そんな街の空気を感じてみたいと思っていたんです。漫画家として、海外の風景を描く時には現地を見てその土地の空気感を知ってから描きたいと思うものです。

ーこれまでカナダやトロントに来たことは?

小学6年生の時に、母と2人でオーロラを見にフォートマクマレーに行ったことがあります。降り注ぐようなオーロラがきれいでした。トロントは初めてです。

ー初めてのトロント。印象はいかがでしょうか。

なぜか実家のような安心感があります(笑)。治安の心配もなく、いろんな人種の方が多くて本当に様々な文化が入り乱れているというのがわかるので、居心地が良いですね。外国に来たというよりは、英語を喋っているいろんな人種の人が住んでいる日本のどこかというような安心感があります。

“普通”から解き放たれたストーリー

ー65歳で美大に入り直して夢を追う主人公が素敵ですが、そもそもなぜそのようなストーリーに?

打ち合わせの中で担当編集者さんから提案していただいたことがきっかけです。でも最初その話をいただいたとき、そんなのできないよ、読者に叩かれるよと思いました。気持ちもわからないくせに描いているんじゃないかと世間に怒られるような気がしていたんです。

ーでも蓋を開けてみればネットで大きな話題になりましたよね。

青天の霹靂でした。今まで自分は売れない漫画家なんだろうと思っていたので、今回多くの方に読んでいただけて初めて自信が持てたくらい嬉しいことでした。

ー主人公を「65歳」という年齢にした理由を教えてください。

私の母が当時65歳だったんです。その世代の人がどんな映画館に行っていたのか、その世代の人が10~20代の時の映画のあり方、社会でどこまでエンターテインメントとして浸透していたかなどを聞きやすかったので65歳に設定しました。

ー主人公のように65歳で大学に入学するというのは日本ではなかなかないことだと思います。一方カナダでは珍しいことでもないように思いますが、先生は多様性について考えることはありますか?

日常的に考えることは多いですね。自分が体感したことでは、20代の頃は何か生きづらい感覚があってあの時は苦しかったんだと30代になった途端に気付きました。若い女性はきれいじゃないといけないという空気があるように思うんです。例えば若い女性向けの脱毛やダイエット系の広告って多いじゃないですか。でも30歳を過ぎて、自分がそのターゲット層から外れたなと明確に感じた時があって。あれは10~20代向けの商売だったんだと思った時、社会から求められることが少なくなったんだと気づき、楽になりました。

女性が性の象徴になってしまっていたことに、私自身が嫌悪感を感じることが多かったんだと今では思います。漫画の中で「カイくん」はアセクシュアル・アロマンティック(恋愛感情や性的感情を抱かない人)かもしれないという描き方をしていますが、女性主人公と若い男の子がいると普通は恋愛ものになると思われがちですよね。特に日本では性別が逆になって65歳の男性と若い女の子という設定になると、女の子と恋仲になり、その影響で男性側が社会的にのし上がるとか、恋愛ものとして描かれることが多いと思います。でも私の作品ではそういう考えからは解き放たれていて、2人が恋愛をしてもいいし、しなくてもいいわけです。

ー「カイくん」の性自認について気になっていました。

漫画の中で本人ははっきり明言していません。本人がそうだと言い切るのはいいけれど、他のキャラに「あの人はゲイだから」とか言わせたくないと思って気をつけて描いています。生きている中で性自認が変わることもあるじゃないですか。そのあたりが説教くさくならないよう、作品の中で細かく配慮していることが伝わればいいなと思います。

映画の漫画であり王道の少女漫画

©たらちねジョン(秋田書店)2021
©たらちねジョン(秋田書店)2021

ー多様性やLGBTQの問題について、作品で伝えたいことがあったのですか?

もちろん読み手側の自由ですが、あくまでテーマは「映画制作」「ものづくり」です。でもそこに携わる人たちの中で誰1人として楽に生きている人はいないこと、それぞれの苦しみを持っていることはちゃんと描きたいと思っています。自分としては、超王道の少女漫画だとも思っています(笑)。キャラクター2人の出会いでいろんな運命が回り始めてお互いの人生を狂い合わせているところに、「これこれ!」という王道らしさがあると思うんです。

ー良いですね。少女漫画と聞くとイケメンと可愛い子が恋愛するイメージがありますが、歯車が狂い出す点で王道なわけですね。

そうですね。人との出会いで、しかも特定の1人というのが運命チックでロマンチックだと思います。

ーそんな魅力的なキャラクターたちをどう作り出したのですか?

私が描いているのは「だったらいいな」の集大成です。「65歳」のモデルになった母は「うみ子さん」とは違ってちょっと排他的だし、早く結婚しなさいと言うようなタイプです。でも「うみ子さん」は漫画の中でそういう一面を見せてはいません。読者に「こんな人いるわけがない」と思わせないラインのリアリティを入れつつ、こういう65歳がいたらいいなという「だったらいいな」の思いから生まれています。だから読者の方々は「こうだったらいいな」を共感してくださっているんじゃないかと思います。

ー最後に、TORJAの読者へ向けてメッセージをお願いします。

とにかく楽しく漫画を読んでほしいと思っています。何かを感じ取ってほしいというようなことは本当にないんですよ。私にとっての漫画がそうだったように、ただ娯楽になればいいなと思いますし、みなさんにとって眠れない夜に読む存在のようなものになれば嬉しいです。

【プロフィール】 たらちねジョン
漫画家・イラストレーター。これまで『グッドナイト、アイラブユー』(KADOKAWA、全4巻)、『アザミの城の魔女』(竹書房、全4巻)などの作品を描く。2020年より「月刊ミステリーボニータ」(秋田書店)で『海が走るエンドロール』連載中。美大の映画科出身である自身の体験などを盛り込んだ同作は、宝島社「このマンガがすごい!2022」オンナ編1位、「マンガ大賞2022」9位を獲得した。兵庫県出身。