【追悼特集:カナダを代表する日系カナダ人建築家】民主主義な建築とは? 建築家 レイモンド・モリヤマが夢見たカナダ|2024年新年号特集

【追悼特集:カナダを代表する日系カナダ人建築家】民主主義な建築とは? 建築家 レイモンド・モリヤマが夢見たカナダ|2024年新年号特集

2023年9月に93歳で亡くなった日系カナダ人建築家のレイモンド・モリヤマ氏。トロントだけでなくカナダに住んでいれば、きっと一度は建築物を目にしたことがあるだろう。彼は長い年月、建築を通して民主主義を後押ししてきた。それは一体どのようなデザインなのか?どうして彼はそれを目指したのか?レイモンド・モリヤマ氏を知るために欠かせないキーポイントは幼少期から始まる。

地獄を生き延びた少年

Courtesy Canadian War Museum, 2021-0101-0152-Dm

1929年、ブリティッシュコロンビア州バンクーバーで生まれたモリヤマ氏。幼少期に大きな火傷を負い、8ヶ月もの入院生活を送った。そのあいだ彼を勇気づけたのが窓から見えていた建設現場だった。その様子を日々観察し建築家とアーバンデザイナーになる夢を抱いた彼だったが、12歳のころに太平洋戦争が開戦。米国と同じ連合国側だったカナダは当時2万2000人いた日系カナダ人の強制移動を命じた。日本人を祖先に持つ人は誰もが「敵性外国人」と見なされ、モリヤマ氏と妹2人、そして母親はバンクーバーのヘイスティングス・パークにある強制収容所に入れられた。平和主義者だった父親はほとんどの日系人男性の様に家族と引き裂かれ、オンタリオの戦争捕虜収容所で肉体労働を強いられた。モリヤマ氏は収容所で虫が沸く狭い馬屋のひと仕切りに薄いマットレスを敷いて寝ていたという。自分の母国に住む場所や財産、自由も奪われたことは精神的な「地獄」だったと彼はトロント大学におけるスピーチで語っている。

大自然で見つけた夢の始まり

強制収容所では子供の頃に負った火傷のあとを原因にいじめられていたこともあり、ただでさえ緊迫している生活の中、誰にも心を許せない年月を過ごした。そんな時代に彼はカナダの大自然に心と体を委ねた。スローカン川に抜け出しては風呂がわりに凍りつくように冷たい水で体を洗った。誰にも気付かれないように木材や釘、斧などを持ち出し、川のほとりで人生初めての「建築物」、ツリーハウスを作った。それは彼にとって「癒しの場所、そして学びの場所になった」と本人は2014年のMaclean’sのインタビューで答えている。当時彼は自身に問いかけていたという。「カナダは自然がとてつもなく綺麗な国なのに、どうして人はこんなにも残酷なのだろう?」と。戦争がもたらした不公平な現実に対するモリヤマ氏の思いはのちに彼の建築に大きく影響することとなる。

終戦、そして迎えた学生生活

Mr&Mrs Moriyama ©JCCC Original Photographic Collection

終戦後、再会を果たしたモリヤマ氏の家族はオンタリオ州ハミルトンに移り住んだ。当時高校生だった彼は陶器を作る工場で働きながら学校を卒業した。トロント大学に進学後、幼馴染のサチさんと再会。なんと8歳のころすでにサチさんと将来結婚すると心に決めていたそうだ。再会後、たった2回目のデートで結婚すると本人に断言したモリヤマ氏を彼女は信じなかったが、のちに60年以上も夫婦となったのは愛おしいエピソードだ。大学で彼はエリック・アーサー教授のもと建築学を学び、卒業後マギル大学で市民及び都市計画の建築修士号を得た。

ビジョンに沿ったキャリア

1958年にモリヤマ氏が建築事務所を立ち上げたとき、尊敬していたアーサー教授に「君は全く成功しない」と言われたそうだ。それには4つ理由があった。まだ年齢が若かったこと、不景気だったこと、資金がなかったこと、そして「ジャップ」だったこと。彼はやる気を奮い立たせるためにそう言ったのだろうと信じていたため怒らなかったという。

 最初はゴルフコース内の建物やコテージを手掛けていたモリヤマ氏。仕事の依頼は十分にあったが、自身のビジョンに沿わないプロジェクトには手をつけないと心に決めていたためたくさんの仕事をすることはなかった。そのビジョンとは民主主義、平等、そしてインクルージョン(包括)だった。彼は戦時中に自身が経験した差別が二度と起らないよう、カナダを誰もが住みやすい場所にすることを決心していた。

人生を変えた電話

1963年に出来たトロントの旧日系文化会館(Japanese Canadian Culture Centre)を完成させた翌年、大きなチャンスが到来した。まだ若い33歳のモリヤマ氏にオンタリオ科学センター(Ontario Science Centre)のデザインを手がけるためのオファーの電話が鳴った。他の建築家と間違えたのではないかと勘違いしたモリヤマ氏は一回電話を切ったが、かけ直した担当者は「この企画はあなたの人生を変えると思いますよ」と後押ししたそうだ。オンタリオ科学センターが1964年に完成した6年後テッド・テシマ氏が事務所パートナーとして合流。担当者の助言通り、あっと言う間にカナダで最も著名な建築事務所に成長した。モリヤマ氏は個人でGovernor General’s Award in Visual and Media Arts(2009)や Queen Elizabeth II Golden Jubilee Medal(2012)などたくさんの賞を受賞。1985年にOfficer of the Order of Canada(カナダ勲章)を授与し、2008年にCompanion of the Order of Canada(最高位の勲章)を受章している。

どうしてレイモンド・モリヤマはカナダにとって重要な建築家なの?
知っておきたい3つのポイント

123 Wyndord Drive Exterior ©JCCC Original Photographic Collection

Point 01.「カナダ生まれの著名建築家」は希少だった

モリヤマ氏が建築家になる少し前、北アメリカではフランク・ロイド・ライト氏やルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ氏などの「巨匠」たちが大活躍していた。1930年代ごろに広まったモダニズム建築を代表する彼らのスタイルは鉄筋コンクリート造や鉄骨造がメインで、装飾のないミニマリストで四角いデザインが多かった。モダニズム以降、打ちっ放しコンクリートを用いたブルータリズムやテクノロジーを使って曲線美を実現させたネオ・フューチャリズムなどが生まれ、モリヤマ氏のスタイルはこの二つの要素を持っていると言っても良いだろう。彼の「同期」にあたるのはフランク・ゲーリー氏やI.M. ペイ氏がいる。

 アメリカでは都市開発や経済が発展していたため「アメリカ建築史」がすでに長く存在していた。しかしカナダでは1960年ごろまで国外からの建築家が新しいビルのデザインを任されることが多かった。つまりカナダ生まれの建築家が最先端を行くことはなかった。モリヤマ氏は当時活躍していた数少ないカナダ人の著名建築家だったのだ。

Point 02. 彼にしか語れない民主主義

Reference-Library ©Toronto Public Library Digital Archives

 60年代のカナダでは州政府または連邦政府が巨額の資金を建築に投資していた。モリヤマ氏がちょうどそのタイミングでOntario Science CentreやScarborough Civic Centre、Toronto Reference Libraryなど壮大なプロジェクトを任されたのは運の巡り合わせもあったかも知れない。だが彼が選ばれた理由は民主主義を後押しするモットーだ。人がもっと社会に関わりたいと思えるような場所や自分を見つけ成長できる場所、誰もがウェルカムで居心地の良い空間を造ることが事務所創立以来のモットーだった。

建築における民主主義といえばフランク・ロイド・ライト氏もテクノロジーに負けない個人の自由やクリエイティビティを支持していたが、戦争で差別を経験したモリヤマ氏の考える民主主義とは別物だった。彼にしか語れない過去や未来に託する夢があり、当時のトロントやスカボローのニーズに合致していたことが彼を特別な存在にさせた。

Point 03. 常に人のことを考えた姿勢

仕事の依頼が来るたび、彼がまず積極的にしたことは「話を聞くこと」。それは依頼者の話だけではなく、作品の建設過程から完成後、全ての段階で影響を受けると思われる人の話もだ。そして得た情報から学ぶことと謙虚でいることを大事にしていた。「建築とは綺麗な建物を作ることだけでない。人類に貢献しなくてはならない。そうなるとインクルージョンは特に大切になる。もし自分が76歳のウクライナ人女性だったら?もし私が32歳のドイツ人だったら?赤ちゃんを連れた中東女性だったら?いろんな人の目で世界を見なければいけない」とモリヤマ氏は「Maclean’s」のインタビューでインクルージョン(包括)の意味を述べている。

見たい!触れたい!カナダにいるからこそ体験できる
モリヤマ氏の建築デザイン

オンタリオ化学センター
Ontario Science Centre

Ontario Science Centre ©Dennis Jarvis Dennis Jarvis – Ontario Science Centre https://commons.wikimedia.org/wiki/File:DSC00043_-_Ontario_Science_Centre_(36405896753).jpg

建築デザインというと外観が重視されがちだが、博物館など展示物(常設展と特別展)がある場所ではそれをどのように設置し、光具合や観覧のペースなど、訪れる人にどう感じてもらいたいかまで考える必要がある。普段は依頼側がトイレの数やコートチェックの場所を決めるそうだが、Ontario Science Centreの場合は、モリヤマ氏にすべて任された。オンタリオ州政府からの希望はただ一つ、「世界的に有名となる施設をデザインすること」だった。

膨大な課題を目の前にしつつも、当時の彼は若さで有り余った体力と経験が浅かったからこそある無知さでとにかくやり切った。しかしデザインにおける考えは決して浅いものではなかった。そのルーツは孔子の思想にあるという。「人は聞くだけでは忘れてしまう。目で見ればそこそこ覚えているかもしれない。だが触れて行動に移したとき、学びは人の一部になる」。この考えを参考にした構造と展示デザインはのちに世界の130以上もの科学博物館に影響を与えることになった。Ontario Science Centreが好きな方はオンタリオ州サドバリーにあるモリヤマ氏デザインのScience Northもぜひ訪れてみてほしい。

トロント公共図書館
Toronto Reference Library

Toronto Reference Library Atrium ©Nayuki Nayuki – Toronto Reference Library https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Toronto_Reference_Library_atrium_(36218188281).jpg

「民主主義、平等、包括」。モリヤマ氏の建築における3つの重要なポイントをどこよりも体感できる場所がToronto Reference Libraryなのではないだろうか。

©City of Toronto Archives

まず、図書館は公共施設で誰もが無料で使える場所。そして書籍や勉強スペースを使って誰もがアイデアを吸収したり、発想の自由を表現したりできる場所だ。このデザインにおけるモリヤマ氏のインスピレーションは、「どうしたらカナダをより良い場所にできるだろうか?」という問いだったという。学生や学者がよく利用するこの図書館は、今ではカナダだけでなく世界をより良い所にしようと励んでいる人たちの思いで溢れている。

North York Central Library Interior 2023 ©Canmenwalker Nayuki – Sikander Iqbal – Carmenwalker – North York Central Library https://commons.wikimedia.org/wiki/File:North_York_Central_Library_2023.jpg

内面はScarborough Civic Centreに似て白の滑らかな曲線が目立ち、近未来感にあふれている。このトロントにある図書館の空間が好きな人はTTC Line 1 North York Centre駅下車すぐのNorth York Central Libraryもおすすめしたい。

カナダ戦争博物館
Canadian War Museum

Courtesy Canadian War Museum, 2014-0003-0001-Dm

オタワのカナダ戦争博物館のデザインに関してモリヤマ氏が残した言葉がある。「自然は人類が起こした戦争で滅びてしまうが、必然的に生き残り、再び新しい命を育むことができる」。戦争博物館はこの言葉を施設のテーマにし、自然を労ることで将来カナダが戦争のない平和な国であることを祈っている。

Courtesy Canadian War Museum, 2011-0065-0080-Dm

博物館の周りには原っぱが広がり、夏には戦没者追悼のシンボルのポピーの花が咲く。ビルの上には小さな窓がモールス符号の並びで「Lest we forget (忘れないように)」と示している。館内には壁や床、天井に斜めの線が強調されている。それは戦争による不安定さやカオスを連想させるためにある。

Courtesy Canadian War Museum,2013-0051-0008-dp1
Courtesy Canadian War Museum, 2014-0025-0001-Dp2

内装にはかつてカナダ国会議事堂の図書館の屋根に使われていた酸化銅を再利用。戦争中に戦略を練っていた場所から資材を受け継ぐことでカナダの軍事史と繋がりを深めたポイント。ぜひ国会議事堂とセットで訪れたい場所だ。

スカーボロ・シビックセンター
Scarborough Civic Centre

©City of Toronto Archives

1950年代、「Thermos」や「Frigidaire」などが工場を構え産業が栄え始めたスカボロー。それまでやっと5万人ほどいた人口が10年以内に2倍になり、急激な成長を遂げた。しかし確かなるアイデンティティーを持たず人口だけ増えてしまった結果、コミュニティーをまとめるものがなかった。「スカボロー」と「シベリア」を組み合わせた当時のニックネーム「Scarberia」で都市部から遠く見離されていた様子がよく分かる。そんな時代にシビックセンター建設の依頼を受けたのがモリヤマ氏だった。1998年にトロントとの合併で市としての独立性をなくした今でもセンターは市役所のような役割を果たしている。

©City of Toronto Archives

1973年に完成したこのビルはモリヤマ氏の考える民主主義のアイデアで溢れている。当時の使い方では秘書が上司よりも良い眺めを楽しめるような構造になっており、秘書の価値を象徴的に上げていた。さらに市長のオフィスの窓は低い位置に設定され、それは「人がレンガを投げつけられるような高さ」だとモリヤマ氏はジョーク混じりに説明している。遊び心の裏には秘書と上司、市長と市民を対等とした民主主義と平等さ、インクルージョンがはっきりと主張されている。彼は「この3つを体現できていない建築は見せかけの空っぽな器にすぎない」とAzure Magazineのインタビューで述べている。

バータ靴博物館
Bata Shoe Museum

©City of Toronto Archives

バータ靴博物館は世界でも数少ない靴の博物館。この博物館がオープンするにあたって、創立者が相応しい土地を探すのに15年以上もかかったそう。そしてモリヤマ氏がデザインを考えるプロセスでも博物館の要件を満たすために多大な知恵を絞らなければならなかった。バータにて展示される予定の靴は日光や湿気、ほこりから守ってくれる特別な靴箱に入れられていた。彼はその靴箱の機能性とコレクションがもたらしたときめきをインスピレーションにした。結果、仕上がったのはファッショントレンドにとらわれない建築デザインだ。屋根の直線が靴箱のフタを連想させ、外から少しだけ見える中の様子が好奇心をくすぐるようになっている。展示物を守るために一階以外には敢えて大きな窓は使用されていないが、その空間は観覧客と靴の距離をぐっと縮めてくれる。

オタワ市庁舎
Ottawa City Hall

Ottawa City Hall Interior ©Joanne Clifford Joanne Clifford – Ottawa City Hall https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ottawa_City_Hall_-_Lunch_time_(48626443423).jpg

モリヤマ氏が1990年にデザインしたこのビルは1875年に建てられたゴシック様式の市庁舎を保存しながら増築されたもの。

Ottawa City Hall Exterior ©Jean Luc Henry Jean Luc Henry – Ottawa City Hall Exterior https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ottawa_City_Hall_Hotel_de_ville_d%27Ottawa.jpg

ここでは彼はBata Shoe MuseumやCanadian War Museumの画期的なデザインとは違って合理的な造りを目指したそうだ。デザインのアイデアを集めるため彼は人が雪道を歩いた後の足跡の写真を撮った。人がどこから来て、どこへ行くのかがはっきりしたというこの手法は彼らしく自然の力を利用している。「人が行きたいところを私が決めて押し付けるのではなくて、利用者の行動を手助けすることができた。このビルは人が交差する通りの延長であるに過ぎない」とOttawa Citizenのインタビューで答えている。

City of Ottawa Council Chamber ©Jean Luc Henry Jean Luc Henry – Ottawa City Hall Council Chamber https://commons.wikimedia.org/wiki/File:City_of_Ottawa_Council_Chamber.jpg

オタワの前市長ジム・ワトソン氏はこの市庁舎について、「ここは人のためにある場所。政治家はただ一時的にこの場所を借りているだけだ。ここで人たちが何を話し合い、どんな行動をするかが一番大事」と語っている。モリヤマ氏が夢見てきた民主主義な建築はオタワでも形になっている。

旧日系文化会館
Japanese Canadian Cultural Centre(JCCC)

123 Wyndord Drive Exterior ©JCCC Original Photographic Collection

現在は6 Sakura Wayにある日系文化会館だが、2001年まではすぐ近くの123 Wynford Driveにあるモリヤマ氏設計のビルに拠点を置いていた。1963年に建てられたこの初代JCCCビルは彼にとってキャリア初の大きなプロジェクトだった。コンクリートが目立つブルータリズム建築様式と正面玄関の大きな窓、そして灯籠を思わせるような赤い木の装飾が目印。同年に創立されたJCCCとともに年齢を重ねてきた。

2001年にこのビルが売り渡された当時、買い手への要件としてトロントの異文化コミュニティーの歴史を大事にすることが前提だった。だが現在ではデベロッパーたちの手に渡ってしまいコンドミニアムに変わる計画で、48階と55階のタワーが2棟建つそうだ。

123 Wyndord Drive Interior ©JCCC Original Photographic Collection

デザインはモリヤマ氏の事務所「Moriyama Teshima Architects」が手がけ、元のビルはどちらかのタワーのベースになる模様。この一角には開通を控えるEglinton Line 5の駅がすぐ近くにあり、乗客数を呼び込むことが期待されている。しかしその一方でこの歴史的建造物が元の意味とは関係のない、薄っぺらな形で残ってしまうことが懸念されている。

どうして「今」、モリヤマ氏の作品は注目されているの?

Goh Ohn Bell Shelter ©John Bauld John Bauld – Goh Ohn Bell Shelter https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ontario_Place_(50002167518).jpg

歴史的建造物 vs. 州政府とデベロッパー

最近、ニュースでモリヤマ氏の名前を目にするようになった人も多いかもしれない。それはなぜかというと彼の代表作が取り壊されてしまうからだ。現在、トロントでは再開発や住宅開発のためにあらゆる建築遺産が危機にさらされている。

最も話題になっているのはOntario Placeを屋内ウォーターパークとスパとして再開発し、Ontario Science Centreをそこに移転する計画だ。移転後、現在の科学センターの土地は住宅開発に使われる。Ontario Placeに46年も存在した彼のGoh Ohn Bell Shelter(日本人のカナダ移住100周年に贈呈された鐘を守る屋根)も彼の死後たった数週間でこの計画のために撤去されてしまった。

州政府の計画は悪い意味でずっとスポットライトに当たっている。デベロッパーは元の建築デザインを尊重すると約束するが、権利が渡されると好きにデザインを変えてしまうことが多いそう。これはモリヤマ氏の作品だけでなく全ての歴史的建造物に影響する問題だ。

政治の圧に勝てない建築遺産保護の弱さ

州政府とデベロッパーに対抗する建築遺産保護への政策が弱いことも心配すべき点だ。州によって「Heritage Register(遺産登録)」をされた建造物はここ数年で数千件だそう。しかし旧日系文化会館のように遺産登録がされていても「Ontario Heritage Act」の条例では守られず、解体の危機にさらされている建造物はたくさんあるそうだ。またはファサード(外観)しか残されず、中に詰まっている歴史が跡形もなく壊されていくことが懸念されている。

モリヤマ氏の建築物のいくつかがなくなる危機にある今、建築遺産を守るはずである州政府のあり方を建築や歴史に関わる人たちは厳しい目で見ている。デベロッパーの力、そしてそれに勝てない政策によって人々のよく知る街は大きく変わろうとしている。これを建築家レイモンド・モリヤマ氏はどう思っていただろうか?

おわりに

私たちに託された彼のビジョン

民主主義、平等さ、そしてインクルージョンを大事にしてきたモリヤマ氏のデザイン。モリヤマ氏の社会正義のモットーは州政府とデベロッパーらが圧倒的な権限を持つ今だからこそ人々に響き、彼の作品に対して「なくしてはならない」、「政府の圧に負けてはならない」と思うのではないだろうか。

興味深いことにモリヤマ氏本人は2019年のTVOのインタビューで「オンタリオ科学センターがなくなることは気にしていない。もっと心配なのは周りの自然だ」と答えていた。「建築物は利用者のために改装を繰り返してこそ命あるもの」と述べているが、人の手で学びの場所として親しんだ建築も周りの自然さえも二度と再生できなくなってしまうと知った彼はどう反応しただろう。

人類の残酷さを繰り返さぬよう建築にメッセージを託してきたモリヤマ氏のビジョンの続きを今度は私たちが描く番なのかもしれない。