【エストニア出身の大相撲元大関 把瑠都(ばると)さん】ジャパン ファウンデーション・トロントでトークショーを開催|トロントを訪れた著名人

【エストニア出身の大相撲元大関 把瑠都(ばると)さん】ジャパン ファウンデーション・トロントでトークショーを開催|トロントを訪れた著名人

2004年にエストニアから来日し、2010年には大関にまで上り詰めた把瑠都 凱斗(ばると かいと)さん。エストニアでは先日まで国会議員としても活動していた。4月30日、トロントのジャパンファウンデーションにてトークショーが行われ、100人以上の来場者が集まった。当日は、NHKに5年ほど勤められたこともあるCBCのJohn Northcottさんが務め、流暢な日本語で笑いも交えながら大相撲や日本文化について語った。トークショー後は一人ひとりと写真撮影を行うなど終始賑やかなイベントとなった。今回はトークショーの中から一部をレポートする。

山本ジャパンファウンデーション・トロント所長
佐々山総領事
John Northcottさん

全てが新鮮だった来日当初、楽しさと不安の日々

ー把瑠都さんのスポーツの道はどのように始まり、どのようにして相撲の道へ進むことになったのでしょうか。

私は子供の頃はいじめられっこでした。その経験があって、夢は体も心も大きい人になること、とにかく強くなりたかったんです。最初はバスケットボールから始めました。その後、高校一年生で柔道と相撲を始めました。きっかけは兄が柔道をしていたからでした。最終的に相撲を選んだのは相撲のほうがおもしろかったから!柔道は技が多くて難しいと感じました。相撲は力と力のぶつかり合い。相撲ならいけるんじゃないか、と思ったんです。

ー日本に移ることになったのはなぜでしょうか。

きっかけはスカウトでした。エストニアで小さな相撲大会があって、そこに日本から3人の力士と先生が来ていたんです。試合の後、先生に「お前強いからさ、日本に来れば?」と言われました。でもその時先生はお酒を飲んでいたので、僕はそれを信じていなかったんですよ(笑)。その2ヶ月後、彼は本当に日本行きの航空券を取ってくれました。それでやっと「これは嘘ではないんだ」と。もう行くしかないと決意をしました。

ー日本に到着した当時はどのように感じていましたか?

当時はまだ日本の漫画やお寿司などは今のように知られていなくて、日本についてのイメージは映画に出てくる「侍」とフィンランド産のチョコレートの名前になっていた「芸者」くらいでした。みんな刀を持っていて、みんな空手、柔道、相撲をやっている格闘家なんだと思っていたので、成田空港に到着した時に誰も刀を持っていなくてちょっとがっかりしたのを覚えています(笑)。

それくらい何も知らなくて、言葉も食べ物も人も文化も、見るもの全てが新鮮でおもしろくて生まれたばかりのような気持ちでした。それと同時にたくさん勉強しないといけないなと思いました。

とにかく勝つことしか考えていない

ー把瑠都さんは取組の際、強くもありながら、人間味も持ち合わせているように感じます。また、打ち倒すという強い思いを相手に目で伝えているような場面もありました。実際相手を目の前にした時、どのようなことを考えているのでしょうか?

基本的にはとにかく勝つことしか考えていないです。優勝がかかった試合で一度〝待った〟がかかったことがありましたが、その時もやはり勝つこと意外は考えなかったです。

ー相撲は土俵に手をつくか土俵の外に出たら負けというシンプルなルールと言われていますよね。ただ、時として審判の主観的な判断がなされることがあるように思います。相撲のルールについて把瑠都さんの考えをお聞かせください。

難しいところですね。例えば、大相撲には相手が45度後ろに倒れた時点でもう何もできないので、怪我をさせないためにも足を先に土俵の外に出してもよいというルールがあります。ただ誰がどこを見ているか分からないので、一概に良いとも言えない、微妙なルールなんです。私も20年間の相撲人生で「それは違うよ」と思ったことが何度もあります。

大相撲はまだ良い方で、もっと大きな問題はアマチュア相撲です。アマチュア相撲では特にその日の審判によって全く判断が異なります。一つのルールに決めたほうがいいと感じます。

独特な相撲文化の中で学んだ「ひとりじゃない」ということ

ー日本の文化とその中にある相撲の文化に違いはありますか?

やはり言葉ですかね。相撲界には独特な言葉がたくさんあります。例えば「ちゃんこ」。日本人の間でも「ちゃんこ」と聞くと鍋をイメージする方が多いですが、実はお相撲さんが食べるものや飲むものはすべて「ちゃんこ」と言うんです。ポテトチップスやコーラもお相撲さんが口にすれば全て「ちゃんこ」です。皆さんが思い浮かべるあのスープは「ちゃんこ鍋」と言わないといけません。

あとは「ごっつぁんです」や「お疲れさんでございます」も相撲界独特の言葉ですね。相撲方言のような感じです。北海道に行った際、日本語を話してもうまく伝わらなかったことがありました。自分は日本語が下手なんだと思いましたが、数年後に「相撲部屋の日本語だったんだ!」と気がつきました。

ーたくさんの経験をしてきたと思いますが、その後の人生に活きている相撲を通して得た教訓はありますか?

一人だけどひとりじゃない。お世話になっている人間を大切にしないといけない。ということですね。相撲部屋ってチームなんです。毎日同じメンバーで練習して、一緒に掃除をして、同じ鍋からご飯を食べています。しかし土俵の上に立つと一人。この違いは今でも大事にしています。一人で戦っているようで、ひとりではないんです。私の場合、日本があったから、そして相撲協会があったから今日ここにいられるんです。若い人ほどこれを簡単に忘れてしまいますよね。自分が大切にしていることなので、今でも会社の人間に教えたりもしています。

ー相撲のトレーニングや食事制限は厳しいものでしたよね。引退されてからの食事や運動はどう変わりましたか?

実は現役時代からもともとあまり野菜を食べないんです。私は牛肉を食べる、その牛は餌で草を食べている、つまり自分が食べなくても牛からもらえるというわけです!(笑)

お相撲さんは筋肉が多いのですが、引退すると筋肉は落ちていき、脂肪が残ります。この脂肪を減らすためにやはり体を動かします。

ー現在の日本との繋がりはどのようなものでしょうか?

ここ数年はパンデミックがあって日本にも行けませんでした。ただ今年に入ってからはすでに3回は行っているし、すでに今後も何度か行く予定があります。現在、ベースはエストニアですが、日本をはじめ世界中を回っています。これからどうしていくかのイメージはあるので、それに向けて様々な方に会ったり新しいアイデアを見つけたりしています。やはり何事も一人ではできませんので、再びチームを探しているわけです。