アメフト日本人初のNFL入りへ挑戦 佐藤敏基選手(前編)|Hiroの部屋

佐藤さん(左)とヒロさん(右)
佐藤さん(左)とヒロさん(右)

2022年記念すべき第一回目の連載3回シリーズとなるヒロの部屋にお越しいただいたのは、昨年行われたグローバルドラフトにてトロント・アルゴノーツから指名を受け、日本のみならずトロントでプレーしながら、NFL(National Football League)入りに挑戦中のアメリカンフットボール・キッカーの佐藤敏基選手です。

フィールドゴール成功距離58ヤードの日本記録を持つ佐藤選手

ヒロ: 中学時代までサッカーをしていて、高校からアメフトに転向ですよね。

佐藤: 小さい時からサッカー選手になりたいと思っていたんですが、周りを見渡すとこれは難しそうだなと気づきました。なので、高校から何か新しいスポーツを始めたいと思っていた時に、全国準優勝をしているアメリカンフットボール部が初心者大歓迎と勧誘しており、興味を惹かれ入部しました。

ヒロ: 実際、入部してみてどうでした?

佐藤: 厳しかったですよ(笑)。68人いた新人は卒業する頃には35人に減っていました。やはり日本一を目指すチームなので、求められるものも高く、指導も厳しかったと思います。
 ヒロさんは、トロントにいる日本人アスリートの方とも交流が多いと伺っていますが、スポーツはされていたのですか?

ヒロ: 学生時代にバスケやバレーを少しやりましたが、才能がなかったです(笑)。今はサッカーしてますが、僕だけド下手(笑)。いつも仲間には本当に感謝です。ただ、昔からスポーツ観戦は好きだったので、各ルールや当時の名選手や名シーンなどは覚えています。なので今もアスリート達と接する際は、敬意と幼少時からの憧れも少しありますね。

キッカーとして大学でのチャレンジを決意

佐藤: 実はアメフトは高校卒業とともに絶対にやめてやろうと思っていました。付属校だったので、大学生と同じグラウンドで練習をしていたのですが、大学では高校をはるかに超える厳しさが待ってるというのを目の当たりにしていました。自分自身、高校時代の大半をクォーターバックとしてプレーしていましたが芽が出なかったというのもあります。しかし、3年の最後の方でキッカーにポジションをチェンジしたのですが、短い期間ながらも可能性を感じることができたんです。

ヒロ: それで大学では、キッカーとして挑戦しようという思いに至ったのですね?

佐藤: そうですね。キッカーというポジションは兼任でやっている人がほとんどなんですけど、自分はキッカー専任でやりたいとお願いして4年間専任でやらせてもらっていました。もちろん専属のコーチもいないし、一緒に練習をするチームメイトもいないという環境で、練習はボールを蹴っていることがほとんどなので、周囲からは「練習が楽でいいな」と言われることもあり、なかなかチームの先輩にも後輩にも理解されない時が続きました。迷いもありましたが、3年生の時に合宿でアメリカに行き本場の練習やプレーヤーとしての意識を学び刺激を受けたことがきっかけになり、自分のことを信じて周りの雑音を気にせずにやるべき練習を積み重ねることに集中できるようになりました。

 ヒロさんは若くして、トロントのヴィダルサスーンに出入りして、その後トニーアンドガイといった世界的なヘアサロンでご活躍した数少ない日本人だったと思うのですが、周囲から妬まれたり影口を叩かれたことなどはなかったですか?

ヒロ: ワーホリを利用したトニーアンドガイ就職直後は、ファンキーヘアで英語が下手なアジア人を雇った当時のボスに、「なんであんな奴を雇ったんだ」と文句を言う白人の同僚たちはいましたね(笑)。確かに英語は下手ですが、結果を出す事で、周りから認められるのに時間はかかりませんでした。
 佐藤さんは先輩後輩からのプレッシャーもありつつ、周りに流されまいと思ったきっかけは米国の経験だったんですね。

佐藤: ハイ。さっきも触れましたが3年になってアメリカのウィスコンシン州に5日間渡米したんです。そのとき、有名なキッキングのキャンプに参加してキック力がもの凄い人がたくさんいる中、フィールドゴールのコンペティションで優勝したんです。そのとき自分の素質を確認でき、ここで通用するなら日本でも自信をもってやろうと思えました。

甲子園ボウルで試合終了間際にフィールドゴールドを狙うも失敗。挫折を味わう

ヒロ: 準優勝に終わった甲子園ボールでは大きな挫折を味わったそうですね。

佐藤: 消えてしまいたいと思っていたくらい絶望しました。前半、21点差まで広げられた後、怒涛の追い上げを見せ、残り1秒で一点差の27対28で52ヤードのフィールドゴールが回ってきたんです。キャプテンもチームメイトも「お前ならいけるだろ」と信頼して送り出してくれて、自分でもどんなキックも決める自信があったからこそなおさらでした。

 数日間は部屋から出ず塞ぎ込んだ生活をしていました。けれど、家族や同期、コーチなど周囲の人にも励ましてもらい、アメフトの悔しさはアメフトでしか晴らせない、続けないといけないと思いふたたびプレーすることを決意しました。

(聞き手・文章構成TORJA編集部)
対談はサロンを貸切にし、撮影のため一時的にマスクを外して実施しています。

佐藤敏基選手

 神奈川県出身。幼少期はサッカーと剣道を経験し、高校からアメリカンフットボールを始める。高校2・3年時は全国優勝、大学4年時には全国準優勝。大学引退後は一度不動産会社に就職するがNFLを目指すために辞職、海外挑戦と並行して日本ではxleagueの「IBM BIGBLUE」に所属しており、2019年には日本記録となる58ydのFGを成功している。2021年グローバルドラフトでトロントアルゴノーツから指名されて所属し、カナダでもプレーしている。