秋を告げる風景─オンタリオ州で体感するサーモン・ラン|特集「サーモンラン&トロント国際映画祭

秋を告げる風景─オンタリオ州で体感するサーモン・ラン|特集「サーモンラン&トロント国際映画祭

鮭が生まれてから海に降りるまで育った河川を母川という。そして鮭が産卵するために海から母川へ遡上することを鮭の遡上、英語で「Salmon run(サーモン・ラン)」と呼ぶ。オンタリオ州でサーモン・ランは秋の風物詩。川の流れに逆らい、段差があれば何度となく飛び越えなければいけない鮭たちの命の旅を応援しにたくさんの人が川を訪れる。

鮭の旅は「奇跡の旅」

産卵のために遡上する鮭の旅は「里帰り出産」の概念とは遥かに異なるものだ。まず、何も餌を食べずに遡上する。それまで蓄えた栄養だけで何十キロも泳ぎ、途中で2メートルほどの段差を乗り越えるまでジャンプし続ける姿は感動的だ。しかし、その傍ら時間がかかり過ぎてしまうと力尽きてしまう可能性も。

人間に捕獲されることや、クマなどの餌になってしまうこともある。もちろん病気も避けられない。さらに、大雨などで川が急激に増水し、うまく泳げなくなる危険も。子孫を残すためにこれだけのハードルがある鮭。生存率が低いのは驚くことではない。生き残るための旅は奇跡そのものなのだ。

力いっぱい命を繋ぐ鮭

夏の終わりから秋にかけ、川を上ることに成功したメスは川底にくぼみを掘り、一度に数千個の卵を放卵する。そこにパートナーとなったオスが寄り添い放精し、受精が行われる。産卵後、成魚たちは一週間ほどで死んでしまうが、生まれた卵たちは100日ほど、春まで孵化の時期を待つ。稚魚は3歳から4歳になるまで川で成長した後、餌を求め大きな湖へ降りる。それからさらに1年から3年後、生まれた川に戻り産卵する。パシフィック・サーモンの場合この時点で一生を終えるのだが、アトランティック・サーモンは必ずしも死ぬわけではない。生き延びて数回、多いものではなんと7回も繁殖するものもいるそうだ。

遡上するサーモンは「ゾンビ」?

逆流を上る鮭の目的はシンプルに遡上の試練を生き延び、子孫を残すこと。遡上を促す本能が働きだすと、鮭の体は目的地へ進むためだけに力を注ぐ。その体力の使い方の変化と免疫抑制によって臓器が働かなくなるそう。中から腐敗していく鮭の体は、見た目がまるでゾンビのようにおぞましくなることも。それでも最後の力を振り絞って放卵、放精し次の世代に命を繋いでいく。

死を無駄にしない大自然

このような困難を乗り越えて産卵を迎え、死んでいく鮭たちを可哀想に思ってしまうのはもっとも人間らしい考えかもしれない。だが鮭がこれまでして秋に母川に戻ってきてくれるからこそ、冬支度を始める森の動物はしっかり餌を食べることができる。カモメも栄養豊富な鮭の卵を狙って飛んでくる。鮭が死んでしまったあとも、腐敗する体は60種類もの無脊椎動物の餌になり、川の中の藻類の栄養にもなる。死骸がクマやキツネによって陸に運ばれることで木々の肥料にもなり、森を育てている。鮭の命は自然が無駄にさせないよう成り立っているのだ。

サーモン・ランはいつが見頃?

見頃は早ければ8月下旬から10月下旬まで、気温が3℃から18℃の間がベスト。10月のサンクスギビングあたりがピークと言われている。サーモン・ランは紅葉の時期とも重なるので、合わせて見に行けるのも楽しみのひとつだ。サケ科であるニジマス(Rainbow Trout)は春(3月から4月)の間も目にすることができる。

オンタリオのサーモンの特徴

サーモンやマスは遡可魚、つまり海で暮らしながらも産卵の時などに海から川へ上る魚だ。海水と淡水、どちらでも生息することが可能である。オンタリオ湖のサーモンの場合、一生淡水でしか暮らさない。種類は大きく2つに分けられる。ひとつは在来種、そしてもうひとつは外来種だ。

在来種のアトランティック・サーモンは一度絶滅し、人工的に増やされたもの。そして同じく外来種(チヌーク・サーモン、コホ・サーモン、ブラウン・トラウト、レインボー・トラウト)はもともとオンタリオ湖に生息していなかったが人為的に持ち込まれたものだ。

太古から存在する魚

在来種のアトランティック・サーモンがオンタリオ湖に住むようになったのは今からおよそ1万2000年前、氷河期の終わりだと言われている。氷となっていた海と湖の水が溶け、後に川で繋がったことからサーモンが湖に移動できたそうだ。オンタリオ湖は淡水だが、水はセント・ローレンス海路を通じて海水のある大西洋に流れ込む。

先住民の生活と信仰の中心だったサーモン

アトランティック・サーモンは先住民の命を繋いできた大事な食料だった。栄養だけに及ばず、文化や儀式、交易でも大きな役割を果たしてきた。アニシナベの文化で魚は星たちの知恵を持つものだと考えられている。彼らの創造神話では、人々は皆自然から命をもらっている。魚は四元素の一つである水との関わりを象徴しているため、大事にされてきた。そして魚を大切に扱うことは自分の健康を大切にすることだという教えがある。

先住民とは異なる入植者たちの価値観

1700年代、カナダにはサーモンが大量に生息していた。当時増え始めていたヨーロッパからの入植者たちはサーモンを売り物にし、1800年代に入る頃には樽単位で売られるほど釣っていた。1807年に初めてアトランティック・サーモンを保護するための法律が可決され、現在オンタリオ州である部分の川では漁網や堰(せき)などを設置できなくなったが、3年後には無効になってしまった。

滅ぼされたサーモンの環境

ほんの一部の川で制限があったものの、1月1日から10月25日まではサーモンが釣り放題だったという。1821年から再び徐々に規制が掛かるようになったが、1800年代後半には明らかに魚の数が激減したという記述が残っている。人口が爆発的に増え食料が必要になり、木材などの資源の需要も増した。ダムの建設もサーモンの遡上を大きく妨げた。自然はあっという間に滅ぼされ、1898年にアトランティック・サーモンは絶滅に至った。

サーモン再導入への道のり

1900年代にはチヌーク・サーモンとコホ・サーモンをオンタリオ湖に人工的に再導入する計画が何度か行われた。何十年もの努力の末、1990年にやっとオンタリオ湖の北側でその2種類が大量に生息しているのが見つかった。

2006年からはオンタリオ州政府と州の40にも上る環境保護団体や企業が提携しLake Ontario Atlantic Salmon Restoration Programというプロジェクトが実行されている。
オンタリオ先住民に欠かせない存在だったアトランティック・サーモンを再導入することは、植民地主義によって生活と文化を奪われた彼らの傷を癒すことにもなる。

鮭の遡上「オンタリオの川をのぼるサーモン」豆知識トリビア編

01. 「母川に戻る時期」を鮭はどう知っているのか

©︎Algoma Kinniwabi Travel Association

スケジュール帳も持たなければ人生計画もない鮭たちは、自らの年齢や成長、ホルモンの分泌、気温と水温、蓄えた体力などが体に繁殖期のシグナルを送るそう。

02. 鮭はどのようにして母川を探すの?

鮭の母川回帰(自分の生まれた河川に戻ること)の仕組みは完全には解明されていない。色々な説がある中で有力なのは、鮭の脳の中はコンパスのようになっていて、生まれた川の方角が分かるという説。
そしてもう一つは匂いを頼りにしているという説。川は成分の組み合わせによってひとつひとつ独特の匂いを持っているため、鮭はその匂いを嗅いで母川に戻ることができるという考えだ。

03. 鮭の体は自動的に塩分調整ができる

鮭は、淡水から海水へと環境が変わっても生き残れる特別な魚。エラや腎臓が調整機能を持っており、体内の塩分濃度が変わらないようになっている。海水に入ればエラが余分な塩分を出し、腎臓が水分を取り込む働きをしてくれている。

04. 北米で過去最大のアトランティック・サーモンは〇〇キログラム

©︎Algoma Kinniwabi Travel Association

アトランティック・サーモンの長さは大体70cmほど、重さは3.5kgから4.5kgほど。だが北アメリカでこれまでに見つかっているもので一番大きいものはなんと体重32.6kgにも及ぶ。この差は日本人の赤ちゃんの平均体重と9歳児男子の平均体重を比べているのと同じ!

05. 鮭がジャンプできる高さはどれくらい?

オンタリオの鮭は平均的に2、3メートルをジャンプし、川の段差を遡上している。人間界では走高跳びの男子世界記録が2m45。キューバのハビエル・ソトマヨル選手が1993年に記録して以来塗り替えられていない。人よりだいぶ小さい鮭が逆流を飛ぶ姿は凄まじいものだ。

06. 鮭の年齢は鱗で分かる

©︎Algoma Kinniwabi Travel Association

鮭の鱗の模様は木の年輪のように年齢を表す。鮭の鱗は木の年齢とはちがって1年に線が何本も出てくる。冬の餌が少ない間、線と線の間が狭くなっているところを「冬季帯」と呼び、その冬季帯の数で何回冬を越したか、つまり何歳かが分かるのだ。

07. 鮭のパートナー選びは人間と似ている

2016年出版の「Canadian Journal of Fisheries and Aquatic Sciences」に、鮭の繁殖行動について面白い論文が掲載された。2年に及ぶ研究結果によると、メスはオスの体の大きさよりも住む環境の良さでパートナーを選んでいることが明らかになった。産卵床に適している環境(生まれた卵の生存率が高い安全な場所)にテリトリーを持つオスはそうでないオスよりもメスに出会う可能性が高く、受精した卵の数も多かった。鮭は人間のように慎重にパートナーを選んでいるようだ。

08. サーモンと鮭の違いってなに?

サーモン

サーモンと鮭の違いは生で食べられるかどうか。鮭はアニサキスなどの寄生虫がいるため生では食べられず、大体「焼き鮭」になって出される。

調理後「シャケ」?

かわって「サーモン」はお刺身やお寿司のネタでよく出回っている。だが、これは実は「トラウトサーモン」で日本語では「サケ目サケ属ニジマス」なのだ。

サケ目サケ科に属するたくさんの魚の名前は育つ環境や地域、時期、天然か養殖かなどで名前が変わるためサケと鮭、マス、など名前の区別が大変難しい。川で生きているからマス、海水で生きているからサケ、とは限らないのだ。

09. サケとシャケ、違いはある?

これに関してはさまざまな説がある。調理前の呼び方を「サケ」、調理後が「シャケ」という説や、「シャケ」は江戸っ子訛りだという考えも。そのほか、「サケ」と「シャケ」はアイヌ語の「サクイベ」、「シャケンベ」から来ているという説もある。どれも定かではないが、どちらをいつ使っても間違いはないようだ。

鮭の遡上を見に行こう!
Salmon runオンタリオ州おすすめ観察スポット

サーモン・ランが観察できる時期は8月末から10月末まで。意外にトロント市内でも見られるので、気軽に行くことができる。サーモン・ランにちなんだイベントも開催される。自然の一大イベントを大人も子供も一緒に楽しもう!

01. Toronto & North York: Don River

Lower Don River Trailを北に向かって行くとDon River Fish Ladderに出くわす。TTCの駅で言うとBroadviewが近いのだが、トレイルの入り口が限られているため場所を選ぶ必要がある。オプションの中で最も簡単なルートはCorktown Commonsから入ること。約5.5kmのハイクまたは自転車移動でたどり着くことができる。Don River Fish LadderまたはPottery Barn Bridgeからサーモン・ランを観察できる。

02. Etobicoke: Humber River

©︎Destination Toronto-Humber Bay Park

エトビコのハンバー川で鮭を見に行くならEtienne Brule Park近くにあるOld Mill Damがおすすめ。特に雨の後は増水するため、その川の流れは鮭の遡上を助けるそう(ただし記録的な大雨などは反対の効果がある)。

03. Mississauga:Credit River

ミシサガにはクレジット川が流れている。Culham Trailというトレイルを川に向かって歩くとサーモン・ランが間近で見られる。近郊にあるMeadowvale Conservation Areaは観察スポットとして有名。

04. Scarborough: Highland Creek/Morningside Park

スカボローのMorningside ParkではAdventures of Salmonというイベントが毎年開かれている。この行事では鮭のライフサイクルや種類、鮭と先住民文化について学ぶことができる。Toronto and Region Conservation Authority(TRCA)主催で、もちろん環境保護についても知ることができる。クラフトやゲームもあるので、子供から大人まで楽しめるイベントだ。

All Photos ©︎Toronto Region and Conservation Authority

今年の開催日は10月5日(日曜日)。イベントではトレイルのツアーも開催される。セルフツアーまたはガイド付きツアーから選べる。参加費は無料だがレジストレーションが必要。詳細はウェブサイトにて⬇︎
https://trca.ca/salmon-adventures/

05. Oakville:Bronte Creek Provincial Park

©︎Wikimedia Commons-Yinan Chen-Bronte Creek

Bronte Creek TrailやHalf Moon Valley TrailがBronte Creek(小川)沿いにあるので便利。一般的なチヌーク・サーモンに加えコホやアトランティック・サーモンが見られる可能性も。

06. Durham:Seaton Trail, Duffins Creek,Greenwood Conservation Area

ダラム地域には観察スポットが3カ所ある。PickeringのWhitevale Parkを通るSeaton Trailと、もう少し東にあるAjaxのDuffins Creek。そしてハイキングトレイルが有名なGreenwood Conservation Area。

07. Port Hope

©︎Wikimedia Commons-Mhsheikholeslami-Port Hope-Fish Ladder

トロントから車で東へ約1時間半の距離にあるポートホープでは毎年秋になると5,000から1万9000匹ものチヌークとコホ・サーモンがガナラスカ川(Ganaraska River)を遡上する。ガナラスカ川は州の中でも最も綺麗な川のひとつ。3月下旬から5月上旬にも9,000匹ほどのマスが遡上する。ダウンタウン・ポートホープやコルベット・ダム(Corbett’s Dam)、リバーサイド・トレイルなどから観察できる。

08. Sault Ste. Marie

©︎Destination Ontario-Colin Field-Sault Ste Marie

スペリオール湖とヒューロン湖を繋ぐSault Ste. Marieは有名なサーモン釣りスポット。マスやウォールアイ、ホワイトフィッシュなども集まる。

©︎Destination Ontario-Sault Ste Marie-Algoma-Fishing

川の向い側はアメリカのミシガン州で、同じ名前の街が存在するユニークな場所。毎年スティールヘッド・サーモンやアトランティック・サーモンがセントマリー川(別の表記をセントメアリーズ川)を遡上する。

©︎Destination Ontario-Rami Accoumeh-Sault Ste Marie
©︎Destination Ontario-Luigi MallozziPhotography-Sault Ste Marie

09. Thornbury

©︎Destination Ontario-Thornbury

ジョージア湾に面するThornburyにはFishwayと呼ばれる鮭の通り道がある。通常ダムが遡上を妨げてしまうところをFishwayが助けている。ここにはレインボー・トラウトやチヌーク・サーモンが春や秋に訪れる。ThornburyのあるBlue Mountainsというエリアでは釣りも人気。ダウンタウンからすぐ南にあるClendenan Conservation Areaにはビーバー・リバー・トレイルが直結しているのでサーモンを観察するのに最適。

観察する時のマナー

©︎Wikimedia Commons-Istvan Banyai-Humber River
  • サーモン・ランの期間、川に入っていいのは釣り目的のみ。鮭の旅の邪魔にならないよう川の外から観察しよう。
  • ゴミは持ち帰り、川を綺麗に保とう。
  • ペットと一緒にトレイルと歩く人は必ずリードを使い、フンもしっかり持ち帰ろう。
  • 鮭の応援は静かに。サーモン・ランは奇跡の旅を目撃できる特別な機会。自然の感動的な瞬間を尊重しよう。

おわりに

セミが静まって秋の虫が鳴き始めたり、夜風が涼しくなったり、何かしろ「あ、秋だな」と思わせるサインが誰にでもあるはず。オンタリオの人々は長年サーモン・ランを秋の大事なイベントとして守ってきた。なかなか味わえない、大自然の奇跡を一度は目にしてみたいものだ。