LVMH、その名を唱えよ。累計7千年のブランド企業|世界でエンタメ三昧【第95回】

LVMH、その名を唱えよ。累計7千年のブランド企業|世界でエンタメ三昧【第95回】

LVMH、ハゲタカ投資家が作り出すブランド帝国の威容

 ルイヴィトン・モエヘネシー。それは世界最大のブランド企業です。170年の歴史を持つ鞄のルイヴィトン、280年の歴史をもつワインのモエ・エ・シャンドン、半世紀前にモエ社と合併した創業220年のコニャック三大銘柄をもつヘネシー社。この3つの名前は冠しながら、その傘下にはファッション・香水のクリスチャン・ディオールからジバンシー、ケンゾー、ゲラン、時計・宝石ではタグ・ホイヤー、ブルガリ、ティファニー、ワイン・飲料ではドンペリからシャンドン、鞄はリモワ、果ては世界初デパートのボン・マルシェからDFSまでもつ、数十個のスーパーブランドの集合体です。関連会社は1000社以上を数え、創業からの年数を足すと、現在計測できる61ブランドの歴史を合計するとなんと7千年!各ブランドの「平均」が100年を超えているわけです。

 これだけの歴史の塊でありながら、LVMHは出来上がってまだ35年という、驚くほど「新しい」会社でもあります。たった一代で、この売上10兆円、時価総額40兆円の大帝国を作ったのがベルナール・アルノー、1949年戦後生まれのフランス人実業家です。フォーブスの「世界の金持ち2022」でもイーロン・マスク、ジェフ・ベゾスに次ぐ、世界3番目の金持ちにアルノーがランクイン、米国のビル・ゲイツやウォーレン・バフェット、ラリー・ペイジなどが名を連ねるトップ10の中で、唯一のフランス人として名を連ねています。

 ここまでの大人物でありながら、日本でそれほど語られることが少ないのは、GAFAMプラットフォームと違って、その事業全体のわかりづらさ、フランス企業という日本からの心理的距離によるものでしょうか。「カシミヤを着た狼」「ターミネーター」といった異名をもち、まさにブランド界の投資銀行のようなふるまいを見せるアルノーはもともと不動産業を営み、ミッテラン大統領下で社会主義化したフランスを嫌って1981年から米国でビジネスをしていました。そんなある日、米国のタクシードライバーが言っていた「(フランスのことは全く知らないが)ディオールだけは知っている」という話からブランドビジネスに興味をもち、1984年にディオールをもっていた流通系グループ(アガシュ・ウィロ)ごと買収します。当時のディオールは売上も85百万ドル足らずの赤字企業、カルティエが救済のために買収オファーで出した金額がたったの3百万ドルという状態でそれを拾い上げたのは、当時35歳足らずのアルノーの慧眼でした。

 節度や礼儀を重んじるフランスビジネス界で、目標達成のためには手段を選ばないアルノーはまさに「新人類」でした。現場とは接触を持たず、忠実な少数の幹部とのみ戦略をくみ上げ、親会社ウィロの8千人を解雇し、バラバラに分割して売りさばき、手元に残したのがそのディオールだったのです。世界で26件のライセンス契約で、ほとんどの製品は外部会社に製造から販売まで丸投げ、そのアジア製の安モノハンドバッグは1946年から続くファッション界におけるそのブランドを地に落としていたタイミングでした。アルノーはライセンス契約を全部廃止し、垂直統合で生産・流通・マーケティングを全部自社内で握るようにして、(買収前に85百万ドルまで凋落していた)売上も利益も大きくV字回復させます。「5億ドルのオファーがあっても、ディオールだけは売らない」というほど、ブランドビジネスに傾注し、ここに不動産にかわる勝機を感じていました。

 ハゲタカの魔手は勢いを留めず、1914年創業のパトゥから(2018年に買収することになる)トップデザイナーを引き抜き独自ブランドを立ち上げたり、1945年創業のセリーヌ(当時は20百万ドルまで凋落していた)をファミリー経営から奪取し、当初約束を違えて買収後早々に追い出しています。そしてアルノーを一躍ファッション界で有名にしたのが「LVMH乗っ取り事件」です。当時LVMHで会長シュヴァリエと社長ラカミエで対立があった勝機に乗じて、裏側で双方と取引を行い、まさに漁夫の利のように1990年に全権を掌握。「フランスで最も醜い買収劇」とも言われ、この事件をきっかけにフランスでの事業買収法が改正されます。

冷徹無比なリストラと垂直統合で、ブランドとしてのワンメッセージに拘る

 1990年にアルノーがディオール、セリーヌ、そしてLVMH、ショーメ、ヘネシーを奪取していたこのタイミングは、まだ125店舗をもつ7.6億ドル売上の企業に過ぎませんでした。この時点では日本でいえばバンダイやトミーといった玩具企業、東宝・東映といった映画配給会社、タイトーやカプコンといったゲーム会社などとそれほどサイズの違いがないのです。そのくらい「フランスのブランド企業」はまだまだ小さな一勢力でしかありませんでした。なんなら、任天堂はこの時点ですでに6〜7倍規模に成長しています。

 ここから30年のLVMHの発展は「目覚ましい」の一言。2000年過ぎにはその10倍となる100億ドル企業となり、2010年には300億ドル企業、そして2021年は800億ドルに近づかんとしている状況で、これはスピードこそ半分ですが、ほぼ中国テンセントと同じような成長軌跡を描いています。我々はグーグルやアマゾンやテンセントの目覚ましさにばかり目を奪われがちですが、この30年は欧州においてもこうした神のいたずらのような巨大企業が生まれる時代であったわけです。

 アルノーのブランド再生は、冷酷な人材リストラと掟破りのマッチング、そしてメディア戦略によって構成されます。ブリスやマーク・ジェイコブスのような新しいブランドは比較的容易で、単にLVMHの生産・流通・小売ネットワークに組み込めば生産性はあがります。ですが問題は古いブランドで、上から下まで一新する必要があります。古くからあっていかせる価値を汲みだしてメインに据え、外側でデザインと新興クリエイターとタレントで飾り、あとは大々的に宣伝していく。

 1990年からヴィトンにも例外なくアルノーのメスは入ります。7割は外部委託だったものをすべて内製化し、工場を5社から14社に増やし、米国フランチャイズ店を買収して直営店にすることで流通管理まで自社のものにする。「工場を管理すれば、品質管理ができる。そして流通が管理できれば、イメージが管理できる」、というのがアルノーの哲学でした。ブランドとは統一した生産―流通―小売―広告による明確なメッセージ戦略のたまものです。

 服飾ファッション業界はヴィトンの売上5%にすぎません。ただその領域でアメリカの新進気鋭のデザイナーであったマーク・ジェイコブスと組んで超高額な服を、古くて慎ましやかな上品なヴィトンがイメージを刷新してバカ高い服を作る。それ自体はたいした売上にならなくても、最終的にそこで集めた注目が、ヴィトンの主力商品のバッグ・鞄への再注目となります。こうした戦略は、現在においてもLVMHがNFTやメタバースにかなり傾倒して投資している動きにも通じるものです。

 それと同時に、人材の入れ替えは冷酷無比。29年間ヴィトンをひっぱってきたマルク・ボアンをあっさり解雇し、43年間率いたジバンシーが選んだ後継者も無視して、新たに自分が選んだデザイナーをあてます。長らく彼とともに働いてきた人物はアルノーをこう描写します。「彼は資本主義を受け入れたことのない国で、骨の髄まで資本主義者です。だから彼のやることは人の気持ちを逆なでする」。

LVMHの対抗軸:リシュモン、ケリング、エルメス

 アルノーはまるで絵画でも買い集めるかのように、ブランドを1つ1つ買収していきます。(部分的な買収ですが)エルメス36億ドル(2010)、ブルガリ24億ドル(2011)、ロロ・ピアーナ27億ドル(2013)、ティファニー167億ドル(2019)、現在もラルフローレンなどが買収候補にあがっています。映画・放送でいえばディズニー、音楽でいえばユニバーサル、ゲームでいえばEAといったポジショニングです。ですが、市場戦略の面白さはそうした「強者」が常に勝ち続けるわけではない、というところにあります。

 かたやそのライバルであったリシュモングループは、サイズとしてはLVMHの三分の一程度をずっと維持してきた会社ですが、カルティエを中心とするグループで1990年代における買収件数は2件だけ。ヴァンクリーフ2.6億ドルといくつかの高級時計製造工場です。また、1998年にLVMHから狙われたグッチもまたPPRというホワイトナイトを捕まえ、LVMHから独立を守り切った(非常に珍しい!)グループで、サンローランも加えたケリンググループとして現在も独立を保っています。

 その意味では部分株主として提携をしながら、いまだファミリー経営を維持するエルメスもまた、LVMHの「いつものコース」から独立性をたもつ特殊な位置づけを保っている企業といえるでしょう。図2をみるように、この20年で10倍規模の70億ドルまで成長し、高利益率を維持し続けています。つまりブランド企業にとっての成長はM&Aでどんどん呑み込むばかりが戦略ではないのです。むしろ成長企業の共通点は「成長する市場にブランドを提供しているか」という一点に尽きます。

 高級ブランドは貴族・富裕層から中産階級に手を広げ、ある意味200年続いた伝統を捨てて、妥協の上にこうした10倍・20倍といった成長を実現しています。2000年代のエルメスにとっては、「日本」こそが母国フランスはおろか、北米よりも大きな市場であり、ここを足掛かりにアジア展開の橋頭保を築き、2010年代は中国を中心としたアジア市場で大きくその陣容を広げることで成長を維持し、2020年にはグループ売上の半分以上がアジア売上となっています。会社の古い新しいは何の言い訳にもなりません。むしろ古いブランドを新しい形で利用した欧州企業は、北米にもGAFAにも負けない業績をあげているのです。

 もはやフランス・イタリア・スイスのブランド企業で独立企業として残っているものは数えるほどになってきています。フランスのリキエル、イタリアのアルマーニ、ヴェルサーチ、ドルチェ&ガッバーナなど。いま日本のコンテンツ企業についていえば、こうした「置き去りにされた企業」群と近いものを感じます。そして次の10年・20年に何を目指すべきかは、この40年のブランド企業ごとの戦略をみれば、ある程度見えてくるのではないでしょうか?