カナダワーホリ経験者プロダンサー川本アレクサンダーさんインタビュー

カナダワーホリ経験者プロダンサー川本アレクサンダーさんインタビュー

加藤ミリヤ、渡辺直美、きゃりーぱみゅぱみゅなど有名アーティストのバックダンサーを務めた川本アレクサンダーさん

 川本アレクサンダー氏はトロントでのワーキングホリデーを経験したプロダンサーだ。現在まで、加藤ミリヤ、渡辺直美、きゃりーぱみゅぱみゅなど数々の有名アーティストのバックダンサーを務めた彼がトロントで得た新しい価値観、そしてコンプレックスを強みに変えられたこれまでのストーリを語っていただいた。

ダンスをしたら差別を受けることがなくなるのではないか

―ダンスを始めたきっかけはなんですか?

 母親とダンスのテレビを見ていて「母さん俺ダンスやりたい、プロダンサーになりたい、俺なれるかな」と言ったら母が「え、なれるよ」と言ってくれてその日から母親がダンススタジオを探してくれて、近所にダンススクールがあったのでそこに通い初めました。アメリカ人の父をもつ自分にとってダンスはブラックカルチャーというイメージがあって、ダンスをしたら報われるんじゃないか、そこでは仲間はずれにされないんじゃないかと漠然と思っていました。

 最初はかっこいいHIPHOPがやりたかったのですが、先生に「あなたはHIPHOPの才能ないね」と言われ、でも絶対負けないぞと思って、そこからHIPHOPをやりつつJAZZ、バレエ、コンテンポラリーなど様々なジャンルに取り組みました。そして、16歳の時に「スーパーチャンプル」というダンス番組のオーディションに受かり、約1年間テレビに出演させてもらいました。

―18歳に上京されたとのことですが、そこからどのような活動をしてきましたか?

 まず、自分の家が本当に貧乏だったので高校を卒業して約4ヶ月間働いて20万円貯めてから上京しました。六本木のショーパブに住み込みで働き始めました。そこはダンスだけでなく接客もありお酒も出さないといけない、音も大きく話も聞こえない、そしてトークスキルも人生経験もないゼロの自分に何ができるかといったらこの見た目で勝負するしかなかったんですね。ブラックのハーフの子がステージに立つのは、お客さんや従業員さんから見ても面白かったらしいですね。

転機は20歳。加藤ミリヤさんのオーディションに合格

―オーディションのストーリーを教えてください。

 前日に首を寝違えてしまいマネージャーさんに日程の変更を頼んでみたのですができず、痛みをこらえながらも本人やダンスリーダーの前で踊ったら、その場で「OK、合格」と言われました。そこからツアーにも呼んでもらえるようになり、色んなダンサーの方に知ってもらえ、仕事が入ってくるようになりました。

―若くして業界内で階段を駆け上がる頃で天狗になってしまうことはなかったのですか?

 周りが有名なダンサーでスキルも天狗になれる立場も余裕もありませんでした。むしろ尊敬していましたね。彼らは世界のワークショップに招かれるレベルでした。でも私がそれをしたいかというとそうではなく、違うステージでチャレンジしたいと考えていました。

―挫折しそうになったことはありますか?

 1度だけあります。寮にいた時なのですが、同年代の関西出身の子がいて、その当時自分がやりたかったこと、理想と現実が違いすぎて相談したら「泣きたい時は泣けばいいよ」と言われその瞬間涙が溢れましたね。その時は辛かったです。今、思い返すとその当時の自分に何も無かったと感じますね。

―これまでのダンス人生で一番嬉しかったことを教えてください。

 母が日本人、父がアメリカ人なのですが、未婚で僕が2歳の時に別れてしまったそうです。兄が3人いるんですがそれぞれ父が違う人で、僕だけブラックのアメリカ人の父なんです。去年に知ったことですが、長男の兄は母が黒人の人と子供を作って産んで別れたので、喧嘩して婿養子に行ってしまいました。その兄とは数回しか会ったことがなかったのですが、2018年の広島で加藤ミリヤさんのライブを見に来てくれて、「お前がんばったんだな、お前は川本家の太陽だな」といってくれました。その時に初めて家族全員が集まり、ダンスをしていて良かったと心から思えました。

アーティストとしても求められる時代

―25歳で挑戦した台湾での専属ダンサー生活も大きなチャレンジだったそうですね。

 台湾のアーティストJolin Tsaiさんの専属で台湾に行くことが決まりました。家も送迎も用意されていて、そこで人生の大きな転機がありました。今まで当たり前のようにできていたリハーサルが、できませんでした。周りは台湾語でしたし、他に呼ばれていたダンサーは英語が話せるので私は孤立していました。振り付けはできましたが、その中での会話や次の日の集合時間、場所も分からず、問題が起きた際は英語が話せないので何も解決ができない。その際に、今まで日本でやっていたことがどれだけ幸せなことだったかと気づきました。無駄なストレスも感じること無く、普通に会話ができ、皆と楽しくライブをしてきたことに改めて心から幸せを感じました。

 半年後に帰国した際、仕事場で言動や行動を見てくれていた先輩方が、「変わったな」と言ってくれたんです。そこからは〝自分とダンス〟というよりかは〝自分と人〟と意識が変わって仕事がさらに円滑に回るようになりました。

―ワーホリを決めたきっかけはなんですか?

 今は昔よりもダンスのスキルだけでなく、容姿も重視される時代になっています。ダンサーだけどインフルエンサーとしてもアーティストとしても求められることが重要だと考え始めました。今はモデル、ダンサー、タレントができたり喋れたり人と違うことが出来る、何か3つ以上無いと駄目な世の中というのを聞いて、色々していかなきゃいけないなと思ったのです。

 8年間踊ってきてこのままずっとバックダンサーとして後ろで踊っていかなきゃいけないんだって。歌もできないから歌手にもなれない、だからといって俳優にはなりたくない、でもエンターテイメントの世界で生きたい。後ろで踊ることが仕事にできて最初は嬉しかったんですが、ふと第三者の目で見た時にもうちょっと楽しいことしたいな、刺激的なことしたいな、と考え海外に行こうと決めたんです。

―トロントに来てからはどうでしたか?

 最初の半年間は寒いしすごく病んで、2~3ヶ月目に気付き始めたんですよ。なんで病んでるんだろうと。死ぬ気でやろうと思ってたダンスを投げ出してきて、ダンスもやっていないということが自分を駄目にさせてるんだろうと思って、レッスンに通い始めました。

 4月や5月くらいから外にもでるようになり元気にもなってきて、モデル事務所を紹介してもらい、オーディションを受けました。始めは全然駄目で、でも引っかかるようになって、日本にいたらできないような仕事もできて、ここに来た意味がありましたね。

ハーフだけど英語は話せない。コンプレックスを強みへ

―ご自身の外見にコンプレックスがずっとあったと伺いました。

 振り返ると自分の外見にもともとコンプレックスがありました。黒人のハーフだし、日本で嫌なことも言われるし名前もカタカナだし「日本人に生まれたかったな、もし英語が話せたらこういうコンプレックスもなかったのかな?思われなかったのかな?」とずっと思っていましたね。

 トロントに来てハッと周りを見たらさまざまな人種の方がいて「俺って普通の人間なんだ」と思い、世界の中に自分を置いたら、一人の人間なんだ、普通なんだと気づくことができました。そこから自分が強くなれた気がします。

 今までは目立ちたがり屋なのに自分の容姿にコンプレックスを持っていたので、僕なんて見ないでくださいということもありましたが、日本でこの容姿は逆に強みなんだと、何も怖いものなんて無いと思えるようになりました。 すっかり自信もついたので、日本に帰って暴れたいなと思っています。本当にトロントは来るべき場所でしたね。

―ワーホリの方や予定している方へのメッセージをお願いします。

 頑張りすぎずに頑張って欲しいです。日本人とつるまないようにしようと思う方が多いと思いますが、私は日本人の友だちといい出会いをしたので、しちゃいけないとか思わないようにして欲しいですね。自分で行動しないと何も始まらないので、何かのコミュニティに参加してみるのもいいと思います。

川本 アレクサンダー

(ダンサーネーム アレックス)
 山口県岩国市出身・アメリカと日本のハーフ。1991年2月13日生まれのA型。18歳まで岩国市で育ちそこからプロダンサーになるために上京し、27歳まで東京で活動。2018月11月からワーホリでトロントへ。

[経歴]
・ファッション雑誌: men’s nonno、WOOFIN、BLENDA
・モデル: アシックス2018、KANGOL 2018
・出演: Superfly MV・Def Tech MV、Oral cigarette「狂乱 Hey Kids!!」MV、ももいろクローバーZ MV、EXILE SHOKICHI MV、きゃりーぱみゅぱみゅMV、マクドナルドCM、キリンメッツCM、東京ガールズコレクション渡辺直美 ブランド PUNYUZU section
・ダンサー: 加藤ミリヤ、台湾アーティスト Jolin Tsai、渡辺直美 ワールドツアーLA・NY・台湾公演・NHK紅白歌合戦、Jin Akanishi Audio Fashion Tour、きゃりーぱみゅぱみゅ 、E-girl’s 2018。