日光国立公園のおもしろさ|紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第52回

15代続いた徳川幕府の象徴日光東照宮
15代続いた徳川幕府の象徴日光東照宮

 コロナ戦も終盤に入ったヨウナ気配、もうすぐ日本に行ける。そんなことを考えていると将来カナダの友達が日本を訪問した時どこに案内しようか、と考えたりする。今回は都心から2時間で行けて日帰りや一泊で楽しめる日光国立公園に焦点を当ててみた。かつてヨーロッパとのつながりも深く日本の歴史、温泉、ハイキング、釣りなどバス移動で体験できる便利さがいい。

日光東照宮が語る日本

 徳川家康(1543-1616)を祀る神社として有名だが、創建したのは息子の秀忠、さらに2年がかりで絢爛豪華な建物にアップグレードしたのが孫の家光。家康の死後「東から照らす神となって国を見守る」意味で東照宮の名がついた。遺言で亡くなった静岡の駿府城から日光に移されたと言う。家康が征夷大将軍になった1603年から15代将軍の慶喜が行なった1868年の大政奉還までの265年が江戸時代と呼ばれるが、ここに武家政権最後の平和な時代の仕掛け人、家康の威力がうかがえる。『見猿・聞か猿・言わ猿』の三猿も目立たないが見ておこう。日光東照宮、二荒山神社、輪王寺とそれら周辺の景観の4資産を総合して1999年に日光世界文化遺産となる。

華厳の滝・湯滝(ゆだき)

 日本3大名瀑の一つとして「那智の瀧」「袋田の滝」と名を連ねる華厳の滝。明治初期に茶屋ができたことから観光地化し今は修学旅行の人気スポットだ。エレベーターで下りると冷んやりとした霧が顔にあたる。中禅寺湖から日々30トン近い水量が72メートル下の滝壺へ爆音立てて落下する。奥日光の湯滝は華厳の滝とは対照的で湯ノ湖から長さ110メートルの黒い岩肌を叩きながら斜めに豪快に落ちる。

明治以来の観光地日光華厳の滝
明治以来の観光地日光華厳の滝

旧イタリア・英国大使館別荘―メモリアル・パーク

中禅寺湖に面した旧英国大使館別荘
中禅寺湖に面した旧英国大使館別荘

 日光はヨーロッパの要人たちも愛した保養地だ。日光杉を使い日本の伝統的建築法「数寄屋造」を真似たチェコ人建築家による旧イタリア大使館別荘(1928)は床も天井も木のぬくもりが感じられワイン片手にリラックスするイタリア人が目に浮かぶ。額に入った過去の大使陣が今も2階の窓から中禅寺湖を眺め続ける。一階の小さなカフェに入ってカプチーノやスイーツを楽しもう。

木のぬくもりが感じられる旧イタリア大使館別荘
木のぬくもりが感じられる旧イタリア大使館別荘

 少し離れた黒塗りのモダンな旧英国大使館別荘は元々は英国の外交官が自分の故郷と景色が似ていることから1896年に建て、のちに大使館別荘として英国に献上したもの。白一色の一階はミニ・ギャラリーで歴史的な写真や品物が並ぶ。2階のテイールームでは紅茶とケーキ類が注文できる。どちらの建物も森の中にあり静寂なビーチは瞑想に最適。

奥日光―湯元温泉に泊まってフライ・フィッシング

 市内から奥日光、湯ノ湖湖畔の湯元温泉へはバスで80分。乳白色で良質の硫黄温泉は肌をツルツルにするだけでなく春夏秋はハイキング客、冬はスキー客の体を癒す。環境省が国民保養温泉地の第1号に指定したお墨付きの温泉だ。約1600メートルの標高があり6月~9月は気温14度~19度と快適、ホテルには冷房はなく冬の暖房のみ。5月~9月が釣りシーズンで湯ノ湖、湯川、中禅寺湖で楽しめるが中禅寺湖は湖の東半分に限られている。ライセンスは一日3千円程度、魚は主にトラウトの種類で〝釣れたら放つ〟のが現状のルール。中禅寺湖にトラウトを繁殖させたのはスコットランド人のトーマス・グラバー氏(Thomas Glover -1838-1911)、当時許された唯一の貿易港、九州長崎にグラバー邸を建て後三菱商事の設立にも寄与した貿易商人だ。

湯ノ湖から戦場ヶ原へハイキング

奥日光、小滝・湯川で釣りをする人
奥日光、小滝・湯川で釣りをする人

 湯ノ湖の西側ハイキングコースは鬱蒼とした林道で起伏があり飽きない。湖を眼下に40分程で前述の湯滝に到着する。湯滝から小滝を経由し、湯川に沿って進むと広大な戦場ヶ原の沼地へ出る。栃木の男体山の神(大蛇)と隣の群馬の赤城山の神(ムカデ)が中禅寺湖を取り合い、男体山が勝利したという伝説の戦場だ。沼地を抜けて赤沼分岐点まで来たら(約2.5時間)バス通りに出るか、続行して中禅寺湖を目指す。日光はカナダのハイキングとは一味異なった楽しみ方ができる場所だ。

湯川に沿ったトレイルは戦場ヶ原へ続く
湯川に沿ったトレイルは戦場ヶ原へ続く