第35回東京国際映画祭 『雑魚どもよ、大志を抱け!』足立紳監督インタビュー

第35回東京国際映画祭 『雑魚どもよ、大志を抱け!』足立紳監督インタビュー

“子どもたちの日常を本当に子どもたちが撮っているみたいになればいいなと自分では思ってます”

第35回東京国際映画祭『雑魚どもよ、大志を抱け!』
足立紳監督インタビューWeb拡大版

2022年10月の東京国際映画祭でワールドプレミア上映された足立紳監督の最新作『雑魚どもよ、大志を抱け!』が、日本では2023年3月24日に公開される。本作の原作小説「弱虫日記」は2017年に出版されているが、その元になった脚本は20年以上前に書かれたもの。ようやく映画化が実現した本作の制作の経緯や、脚本家から監督になるまでの過程について、足立監督にお話を伺った。

映画『雑魚どもよ、大志を抱け!』の映画化までの道のり

―20年以上前に初めて書いた脚本を、今回ようやく映画化することになった経緯を教えてください。

相米慎二監督に師事していたときに脚本を書いていました。それを読んでもらって、初めて褒めてもらったのがこの脚本です。それで相米監督がいろんなところに脚本を持って回ってくれたんですけど、そのときはまったく映画化が実現しませんでした。当時は、僕が監督ということではなく、相米監督が撮るかどうかもわからなくて。

そのあと僕は仕事がなくなってしまい、映像業界から離れて専業主夫みたいになっていましたが、また映画の仕事が少しずつできるようになってきた頃に、出版社の方に脚本を読んでもらったんです。すると、なかなか映画化できないならまず小説にしてみませんかと言われて、小説にしたのが5年前です。そこからまた企画を持って回り、今回映画化できることになりました。元になった脚本から小説にするときに、だいぶ今の映画の形に近づいた感じです。

―足立監督は脚本家として長く活躍されてきた印象がありますが、もともと映画監督になろうとして相米監督に師事したのでしょうか。

そうですね。監督志望でした。映画でどうやって仕事をしていこうかと思ったときに、まずは現場で助監督になろうと思って。そのとき、先日亡くなられた映画プロデューサーの佐々木史郎さんから、相米監督がすぐに映画を撮る予定はないものの若い人を探していることを聞いたんです。佐々木さんから、勉強になるかもしれないから相米さんについてみろ、と言われて。それで弟子入りというか、丁稚奉公のように相米さん個人から月に10万円もらう生活を1年くらい続けて、その後にフリーで現場に出始めました。

早く監督になるには、自主映画を撮るか脚本家として売れるしかないと思っていましたが、当時は自主映画も今みたいに簡単には撮れなかったんですよ。今は機材も良くなってすぐに撮れますけど、今から30年ほど前は、みんな1千万円くらい貯めて清水の舞台から飛び降りるような覚悟で撮ってたんです。

当時、ちょうど宮藤官九郎さんが出始めた頃で、深夜ドラマでこの人の名前をよく見るなと思っていました。それで、この人みたいに売れっ子になれば早く監督になれるんじゃないかと思い、もう僕は現場をやめて脚本家になりますと周りに言って、地獄にはまった感じです。脚本家としてとにかく売れるぞ、2、3年書いてたら売れるだろう、と思って。その頃、相米組のチーフだった人が一本立ちする映画の脚本を書かせてもらえることにもなったので、この調子で行っちゃえと思ったら、その先が全然続かなくて大変でした。そんな簡単にはうまくいかないのに舐めてかかって、そこから20年くらいかかりました。

―相米監督に師事していたのは期間限定だったのしょうか。

期間限定というわけではなく、師事していたときに相米さんがいくつか進行させていた企画で脚本作りに参加させてもらっていました。それがなかなかうまくいかず、企画が全部ボツになったんです。そのとき、ずっとこうしていても仕方ないから一度離れろ、という感じになり、相米さんに師事していた間に知り合った中村義洋監督の現場に行ったり、2時間ドラマの現場に行ったりしていました。すると今度は、相米さんが総監督で、演出部のチーフクラスだった人たちをオムニバス映画でデビューさせる企画があるから現場に来いよと言われて。26歳か27歳くらいだったと思いますけど、映画の現場に行くのはそれを最後にしました。そこからは、コマーシャルやミュージッククリップなど短い現場には行ったけど長い現場には行かず、ひたすらアルバイトをしながら脚本を書く生活に切り替えました。

―相米監督に師事していた頃に書いた今回の作品の脚本が、小説から映画化されることになったのはいつ頃でしょうか。

2017年に小説「弱虫日記」が出版された後すぐ、これを映画にしたい、と再びいろんなプロデューサーに小説を持っていきました。相米監督に師事していたときに書いた脚本と一緒に持っていくと、脚本と小説ではだいぶ変わってるねと言われたので、小説からまた新たに脚本を起こして、企画を持って回りました。でも、こういう無名の子どもたちの作品では、映画化してくれる会社がなかなかなくて。

これはもう自主映画として作るしかないなと思って、僕と坂井正徳プロデューサーの2人でお金を出し合って作ろうかと話していた2020年頃に、初めて飛騨へ2人でロケハンに行きました。その頃、いろいろと一緒に仕事をしていた東映ビデオのプロデューサーの佐藤現さんが、以前から原作を面白いと言ってくれていたこともあって、ダメ元で相談してみたんです。そしたら、うちも一緒にやるよと言ってくれたので、東映ビデオで映画化することになりました。2020年から動き出し、2022年の3月の終わりから4月中旬くらいまで撮影しました。

―無名の子どもたちではなく、有名な子役を使おうとは考えなかったのでしょうか。

ちょっと名前の知れた有名な子役を使おうという話も出てはいました。でも、映画を作る上で、まだ見たことのない子たちにたくさん会って役に合う子を探したほうが面白そうだなと思ったので、みんなオーディションで選ぶことにしました。

映画の時代設定や登場人物のモデルについて

―コロナ禍の直撃を受ける形で企画が動き出したのでしょうか。

ええ、そうですね。だからもうコロナ禍に合わせた話に書き直そうかなと思ったこともありました。実は小説は現代の話として書いたんですけど、現代を舞台にするならコロナなしで描くのが自分にはどうしても違和感があるので、コロナが避けて通れないと思って。だったら、脚本は僕が子どもの頃に置き換えればコロナで迷うことはないので、時代設定を変えました。

―映画の時代設定は1988年で、監督の子どもの頃とは少しずれるように思いますが。

そうなんですよ。1988年には僕はもう高校1年生くらいになっていて、映画の子どもたちは小学校6年生くらいなので、彼らのほうが少し年下です。でも、映画の時代背景を昭和が終わる頃にしたかったんですよね。映画の中で、さほど時代をフィーチャーしているわけではないですけど、昭和ど真ん中よりは昭和末期、もう少しで平成に変わる頃にしたいなと思って1988年にしました。

―1988年だと、実は高校生役に監督の姿が投影されているんだろうか、などと考えながら観ていました。ご自身の姿は投影されているのでしょうか。

僕はビビりなので、映画に出てくる高校生みたいなやんちゃじゃないですよ(笑)。あの高校生の後ろにいるようなタイプですかね。

子どもたちには、結構モデルになった人がいます。ヤクザの息子だったり宗教二世みたいな子だったり、小学校のときの友達が見たら誰が誰だかわかるんじゃないかって気がします。主人公の両親は、確実に僕の両親がモデルですね。主人公の駄目な部分にも、だいぶ自分を投影しています。映画では主人公がちょっとかっこいい行動を取りますけど、なんとなく僕はかっこいい行動ができていないんで、せめて映画の中だけでも、と思って書きました。

―映画を作ろうとする場面も、ご自身の体験が反映されているのでしょうか。

ええ。あんな映画好きの奴がいたわけじゃないんですけど、中学生の頃には家庭用の8mmビデオを持ってる奴がいたりして。それで、全然ちゃんとしたものじゃないですけど、みんなでふざけて撮ったりしてましたね。

映画監督を志すまで

©2022「雑魚どもよ、大志を抱け!」製作委員会

―子どもの頃から映画監督になりたいと思っていたのでしょうか。

昔から映画が好きで、小学校の卒業文集の将来の夢に映画監督とか書いてましたね。6年生のときにすでにそう書いてるので、4、5年生くらいから思ってたのかもしれないですね。中学生の頃には、映画監督とか脚本家とかはよくわかんないけど、将来は映画を作ることが職業になればいいなと思ってました。

―そこから映画学校に進んでいったのでしょうか。

そうですね。高校を卒業して映画の学校に行きました。こんな学校があるよ、って母親が見つけてきてくれたんです。

―脚本もその頃から書いていたのでしょうか。

書いてましたね。映画の学校に入学したらすぐ、大事なのは脚本なんだってことを叩き込まれました。とにかく脚本が書けない奴は監督になれない、と言われて。授業でも脚本を書かされましたし、とにかく書かなきゃと思ってました。あと、映画の学校に来る人はみんな、こういう映画を作りたいというのが頭にあるので、それを書いているのは楽しかったですね。

―映画の中でも脚本を書く子が出てきますけど、あんな感じで小学校の頃から書いていたのでしょうか。

小学校の頃は書いてなかったですけど、中学校の頃には書いてましたね。その頃に書いたものは、さすがに映画になんか絶対にならないですけど、なんか漫画みたいな話を書いてました。

映画に描かれる子どもたちの姿の素晴らしさと、それが実現できたわけ

―この作品では、子どもたちの他愛ない日常が丁寧に描かれていて、友達同士くだらないことでわちゃわちゃする感じがありのままに描かれているのが素晴らしいと思います。でもそういう部分は、映画にすると失われてしまうことが多いように思うのですが。

ありがとうございます。まさにそれが一番やりたかったくらいで、もともと相米さんが面白がってくれた脚本にはわちゃわちゃしかなく、それで2時間埋まってるような脚本でした。それをいろんな人に読ませていくうちに、こういう物語が後からできてきました。わちゃわちゃだけだと、なかなか紙の上の面白さとしては通じないんですよね。作った後に、おまえが言ってたのはこういうことだったのか、と言われることはあるんですけど。

―それは、ご自身では映画として面白くなると思っていることが、企画の段階で紙の上に落とすと伝わらないということでしょうか。

そうなんですよ。そういうところって、無駄ってことで切られていくんですよね。でも、無駄が面白いんだけど、とずっと思っていて、なんとかそれをやりたいと思ってました。

―映画では大人から見た子どもが描かれがちなのに、この子ども目線でずっと追いかける感じをどうやって実現したのか、キャスティングや子どもの演出などすごく難しかったのではないか、と思いました。

そこは、僕の良いところでもあり悪いところでもあるんですけど、まったく成長してないと人から言われるんですよ。つまり、普通は子どもたちを撮るときは大人の目線として撮るのに、おまえは完全に同化してると。それが奇跡的に良くなるときもあるけど、たいがいは駄目だと言われます(笑)。

大人が作るんで当たり前なんですけど、ずっと子ども目線で描いても、大人の視点が入ってきてしまう。子どもたちの日常を本当に子どもたちが撮っているみたいになればいいなと自分では思ってますけど、それをどうやったら実現できるのか、なかなかわかりません。まあそこは、おまえには成長がないと言われるのを良いふうに解釈して、俺が子どもだからこうなるんだと今は思ってます。いろいろ勉強して成長しないとまずいと思ってますけど、これを自分の持ち味と考えるようにしています。

―それは、意識的にやるというより、そうなってしまうのでしょうか。

そうですね。あんまり意識はしてないですね。だから、わちゃわちゃと遊んでるシーンなんかも、どちらかというと子どもたちはよくわからなかったみたいで、実際に「こんな感じだよ」とやってみせたりしました。でも、合宿してゲームもない生活をしているうちに、なんか楽しんでキャッキャやってましたね。いつの時代も、子どもたちってしょうもないことですぐ楽しめるんだろうなと思います。

―飛騨での撮影の前に、現地で合宿してリハーサルをしたのでしょうか。

リハーサルは、撮影の2か月前から週に1、2回集まって東京でやっていました。クランクインの4、5日前に飛騨に行き、人里離れたところで両親から離れて、クランクアップまでの1か月間くらい合宿状態で撮影しました。現地に行ってからのリハーサルもありましたけど、ほとんど全部東京でやりました。

―オーディションで役柄のキャラクターに沿って子どもたちを選んだから、子どもたちは役に入っていきやすかったのでしょうか。

たぶん入っていきやすかったんじゃないかと思います。でも、東京でリハーサルしてたときよりも飛騨に連れて行った後から急激に、彼らが役に入っていった感じがありました。クランクインするまで、「ここで撮影するわけじゃないけど、こういうところで遊んでたんだよ」という場所を連れまわして、「このシーンは撮らないけど、ここで適当に遊んで、役として過ごしてきて」といったことをしてました。ごっこ遊びの延長みたいな感じですけど、そうすることで彼らがすごく役に入っていったのが、見ていてよくわかりました。

足立監督の脚本の特長と、脚本家と監督それぞれの立場からの思い

―足立監督の脚本では、冴えない人間や、人生うまくいかず停滞しているところから動き出す人間が描かれることが多いように思いますが、それでいながら全体のトーンは暗くならずユーモラスに感じます。そういうところは意識的に作っているのでしょうか。

僕が描いてきた映画の中でうまくいってない状況の人は、本人はつらいでしょうけど傍から見てるとちょっと笑ってしまう人です。人間を描く以上、辛いだろうけど可笑しみがある部分は、絶対に外せないというか。そこがないと人間の面白さみたいなものは出ないだろうし、そこが人の面白さだと思っています。意識しているというか、普通にいる人を普通に描くと、絶対にそうなるだろうと思っています。

―足立監督は脚本家として長年活躍してこられて、最近は監督としても活躍されています。それぞれの立場から映画作りに対して思うことや、映画との関わり方で異なる部分、変化してきた部分などを教えていただけますか。

僕の場合、監督になりたいから脚本を書いていた部分が大きいので一概には言えませんが、脚本家って相当つらいと思っています。基本的に、監督やプロデューサーと打ち合わせをして、家に帰ってひとりで書くんです。すると、あれだけ打ち合わせしたのに文字だとなかなか伝わらないなと思う部分があります。孤独な戦いで、僕としてはちょっと苦手です。もともとひとりでいるのがそんなに好きじゃないし、字を書くのも好きじゃないのがあって。

助監督は監督を助けるって書きますけど、これだけ周りのスタッフがいろいろやってくれるんだから監督ってスゲー楽な仕事だよなって、助監督をしてる頃に傍から見てて思ったことがあるんですよね。偉そうにふんぞり返りやがって、みたいな。それで、1本監督をやってみたら、僕の場合は脚本よりはるかに楽でしたね(笑)。

衣装とかに関しても、いろんな人がたくさんアイデアを持ってきてくれて、「あ、それいいな!」と思ったものを監督はどんどん吸収していけばいいんで、仕事としては監督のほうがめちゃくちゃ楽しいです。

脚本家のほうは、これは脚本家全員が一度は思うことじゃないかと思いますけど、「映画作りの一番根幹の部分を俺が作ったのに、監督はじめスタッフたちが俺の作った脚本をよくもここまで壊してくれたな」って経験が一度は必ずあると思うんですよ。でもスタッフたちはみんな、「いやあ、いい映画ができたね」なんてニコニコして。脚本家は、「どこがいい映画だよ」って思ってる(笑)。でもそれを口には出せなくて、誰にも気づかれないように試写場をひとりで後にする、みたいなことが多いです。そういう監督とは二度と仕事をしないですし、脚本家をすごくないがしろにしています。

―自分が書いた脚本を自分で監督すると、その不満はなくなりますか。

不満がなくなるというか、監督をすると自分の責任になりますね。脚本家は逃げられる。現場でこうなったんだからと。監督のときは「本当はもう少しこうしたかったけど、俺がこうしてしまったな」とか「ここを粘り切れなかったな」とかがラッシュを見るとありますね。それはすべて監督の責任と言われてもしょうがないのかなと思います。

―ご自身で監督するほうが、自分の思っていた映画に仕上がるのでしょうか。

だいたいそうですね。他の人が監督すると、「あ、このシーンがこんなふうになったんだ」っていう思いもしない良い驚きが10回に1回くらいはありますけど、残りの9回は、「ああ、こんなふうになっちゃったんだ」って思う(笑)。だから最近は、思ってることに自分とそんなに差がない決まった監督さんとしか、仕事をしないですね。人間や社会を見つめる目線に大きな違いのない監督さん。人間を描くのが仕事なのに、目線の高いスタッフは脚本家も含めてたくさんいる。自戒を込めて言いますが。

映画祭での上映について

―東京国際映画祭では、今回Nippon Cinema Now部門でワールドプレミア上映されます。これに対して現在の心境を聞かせてください。

東京国際映画祭は、今までオープニング作品やコンペなどいろいろな部門で上映してもらっている縁が深い映画祭ですが、Nippon Cinema Now部門は初めてです。Nippon Cinema Now部門では「海外に紹介したい映画」といった主旨が掲げられているので、多くの国の人に観てもらえる作品になるといいなと思ってます。

―海外の映画祭への出品については、どのように考えていますか。

どんどん出品したいと思っていますので、この作品もチャレンジしていきたいなと思ってます。

―最後に、トロントの読者にメッセージをお願いします。

トロントで観ることができるようになれば、ぜひ観ていただきたいですし、トロントで上映してくれって、みなさんが大きな声を上げてくれたらいいなと思います。トロントには行ったことがないので、ぜひ行ってみたいですし。

©2022「雑魚どもよ、大志を抱け!」製作委員会足立紳監督 (Adachi Shin)

アダチ シン

1972年、鳥取県生まれ。相米慎二監督に師事。『百円の恋』(2014)、『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』(2017)、『アンダードッグ 前編・後編』(2020)などの脚本を手掛ける。自らの脚本で監督を務めた『14の夜』(2016)が監督デビュー作で、『喜劇 愛妻物語』(2020)でも監督・脚本を手掛けた。2023年10月からのNHK連続テレビ小説「ブギウギ」の脚本も控える。

『雑魚どもよ、大志を抱け!』
地方の町に暮らす小学生が近所の仲間たちと遊びまわる日常に、気の進まない学習塾通いや母親の病気など、楽しく遊んでいるばかりではいられないことが増えてくる。仲間たちと過ごす中、それぞれの家庭が抱える問題に直面し、学校でのトラブルに巻き込まれていく。
原作・監督・脚本:足立紳
主演:池川侑希弥、田代輝、白石葵一、松藤史恩、岩田奏、蒼井旬、坂元愛登、臼田あさ美/永瀬正敏
©2022「雑魚どもよ、大志を抱け!」製作委員会

みえ
大阪在住の映画好き。好きな監督の日本未公開作見たさに日本語字幕なしの輸入DVDを見始めたのが2000年頃。さらに、未公開の最新作見たさに2009年からトロント国際映画祭に行くようになり、映画三昧の今に至る。