【亡き人への手紙がつないだ20年】トロント日本映画祭で海外初上映『人はなぜラブレターを書くのか』石井裕也監督 インタビュー|#トロントを訪れた著名人

【亡き人への手紙がつないだ20年】トロント日本映画祭で海外初上映『人はなぜラブレターを書くのか』石井裕也監督 インタビュー|#トロントを訪れた著名人

監督・脚本・編集を石井裕也監督自らが手掛けた『人はなぜラブレターを書くのか』は、2000年に発生した地下鉄日比谷線脱線事故の実話をもとに生まれた作品だ。突然大切な人を失った悲しみと、20年の時を経て届けられた一通の手紙。その出来事を出発点に、人と人とのつながりや家族の姿、そして「もう会えない人」への思いを静かに描き出している。 本作にとって、今回のトロント日本映画祭は海外初上映の場となった。今後は台湾での上映も予定されている。

取材前日にはナイアガラの滝を訪れ、「最高でした」と笑顔を見せた石井監督。カナダを訪れるのは初めてではない。映画祭などを通じてバンクーバーには何度も足を運んできたが、トロントを訪れるのは今回が初めてだという。

今回のインタビューでは、作品の根底に流れる「コネクト」というテーマを手がかりに、家族という存在、手紙という文化、そして時間を超えて受け継がれていく思いについて話を聞いた。また、自身の歩みを振り返りながら、海外で挑戦を続ける人々へのメッセージも語ってもらった。

トロント日本映画祭が行われているカナダ日系文化会館(JCCC)は、戦後の日系カナダ人コミュニティーが築き上げてきた文化や記憶を受け継ぐ場所でもある。

石井監督にとって、日系カナダ人の歴史は決して縁遠いものではない。2014年には、戦前のバンクーバーで活躍した伝説の野球チームを描いた映画『バンクーバーの朝日』を手がけた。戦争によってコミュニティーが解体され、多くの日系人が故郷を追われた歴史を描いた作品だ。

その映画を撮った監督が、今こうしてJCCCの舞台に立つことをどう感じているのだろうか。

――『バンクーバーの朝日』では、戦争によって失われた日系カナダ人社会が描かれていました。その作品を撮られた監督が、今回JCCCで観客と向き合い、登壇されることに、特別な思いはありますか。

石井監督: 当時は、日系移民について相当調べました。ただ、その後、戦争が終わってもバンクーバー、特にパウエル街には戻れなかったという話はもちろん知っていましたし、各地に分散したということも聞いていました。

ただ、その人たちの多くがトロントへ移っていったというところまでは、正直理解していなかったんです。そこはやっぱり勉強不足だったなと思いました。それでも、あれだけ調べて作品を作ったということもありますし、やはりどこか縁のようなものは感じています。だから、こうしてここに来られたこと自体がうれしいですし、感慨深いものがあります。

本作は、亡くなった片思いの人へ20年越しに手紙を書いた女性の実話が、出発点となっている。その出来事を初めて知ったとき、石井監督は何を感じたのだろうか。また、報道に触れてから実際に映画として完成するまでには4年以上の歳月が流れているという。

――この実話を知ったとき、何か強く惹かれるものがあったのでしょうか。

石井監督: 最初にその話を知ったとき、どこか他人事とは思えなかったんです。なぜそう感じたのかは、自分でもうまく説明できないんですけど、亡くなった富田さんが僕とほぼ同い年だったことも大きかったと思います。しかも20年前の出来事で、時間が経つにつれて、お父さんの気持ちも少しずつ分かるようになってきました。さっきの家族の話ともつながるんですけどね。あとは川嶋さんです。彼が背負っているものにも、どこか親しみを覚えました。

――記事で、手紙を書いた方に間接的に連絡を取り、時間をかけて了承を得ていったという経緯を拝見しました。映画化を考えてから実際に撮影するまでには、かなり時間がかかったのでしょうか。

石井監督: 撮影までに4年以上かかっています。最初に報道を見たとき、ビビッときた感覚があったんです。でも、すぐに映画にしようと動いたわけではありませんでした。自分の中で温めていたというか、熟成させていた時間があったんだと思います。強く心を動かされた出来事だったんですけど、ずっと眠らせていたような感覚でしたね。こういうことって、なかなかないですね。

©2026 “One Last Love Letter” Film Partners

映画の後半で特に印象に残ったのは、主人公が畑を耕し、土に触れる場面だった。作品を観ながら、私は何度も「土」という存在について考えていた。日本には「土に還る」という言葉がある。土は命を育む場所である一方で、人が最後に還る場所でもある。そんな感覚からか、あの場面にはどこか死や記憶とのつながりを感じていた。しかし、その解釈に対する石井監督の答えは意外なものだった。

――私はあの土や畑の描写に、死生観や宗教観のようなものを感じていました。「土に還る」という言葉もありますし、死とのつながりを連想したのですが、あの場面には何か意識されたことがあったのでしょうか。

石井監督: 土葬とのつながりについては、今初めて聞いて、そういう考え方もあるのかと思いました。僕自身は、どちらかというと過去や死を思うときは、上を見上げる感覚なんです。空というか、もっと上の方を見る目線ですね。

だから、土はむしろその逆なんです。地に足がついているというか、生きることや生活のために土に触れている人のイメージがありました。どちらかというと、あそこに込めていたのは生命力ですね。

本作について語る中で、石井監督はたびたび「コネクト」という言葉を使っている。劇中で描かれる手紙は、亡くなった人へ宛てたものだ。届くはずのない相手に向かって言葉を綴る行為には、単なる恋愛感情や追悼を超えた意味があるようにも感じられた。

実話をベースにしながらも、その間にある感情や時間は監督自身の想像によって紡がれている。だからこそ、私はその手紙が特定の誰かだけでなく、まだ見ぬ未来や、失われてしまった何かへ向けられたものでもあるのではないかと感じた。

――劇中の手紙は、亡くなった人へ向けられたものですが、その創作の過程で、手紙というものを個人に宛てたもの以上の存在として捉えていた部分はありますか。例えば、未来や、この先に受け継がれていくものに向けられたものとして。

石井監督: 実際に書いていますからね。う〜ん、でも、そうでしょうね。要は亡くなった方に出す手紙で、理論上はあり得ないじゃないですか。届かない。それでも、その思いを継いでくれている人のもとに届けばいいな、ということでもあると思います。それはすなわち未来というか、この先のためのものでもあると思います。

©2026 “One Last Love Letter” Film Partners

もう一つ印象に残ったのが「家族」の描かれ方だった。物語には、亡くなった青年の家族が登場する。そしてもう一方には、主人公・ナズナを取り巻く家族の姿がある。

『ぼくたちの家族』をはじめ、石井監督の作品には繰り返し家族が登場する。監督にとって家族とはどのような存在なのだろうか。石井監督は、自身が親になったことによって、家族に対する見方も変わってきたと語る。

――監督の作品にはこれまでもさまざまな家族が描かれてきました。監督ご自身は、家族という存在をどのように捉えているのでしょうか。

石井監督: もちろん、捉え方は年齢とか状況によって変わりつつあるんですよね。僕にとって家族というものの原体験という意味では、やっぱり喪失したもの、欠損しているものなんです。本当に信じるに値するかどうかも分からないようなものとして、常に疑問を持ってやってきました。

でも実際に自分も大人になって、自分の家族ができるようになると、今度は逆にそれを信じたくなるというか。その家族の物語に、自分の人生を捧げたくなってくるんですよね。こういうことなのかなと思いながら生きています。そうすると、親が勝手に信じている「家族の物語」みたいなものがあるのかなと、最近は思います。

亡くなった人へ宛てた手紙というモチーフは、本作の中心にある。一方で、私たちを取り巻く環境は大きく変わった。インターネットやSNSが日常となり、AIも急速に普及している。

そんな時代だからこそ、誰かへの思いを手で書き、言葉として残すという行為が、かえって新鮮にも映る。

――この作品には手紙という、デジタル化が進んだ時代だからこそ、かえって特別に感じられるものが登場します。自分の思いを言葉にして残そうとする感覚には、どこか日本的なものもあるのでしょうか。

石井監督: やっぱり日本人っぽいですよね。とはいえ、ベートーベンも手紙を書いていましたから、アルファベットであっても、誰かに何かを書きたいという気持ち自体は万国共通なんだと思います。

ただ、日本人というのは、字を形として残していく文化を持っています。それは脈々と続いているものだと思いますし、ある意味では文化そのものを超えているような気もします。

でも、どんどん少なくなっていくものだからこそ、やっぱり愛着がある。そんなアンビバレントな気持ちはあると思います。

――主演の綾瀬はるかさんは本作のインタビューの中で、手紙をよく書くし、もらった手紙を大切に保管していると語っていました。監督ご自身は、手紙を書かれることはありますか。

石井監督: ほぼ二つですね。一つはキャスティングです。どうしても出演してほしい俳優さんがいるとき。もう一つは、「どうしてもこの小説を映画化させてください」というときです。

――どちらも仕事の手紙ではありますが、思いを託すという意味では共通していますね。

石井監督: そうじゃないと、何かを託してくれるということはないですからね。小説の映画化をお願いするときはだいたい書いています。僕のパソコンには「手紙」というフォルダがあるんですよ。

――海外では、笑うところや感動するところが日本と違うこともよくあります。この作品にはどのような反応があると予想されていますか。

石井監督: 今日の場合は日本の方もいらっしゃるでしょうから、正直まだ分からないんですけど。それでも、亡くなった人に会いたいと思う気持ちや、その人に手紙を書くという行為は、とてもアジア的というか、日本的な感覚なのかもしれないと思っています。それを海外の方がどこまで理解してくれるのか、そこには興味がありますね。

――この映画は監督のお子さんも観られたと伺いました。反応はいかがでしたか。

石井監督: すごく感動していました。感動というか、分かるんじゃないかという、きっと興味があるんじゃないですかね。僕なんかより、よっぽど子どもの方がセンシティブに感じるものがあると思います。

我々よりも生きている時間が少ないですからね。逆に、生きていない時間のことを思う力は、ものすごく強いんだと思います。それは自分もそうでしたから。

『人はなぜラブレターを書くのか』にも、時間を経てようやく届く思いや、人と人とのつながりが描かれている。海外で挑戦を続ける人の中には、自分のやっていることの意味や結果がすぐには見えず、不安や迷いを抱えながら前に進んでいる人も少なくない。そこで、インタビューの最後に、トロントで暮らす読者へ向けて言葉を求めた。

――監督ご自身の歩みを振り返って、遠回りしたことや迷いの時間には、どんな意味があったと感じていますか。また、そうした人たちへ伝えたいことはありますか。

石井監督: やはり、今までの苦労というのは、必ず何かの縁というか、巡り巡って返ってくるものだと思います。僕は今も悩んでいますけどね。でも、自分自身もそういう気持ちで乗り越えようとしています。

苦しみや困難というものは、年齢を重ねるとむしろ大きくなっていくと思います。だから、自分はもう乗り越えましたとか、安泰ですという立場からは何も言えません。でも、本気で困難に向き合った経験というのは、必ずその先のどこかで生きると思うんです。

きっと、その乗り越えている過程そのものが、人生の醍醐味なんじゃないかという気がしますね。

――その過程自体に価値がある、と。

石井監督: はい。それにこそ人生の価値があると思っています。そう思わないとやっていられないじゃないですか。辛すぎて(笑)。それでも、やっぱり楽しく明るく生きた方がいい。今、自分の子どもに伝えたいことも、それだけですね。

石井裕也(いしい・ゆうや)1983年、埼玉県生まれ。大阪芸術大学卒業、日本大学大学院芸術学研究科映像芸術専攻修士課程修了。

卒業制作『剥き出しにっぽん』がぴあフィルムフェスティバル(PFF)でグランプリを受賞し注目を集める。

商業映画デビュー作『川の底からこんにちは』(2010)はベルリン国際映画祭に正式招待され、モントリオール・ファンタジア映画祭最優秀作品賞を受賞。さらにブルーリボン賞監督賞を史上最年少で受賞した。

『舟を編む』(2013)は日本アカデミー賞最優秀作品賞・最優秀監督賞を含む6冠を獲得。『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017)はキネマ旬報ベスト・テン第1位に選ばれ、ベルリン国際映画祭にも出品された。

近年は『アジアの天使』『月』『愛にイナズマ』『本心』などを手がけ、日本映画界を代表する映画監督として活躍している。