出雲大社 ―日本は神話から生まれた?|紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第54回

 山の神や御神木、神々は日本中に宿る。『古事記』は物事の始まりを語る神聖な書物とされるが、史実か神話かは学者たちが様々な中国の古文書の記述と照り合わせ分析を重ねている。島根県の出雲大社に行った私は大社の創建や神話と歴史の関係に興味を持ち始めていた。

出雲大社のはじまり

 神話によるとこうだ。妻に先立たれたイザナギが川で身を清めている時アマテラス、ツクヨミ、スサノヲの3人の子を授かった。長女のアマテラスは「高天原(たかまがはら)」を支配することになるが、暴れん坊のスサノヲは高天原に行って悪行を重ね追放される。下った先はコシ(出雲)。住民を悩ませていた八岐大蛇をその尾から出た不思議な大刀で退治し、褒美に土地のヒメと結ばれ出雲に住み着く。ちなみにこの大刀、2019年の天皇即位式にも持ち出された3種の神器の一つだそうだ。スサノヲはのちに自分の娘と別の国からやって来たオオクニヌシの結婚を許し、国造り(イズモ王朝)が始まる。国は栄えたが高天原のアマテラス天照大神(ヤマト朝廷)に国を譲るよう迫られ、オオクニヌシノオオカミ(大国主大神)は「天にも届く高い建物を作ってくれるなら」という条件で引退。それが出雲大社の源と解釈されている。初の建立を実現させたのは飛鳥時代の第41代目天皇、持統天皇(645-703)という説もあるがいまだに謎だ。

神楽殿の巨大しめ縄

5〜6年に一度取り替えられる龍をなぞった神楽殿のしめ縄
5〜6年に一度取り替えられる龍をなぞった神楽殿のしめ縄

 樹齢400年の松並木の参道脇に大きな大国主大神の像がある。出雲大社の看板のような巨大しめ縄の掛かる神楽殿はその次だ。西を向く龍になぞらえた縄は全長13・6メートル、重さ5.2トン、胴回り9メートルで日本最大級。出雲の飯南町には住民がしめ縄を奉納する習慣があり、それが神楽殿のしめ縄に繋がったと言い伝えられる。1981年以来5、6年おきに取り換えられており、今のしめ縄は2018年のもの。神楽殿の前に高くたなびく日本の国旗は神話の歴史性を強調しているようだ。

イナバの白ウサギと社殿

出雲日御碕灯台―国造りの神様も見たであろう日本海の夕暮れ
出雲日御碕灯台―国造りの神様も見たであろう日本海の夕暮れ

 大国主大神はあらゆる縁結びの神として出雲大社に祀られているが、御神体は日本最古の神社建築様式、大社造りの社殿に鎮座する。入ることはできないが屋根が優雅で美しい。大国主大神が「因幡の兎」を助けた物語も有名だ。簡単に言うと皮を剥がされて苦しんでいる兎に大国主の兄達が面白がって海水に浸かって風に当たるといいと教え、その通りにしたら痛みは酷くなり、それを介抱したのが大国主だ。社殿の外には御神体を見守るかのように可愛い兎像が佇む。日本全国から神々が集うと言われる稲佐の浜も大社から歩いていける距離にあるが少し離れた出雲日御碕灯台へは車が便利。大国主大神が見たのと同じ日本海の夕陽を眺め、神話と現実を行きつ戻りつしながら夜を迎える。

優雅な大社造りの社殿の外で御神体を見守る兎像
優雅な大社造りの社殿の外で御神体を見守る兎像

神話が歴史になるとき

出雲大社境内遺跡から発掘された旧神殿の宇豆柱の一部
出雲大社境内遺跡から発掘された旧神殿の宇豆柱の一部

 神話の歴史性を物語る物が展示される島根県立古代出雲歴史博物館は大社の東隣にある。ロビーには鎌倉時代前半のものと思われる、想定高さ48メートル直径3メートルの巨大宇豆柱(うずばしら)の一部が置かれている。2000年に出雲大社境内から出土したものだ。三本の大木スギを一組みにした柱の技術は神話を歴史につなげた先人たちの子孫繁栄、未来永劫への強い思いの現れに違いない。

旧神殿模型―宇豆柱は48メートルあったと伝えられる
旧神殿模型―宇豆柱は48メートルあったと伝えられる

柱のあった位置が神楽殿入り口の床にマークされている。現代を生きる学者たちによって想定復元された平安時代の出雲大社本殿の模型はいくつもあって面白い。弥生時代の部屋には海を思わせる亀の模様入りの銅鐸や卑弥呼(ヒミコ200年代)の鏡、三角縁神獣鏡もある。タイムマシーンで明るい外に出ると超モダンなガラス張りのカフェが長旅を癒すかのように待ち構えている。神話が人の手によって歴史になっていく魔法をコーヒーを飲みながら思い巡らす。

古代出雲歴史博物館のカフェは超モダン
古代出雲歴史博物館のカフェは超モダン

皇室の祖先はアマテラス大御神?

 高天原を支配した天照大神は太陽神として三重県の伊勢神宮に祀られている。この神様は皇室の祖先(皇祖神)と言われ、これも神話を歴史化しようとした試みだ。それが〝天皇は神〟という信仰を生み出し、大胆な軍事国家を作った歴史的基盤ではないかとも思う。敗戦後、昭和天皇が自分は人であると宣言されてから天皇は神でなくなった。一体天皇陛下の祖先は誰なのか?系図は天照大神が先頭に立つが初代天皇ではない。初代と言われる神武天皇の後、名前の記述はあっても実在が立証できない天皇が多く、子孫断絶もあり、令和の皇室は26代目の継体天皇(500年代)が源流だとする学者たちが多い。ちょっと安心した。