「トロント在住を経て豊中市議選に挑戦中!」山田さほさん(前編)|Hiroの部屋

ヒロさん(左)と山田さん(右)
ヒロさん(左)と山田さん(右)

東日本大震災後にカナダ・トロントに留学し、結婚・出産を経て三人の小さなお子さんを育てる山田さん。

 2019年にトロントで行われたウーマンラッシュアワー村本大輔さんのソロトークライブを仕掛けた発起人でもある山田さんは今年日本に帰国し、4月に行われる豊中市議選にチャレンジするという。

ヒロ: 村本さんの独演会で知り合ったさほさんが今度は、帰国して市議選に挑戦すると聞いて驚きました。せっかくなので、この「Hiro部屋」でも、お話を伺い考え等を紹介する機会にできればと思うのですが、どのような経緯で出馬に至ったのですか?

山田: 新型コロナウイルス感染拡大によるパンデミック以降、海外のことを知る者として何か自分にできることはないかと考えるようになりました。
 トロントと日本を比較して住民サービスや公園、図書館の充実ぶり、また学校教職員の充実ぶりや環境の違いなども実感しています。
 多様性の共生を成功させているトロントでの子育ての経験をもつ自分が、制度が子どもに優しくないとされている日本で何か役に立てることがあるのではないかと考えるようになったのがきっかけです。

夫はもう何年も前から予言
「君はいずれ日本に帰って政治の道を目指す」

ヒロ: 選挙の準備のため日本に戻られるそうで、お子さんもまだ小さいのに、しばらくはトロントのご家族と離れた生活のようですね。

山田: 今回の決断には家族、特にカナダ人の夫と日本にいる母親の理解がとても大きいです。市議選へ決断はゆっくり考える時間はなかったため、夫には「11月から日本に渡るということは、保育園通いの末っ子と私の二人が先に帰国することになるよ」と聞くと、「やるしかないでしょう!上の二人は任せて、心配しなくていいから行ってきたら」と言ってくれました。
 少し時間をおいた後に、日本に子供たちと一緒に来ることも承諾してくれました。

 昔からきっと政治家を目指すと予言していた夫なので、最近では「ほら、僕は何年も前からずっと言ってたよね」と声をかけてくれています。

ヒロ: まだ小さいお子さん二人の事を「僕に任せて、行ってきて」と、さほさんの挑戦を迷わず応援できるご主人も凄いですが、さほさんのお母様も相当な覚悟が必要だったかと思います。

山田: 政治のことを考えない理由に、自分の家族が幸せかどうか、半径5メートル以内が大事だという話を聞きます。私はママだからこそ子どもの未来を左右する政治に関わりたいと思いました。子育ての当事者として、本気で子どもの未来を心から心配し、応援する者として。いつか子どもが大きくなって孫ができたときに「あなたたちの未来のために行動したよ」と言いたいと思っているんです。

活動家の母の影響で幼い頃からデモに参加。
福島第一原発のメルトダウンに衝撃

ヒロ: お母様からも大きな影響を受けているのですね。

山田: 母は私が幼い時から様々な社会問題を心配し、勉強会やデモに参加するなど活動的でした。わたしの反原発デモへのデビューは小学一年生です。子ども時代は数々のデモに母に連れられて参加していました。テレビのニュースに自分の姿が映ったこともあります。クラスメイトに見られないか心配していたことを思い出します。

 また、中高生の頃は母によく映画を観に連れて行ってもらいましたが、黒人差別問題、同性愛者、ドラァグクイーンを描いた映画など社会問題に関する題材の映画が多かったのを覚えています。アパルトヘイト人種隔離政策問題を抱をえる南アフリカを舞台にした黒人の訴えを題材にしたミュージカル『サラフィナ!』に連れて行ってもらったのは小学生の頃でした。拷問のシーンもあり、かなり強烈な内容で今でもこの時のことを鮮明に覚えています。

ヒロ: そのままお母様の考えや行動を受け入れることができていたのですか?それとも何かきっかけがあったのでしょうか?

山田: いえ、わたしが社会人になった頃は、少し心配し過ぎなんじゃないかとも思っていました。友人からも「原発は事故が起らないように何重にも安全装置が設置されているから大丈夫」だと聞かされると、やっぱり母は心配し過ぎなんだなと思ったことがあります。しかし2011年の東北大震災で原発事故が起こりました。地震の直後に津波を被った福島第一原発の1・2・3号機がいとも簡単にメルトダウンを起こしてしまいました。原発の安全性に「絶対」はありえないのだと、国中に衝撃が走った瞬間でした。この時に母の活動はきちんと意味があるものだったんだと、点と点、線と線でつながりました。この頃から物事の見方が自分の中で大きく変わっていきました。

(聞き手・文章構成TORJA編集部)

山田さほさん

 イタリア、ミラノで生まれ豊中で育つ。カナダ人の夫と7歳、5歳、3歳の育児奮闘中。ジョージブラウンカレッジ在学中(2023年卒業予定)。2011年東日本大震災被災地でボランティア活動に従事し、当事者の声を直接聞くことの大切さを学ぶ。10年間のトロント生活を経て豊中市会議員への挑戦を決意。