日本で一番早いご来光 ― 銚子、犬吠埼|紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第59回

成田からサイドトリップ

 日本の玄関口の一つ、成田空港。同じ千葉県にあって太平洋側から本州の真ん中辺をゴムでピンと引張っぱって尖ってできたようなところが犬吠埼だ。日本で一番先に朝日が見られる位置といわれ、入国後か出国前のいいサイドトリップにもなる。年間水揚げ量20万トン以上を誇る日本一の漁港都市、銚子内の観光地であり東京からも楽に行ける。ちなみに日本で食べる多くの海鮮類は銚子から来ると言っても過言ではない。銚子は醤油作りでも有名だ。

赤字で有名になった電車?

レトロな銚子電鉄外川駅
レトロな銚子電鉄外川駅

 銚子駅と外川駅を結ぶ全長6.4㎞の銚子電鉄が注目を浴びている。犬吠埼へは終点の一つ手前で下車。この〝銚電〟は大正2年に設立され、第一次大戦中に廃線となり大正12年に復活。1925年に当初ガソリン車だったのが電気で走るようになった。1985年にNHKドラマの舞台になった鉄道で広く知られるようになったものの今も経営難が続く。そのレトロな車両やユニークな赤字対策が人々の興味を惹く。私が乗った時は2車両の先頭車の天井から〝ジンジャー〟と書いたピンクの風船やぬいぐるみがぎっしりぶら下がっていた。異様な光景を不審に思って聞くと、県外の生姜生産者の支援を受け広告としてやっている、と。

 また駅の一つに「笠上黒生」(かさかみくろはえ)というのがある。これも養髪剤の生産会社がパートナーとなっているので『髪毛黒生』(かみのけくろはえ)と駅看板に別名が出ている。養髪剤で毛が黒く生えることをアピールしているわけだ。平成10年には倒産危機を乗り切るために「ぬれ煎餅」の生産を開始し、インターネット到来、普及とともに全国に売り込んだ。結果、購入者や応援者が続々と出て倒産は免れ今も運行している。

犬吠埼

犬吠埼灯台と君ヶ浜ビーチ
犬吠埼灯台と君ヶ浜ビーチ

 大正チックな木造の外川駅(別名『ありがとう』)とは対照的に犬吠駅の外観がヨーロッパ調なのは旅行会社のアピールだろうか。駅から犬吠埼灯台や君ヶ浜のある犬吠埼へは歩いて約15分。西洋型第一等灯台は明治7年に英国のBranton(ブラントン)氏が設計、去年日本の重要文化財になった。隣接の施設では地元産物の販売店や開放感のあるガラス張りのスナックバーがある。そこから犬吠埼遊歩道を下ると浸食した白亜紀(1億2千万年前)の岩を見ることができる。足を太平洋に浸けて歴史の中の一点にもならない〝人類の生きてきた歳月〟を瞑想してみたり、波に消されても繰り返し踏みつける浜辺の自分の足跡を振り返ったり。ご来光を見るには太平洋に面したホテルに泊まるのがいい。5時起きして静かに湯船で朝日を迎えられる平和を何にたとえよう。

犬吠埼で見る太平洋のご来光
犬吠埼で見る太平洋のご来光

犬吠の歴史ロマン

源義経の愛犬が吠えて 岩になったー「犬吠」の由来
源義経の愛犬が吠えて
岩になったー「犬吠」の由来

 犬が吠えているような形の岩がある。伝説によると、源義経が兄の源頼朝の追手から逃れて奥州に行く途中愛犬を海岸に残したという。主人を慕って犬は七日七晩泣き続け岩になってしまったという話だ。「犬吠」の地名もこの伝説からきている。人の居ない隣の海水浴場では早朝東に昇った太陽が西の空をオレンジ色に染め始めていた。どこからか若者が二人現れ、音もなく水面をかき分け夕焼けに向かって泳ぎ始めた。

金目鯛の漁村、外川(とかわ)

外川ミニ博物館の島田さん
外川ミニ博物館の島田さん

 外川駅から漁村散策をする。1658年に築港され今も漁業が盛んで空家らしきは見当たらない。昭和の遺物、路地のゴミ箱が懐かしい。駅近の活魚卸し屋の表側には「外川ミニ郷土資料館」があり、80代の元気な館長、島田さんが町の歴史を詳しく語ってくれる。貴重な展示品が並ぶなか、NYタイムズ紙でも外川は取り上げられ英文記事の切り抜きもあった。有志が運営しているので存続がチャレンジと思うが日本の歴史の一部として残したい。

老舗の手作り豆腐の 榊原豆腐店
老舗の手作り豆腐の
榊原豆腐店

 裏口から案内された場所には水揚げされたばかりの立派な金目鯛が箱にぎっしり。眩しく赤く光る金目鯛を見たのは初めてだ。家が近ければ一匹買うのだが。明治42年の創業以来代々続いている近くの榊原豆腐屋でキナ粉と黒蜜の豆腐デザートを買ってベンチで食べる。夕暮れに高台から港におりると漁船が何艘も水に停泊して闇を待っている。朝の陽が昇る前に男達はまた漁に出るのだろうか。