ジャーマン・ミルズを歩く(German Mills Settlers Park)|紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第68回

初夏のGerman Millsは野生のお花畑
初夏のGerman Millsは野生のお花畑

もっと歩こう

 ゾッとするようなトロント国際空港の模様をニュースで見ると、空の旅をするのを躊躇ってしまう。それに、一時的にガソリン代が安くなったとはいえ、私の車のように20年選手では遠出は無理。かといってせっかくの夏を家で過ごすと必ず後で後悔する。カナダの夏は短いのだ。遠くへ行かなくても、日常の合間に気楽に歩けるところがいくつかあると楽しい。私のお気に入りの場所はトロントの北にある通称、ジャーマン・ミルズだ。

ジャーマン・ミルズ・セトラーズ・パークってなに?

German Millsでただ1つ残された学校の建物
German Millsでただ1つ残された学校の建物

 その名の通り、ここはドイツ移民が初めてマーカム(Markham)に来た場所。歴史を辿ると、1792年にドイツからニューヨーク州に移住するはずの64家族は土地の紛争から追い出されてしまう。彼らのリーダー、バークジー氏(William M Berczy)はアパー・カナダの総督と交渉した末6万4千エーカーの土地を受けて家族は安全に落ち着いた、というのがジャーマン・ミルズの始まりだ。後世にBerczy氏はマーカム市の創始者と呼ばれることになる。当時の産業は川の水力を利用した製粉、製材、毛織りなどでジャーマン・ミルズはアルマイラ(Almira)、バトンビル(Buttonville)、ユニオンビル(Unionville)(2021年2月号参照)などの集落と並んで水車小屋産業で栄えた。ただ1つ残るジャーマン・ミルズ・ロード(German Mills Rd)の可愛い旧学校校舎はイベント会場としてマーカム市が貸し出している。

自然保護地区としてのジャーマン・ミルズ

枯れ草が波打つGerman Millsの冬
枯れ草が波打つGerman Millsの冬
German Mills川の秋模様
German Mills川の秋模様

 パークに足を入れてすぐに気がつくのは普通の公園のように手が加わっていないこと。雑草も茂りたい放題、森の中では古い木も大風や積雪でそのまま倒れていたりする。危険なものは取り除かれてはいるが、自然のそのままの姿が観察できる貴重な場所だ。見晴らしの良い草原を歩いている限りではわからないが、木の根が多い川の北側の木のトンネルを歩くと思わぬ自然の素顔に出会える。森の「恐竜」もそこで発見した。保護地区のため釣り、狩猟や川遊びはできないが運が良ければアヒルの家族やカワウソにお目にかかることができる。萌える秋の紅葉は特に素晴らしく、枯れ草の雲海ならぬ草海も面白い。春夏秋冬いつでも無料で歩く楽しみを提供してくれる。

森の「恐竜」に出会う
森の「恐竜」に出会う

パークの入り方

 レスリー・ストリート(Leslie St)はスティールズ・アベニュー(Steeles Ave)を超えると行き止まる。そこに入口が2つある。駐車場はないが道に車を止められる。1つ目の入口は舗装された川の南側を歩くコースで自転車も可。最終出口はジョン・ストリート(John St)。2つ目の入口は急な坂に始まって視界の広がる野原へと続き、季節ごとの見晴らしを満喫させてくれる。まっすぐに進めば同じくJohn Stに出る。この2本をループでつなげると約2㎞、ゆっくり歩いて40分で巡れる。私のように写真に夢中になる人は森へ入ったり、雑草に覆われていなければ見える細道を通って川沿いを歩くので1時間はみる。

John Stから見下ろすGerman Millsの眺め
John Stから見下ろすGerman Millsの眺め

 7月始めに友人と行った時はJohn Stの土手の下が野草の花盛りだった。グラナダ・コート(Granada Crt)とサイモンストン・ブルバード(Simonston Blvd)の三叉路の向かいの坂から入るとスキースロープのような広大な広がりに出る。下りきったところで川の南側コースに合流する。German Mills Rdから入るなら旧学校の70mほど北に入口のサインがある。なお旧学校はループからは見えない。パークは24時間開いているが照明はないので夜は懐中電灯が必要。動物にでくわすかもしれないのであまりお勧めはできない。トイレなし。

ジャーマン・ミルズの終焉

 川の水力で産業が栄えていった部落も長続きはしなかった。10年もたたないうちに水量不足や、農工作に厳しい気候のため温暖なナイアガラ地方へ移動した者もいた。しかしジャーマン・ミルズの農民や職人たちが後世のマーカムの発展に大きく貢献してきたことは事実だ。現在、マーカムのドイツ移民の歴史や自然保護に関わる団体(Markham Berczy Settlers Association)がパークを管理している。1994年の200年祭には当時の64家族のうち22家族の子孫が集まったという。