カンヌ国際映画祭脚本賞受賞『ドライブ・マイ・カー』濱口竜介監督 特別インタビュー|第二特集 「トロント国際映画祭」


 今年のトロント国際映画祭では、Special Presentations部門で濱口竜介監督の新作『Drive My Car』(邦題:『ドライブ・マイ・カー』)が上映される。本作は、7月にカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品されて脚本賞を受賞したほか、独立賞である国際映画批評家連盟賞、AFCAE賞、エキュメニカル審査員賞も受賞するなど、4冠に輝いた。また、濱口監督は3月にベルリン国際映画祭でも『偶然と想像』で銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞し、世界の映画祭を席巻している。

 そんな濱口監督に、『ドライブ・マイ・カー』の製作秘話からコロナ禍での映画の製作や上映に対する思いまで、お話を伺った。

映画『ドライブ・マイ・カー』について

―『ドライブ・マイ・カー』は村上春樹さんの短編小説の映画化とお伺いしました。なぜこの短編を映画化しようと思われたのでしょうか。

 前作『寝ても覚めても』の山本晃久プロデューサーに、かねてから村上春樹さんの短編で映画化しませんかと言われていました。山本さんが提示された作品はちょっと難しいなと思ったんですが、「ドライブ・マイ・カー」なら自分の興味とかなり近いことを扱っていたので、これだったらアプローチしようがあるなと。興味を持ったところというのは、車という移動するプライベートスペースに、決して饒舌ではない2人が乗り合わせて、あるときに急に関係が深まっていく、その描写が、メインキャラクターの家福とみさきの性格も相まって面白かったということ。あと、その主人公が俳優で、演じることを生業にしているということ。そのことが、自分がそれまでにやってきた仕事とつながる点がありました。

―映画では「ドライブ・マイ・カー」の他に、同じ短編集「女のいない男たち」に収録された「シェエラザード」と「木野」の話も取り入れ、オリジナルな部分も加えられています。原作のファンのことは気になりませんでしたか。

 原作ファンというか、村上春樹ファンの期待に応えるものにしたいとは当然思いました。原作の物語をお借りするときに、ある種の責任はあります。一方で、文章をそのまま映像化することがよい映画化ではないと思っているので、変えなくてはいけない。ただ、その変え方が作家の精神に反しないものである必要があると思っていました。「ドライブ・マイ・カー」は50ページくらいの短編で、ここから広げなければなりません。村上春樹さん自身が前書きに書かれているとおり、「女のいない男たち」という短編連作集そのものが共通したテーマを扱っているので、その中から何か見つけようと読んでいて、「シェエラザード」のセックスした後に女性が語り始めるという要素と、主人公がこの後どうなるかという「木野」の要素を取り入れました。「ドライブ・マイ・カー」は、ある程度途中で切れているようなところで終わりますが、「シェエラザード」が「ドライブ・マイ・カー」の過去に当たる部分を埋めて、「木野」が未来に当たる部分を埋めてくれた感じです。

©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

―約3時間の上映時間は、短編集の映画化にしては長い印象を受けました。もともと3時間で作るつもりで、プロデューサーも了承していたのでしょうか。

 ある程度長くなるとは思っていましたが、まあ2時間半くらいかなと思っていたら、意外と長くなってしまったなというのが正直なところです。プロデューサーも最初に尺を伝えたときはドン引いたと思いますね。でも観ていただいた結果、これは切れないと言っていただいた。それはありがたいことでした。

―『ドライブ・マイ・カー』の原作に登場する主人公の家福は俳優ですが、映画では舞台演出家で、過去に監督が採用してきた演出の手法を思わせる場面がありました。主人公の姿に、ご自身の姿を重ねるようなところはあったのでしょうか。

 自分の姿を重ねるというよりは、演出家というアイデアは、構造的なところから生まれました。実は、コロナ以前の企画段階では、韓国の釜山で撮る予定だったんです。この映画では車がたくさん走ることは明らかなのですが、東京では車の撮影はしづらい。韓国の釜山だったら車を自由に走らせられて、撮れるんじゃないかと。そのときに釜山に行く理由として、国際演劇祭に呼ばれることになり、そうすると俳優よりも演出家としてのほうがリアリティがあるので演出家としました。じゃあその演出家は、一体どういう演出をしているのかと考えたとき、結局のところ自分にとって、こうしたら良い演技ができていくと確信できる説得力のある手法が、映画か演劇かにかかわらず自分がやっている手法だったということでしょうか。もともと自分が良い演技を作ろうと思ってやっている手法が、結果的に残りました。

―車について、原作に登場する車は黄色ですが、映画では赤の車がとても印象的でした。なぜ赤い車にされたのでしょうか。

 原作では、車は黄色いオープンカーですが、そのままでは難しいだろうと思っていました。一番の理由として、オープンカーがまず難しいと。この映画では会話が中心になっていて、特に車の中での会話がとても大事ですが、オープンカーだと風のノイズが入ってしまい、同録で撮れなくなります。あと、車を撮ることで風景自体も撮ることができるのではないかと思っていて、そういう画を撮ることが、もともとアイデアの中にありました。実際に映画の中にも結構あるように、車が自然なり街なりを抜けていくところを引きで撮っています。そのときに車が黄色だと、緑などと似た色で少しくすんで見えるだろうから、おそらく赤のほうがいいだろう、と思っていました。実際に車を探すに当たって、黄色いオープンカーも一応見ておくことにしていたのですが、車を手配してくれた会社の担当の方が乗ってきたのが、この赤い車でした。そのとき、遠くからやってくる姿が格好良く、実際にとても大事に使われている車だったので、これがすごく物語にも合っているんじゃないかということで、これになりました。

©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

―最後のほうで車のサンルーフを開ける場面がありましたが、これはたまたまですか。それとも原作のオープンカーのイメージから来ているのでしょうか。

 両方あるかもしれません。車のサンルーフが開く機構になっていることは、僕が知らなかったという意味で、たまたまです。でも、こういうメカニズムになっているのがこの車で、ここが開くのか、何かに使えないか、となったときに、原作にもあった2人で煙草を吸う場面が自然と重なってきた感じです。確かに、車が走っているけれど生身の身体が外に出ているイメージというのは、原作のオープンカーから発想したかもしれません。

―運転手のみさきの生い立ちには、原作にはない自然災害が登場します。監督の過去の作品でも、日本固有の自然災害が人生に刻まれるような人の姿が印象的でした。そのあたりは、何か意識的に取り入れているのでしょうか。

 意識的にということではないかもしれません。ただ、2011年に東日本大震災が起きた後にドキュメンタリーを作っていて、それは自分にとってとても大きな出来事でした。2年くらい現地にいてドキュメンタリーを作っていたので、人生の中に刻まれるようなことではありました。震災というと話が大きくなりますが、そこにいる人にとっては、ある日突然わけもわからず、自分の持っていたものや自分と関係のある人が奪われてしまうという体験なんですね。それがたまたま地理的に大きなことだったからみんなが共有しているけれど、当人にとっては極めて個人的なことでもあるというか。そして、そのようなことは自分にも誰にでも起こりうるし、実際に起きていると思ったので、その実感は自分の基本的な考え方になっていると思います。

©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

映画祭への出品に対する思いや、映画作りについて

―トロント国際映画祭への出品は、前作の『寝ても覚めても』に続き二度目です。今年は上映作品が200本弱と、以前の半分以下に絞られた中で選ばれており、とても注目されていると感じます。現在の心境はいかがですか。

 トロント国際映画祭は北米最大の映画祭でもあるので、そういうところで自分の作品を前回に続いて上映してもらえるというのは、本当にありがたいことだと思っています。前回行ってトロントの街もとても好きになったので、今回も行きたかったですけれど、叶わないのはすごく残念に思っています。

―前作から2作連続ですもんね。

 まあ『偶然と想像』という映画があって、どっちが先かと考えると連続かどうかいまいちわからないですけれども。日本での公開は『ドライブ・マイ・カー』のほうが先なので、順番は結構あいまいですが、ありがたいことだと思っています。

―あ、そうですね。ベルリン国際映画祭では『偶然と想像』のほうが先に上映されていますね。すごく公開日も近く2作品が出てくるわけですが、これは同時進行で撮られていたのでしょうか。

 そうですね。本当に同時進行という感じで、2019年頃からどちらのプロジェクトもスタートしていました。『偶然と想像』のほうはインディペンデントでやっているような企画で、いつでも空いているときに撮ればいいかなという感じで、『ドライブ・マイ・カー』のほうが先に完成するんじゃないかと思ってやっていました。『ドライブ・マイ・カー』は2020年3月くらいから撮り始めましたが、その頃に感染者数が増えてきたこともあり、前半40分くらいの東京編だけ撮って、後半を8ヶ月後に広島で撮り始めることになりました。その8ヶ月空いている間に『偶然と想像』を撮る余裕があったので、そちらは完成してしまい、結果的にものすごく近い完成時期になりました。

―監督にとっては、同時進行で別のプロジェクトを動かすのは普通のことなのでしょうか。

 負担はありますけど、『偶然と想像』に関しては長編を作るためのリズム作りというところもありました。短編を3つ集めているんですけど、自分の中ではむしろ良いリズムだったという感じがありました。

―『偶然と想像』はベルリンで受賞されて、『ドライブ・マイ・カー』はカンヌで受賞と、ここのところ、新作を発表するたびに映画祭で評価されている印象を受けていますが、どのようなお気持ちですか。

 単純に驚きますよね。本当にそういうこともあるんだなあという感じです。映画ファンとして、三大映画祭がすごく注目を集めるものだということはわかっているので、自分がそのコンペティションに1回参加するだけでもすごく名誉なことですし、連続してそういうことが起こるのは、ありがたいと思うばかりです。

―ここ最近の受賞続きで、今までと変わったことはありますか。例えば取材がものすごく増えたり、オファーがいっぱい来るようになったりとか、以前に比べてずいぶん忙しくなったとか。

 オファーはそんなに来ないですけど、取材は増えましたね。それは間違いなくあると思います。でも、以前に比べて忙しさが激変したわけではないですね。『寝ても覚めても』のときもカンヌのコンペに出て取材していただいたり、映画祭に呼んでいただいたりしたので、そこはそれほど変わりません。でも、何か新しいものを始めようというときに、いろいろ舞い込んできて、どっちを優先しようかなという感じではあります。

―映画祭にたくさん呼ばれて行くようになって、ご自身の映画作りに何か違いが出てきたとか、作品が変わってきたということはありますか。

 どちらかというと、自分が軸としているものをそのまま保って大丈夫なんだなと思うようになりました。自分が単純に面白いと思って作っていたものが何本か連続で映画祭に呼んでいただけるということは、自分がやりたいと思うことをまだしばらくやっていても大丈夫なのかなと勇気をもらう感じです。自分が面白いと思って作っているものが人から否定されたら悲しいというのは単純にあると思うんですけど、むしろ自分が面白いと思っているものを作ったほうが、そういう悲しい思いをしなくて済むのかなという気持ちになっています。

―逆に、自分が面白いと思っているものを作れなかったときもあったのでしょうか。

 それは実力不足で多々あると思いますね。なかなかうまくいかないことは、ずっと繰り返しています。

―その中で、できるだけ自分が面白いと思えるものを作ろうと進んでこられたのでしょうか。

 そうですね。幸いにして、やりたいこと以外はやらずに来たので、その中で精度をどれだけ高められるか、ずっとトライアンドエラーをしている感じです。自分が面白いと思うものというのは、だいたい過去の面白い映画を観て、こんなに面白い映画があるのか、どうやったらこんな境地に行けるのか、というところから始まるんですけど、試しながら徐々に精度を上げている感じです。

―精度が高められずに終わるときというのは、時間や予算の制約によるのでしょうか。

 それも一応あると思います。予算がかけられれば時間もかけられて、できることが増えるのは明らかですけど、経験が足りず、何ができて何ができないかをちゃんとわかっていないためにできないことが、たくさんあると思います。同じ予算でも最短距離を知っていればたどり着けることが全然違ってくるので、たどり着けない要素は、見識が足りないか、勇気が足りないか、だと思います。

―経験を重ねるうちに、だんだん最短距離に近づいているイメージでしょうか。

 それはそれでありつつ、でも回り道から得ることも本当はすごく多いので、最短距離ばかり行っていると他のことに対応できなくなるというのもあります。何かに習熟していきつつ、同じことばかりはやらないようにしたいと思っています。1作ごとに何か挑戦があるようにはしたいなと。

オンライン配信に対する思いについて

©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

―今年のトロント国際映画祭は、昨年に引き続き、現地の数箇所の会場での上映とオンライン配信の併用となり、『ドライブ・マイ・カー』をオンラインでご覧になる方も出てくることと思います。従来の映画祭とは異なる形態でのお披露目については、どのように受け止められていますか。

 基本的に映画祭にとって一番望ましい形は、リアル開催に尽きると思います。オンライン開催はあくまでも次善の策というか。ただ、映画館での体験とオンラインでの配信は、補完関係にあると思います。こういう状況だとオンラインだったら安全に観られるとか、時間や空間をあまり意識せずに観られることは、本当に優れた要素だと思っています。これは映画祭だけでなく一般的な劇場にとってもそうだと思っています。この関係があることはとても良いことですが、基本的に映画というのは、やっぱり映画館で観られて一番能力を発揮するものだと思っているので、その核があってこそのものという気はしています。ですので、トロントの人たちがこうやってリアルの開催までこぎつけたことには、すごく敬意を覚えます。大変な状況であることは去年とそんなには変わらないと思いますし、オンラインにすることによって増える負担も多々あると思うので、その労力には敬意を表したいと思っています。

―こんな状況なのでオンラインも必要だとは思うけれど、やはり第一には映画館で、ということでしょうか。

 そうですね。やっぱり配信で観てもらうようには作っていないので、楽しみたいと思ったら映画館で観ていただきたいというのが正直なところではあります。ただ、観ないよりは観たほうがいい、と自分自身も映画ファンとして思います。自分も配信を使って観るものがたくさんあるので、オンライン配信でしか観られないのであれば、できれば観てほしいと思っています。

―いま、外国の有名な監督さんでも予算を出してくれるネットフリックスに、といった動きがありますけれども、そのあたりはいかがでしょうか。

 いま言ったことが保たれるならば、映画館での上映が作品にとって第一のものであるという認識のもとにやらせてもらえるのであれば、拒まないですけれど、それがないなら難しいなと思います。

―最初から配信と言われると、ちょっと…という思いはあるのでしょうか。

 やっぱり作り方がどうしても変わってくるんじゃないかという気はします。『ドライブ・マイ・カー』もそうですけど、最初から最後まで注意深く見てくれることが前提の語り方ってあるわけですよ。それならば最初どれだけ訳がわからなくても、後でわかってくるように作れる。それが配信でいつでも離脱できるようになると、最後まで観てもらうために作り方を変えなきゃいけないところがどうしてもあります。もちろんそれで面白くなることもあるかもしれないですけど、わからなさこそ実は「面白さ」の核心で、わからなさを保つことでより面白くなると思っているので、そういう点では映画館のほうがありがたいかなと。

ミニシアター・エイド基金や、コロナ禍での今後の映画製作について

―昨年4月、コロナ禍で日本全国の映画館が一斉に休館に追い込まれた際には、深田晃司監督らとともにクラウドファンディングの「ミニシアター・エイド基金」を立ち上げ、小規模映画館を支援する大きな動きとなりました。その経緯や、映画館やミニシアターから受けた影響などがあれば教えてください。

 『ドライブ・マイ・カー』の撮影が3月に中断して、3月後半からどんどん感染者数が上がっていた頃に、名古屋シネマスコーレという映画館が、もう危ない、というインタビューを受けていました。自分自身の作品も上映してもらっていたような劇場が、コロナ禍のなかで当たり前のように客が減って、もうあと1、2ヶ月で閉館するかもしれないという状態だと突きつけられて。そうなると他の劇場もそんなに変わらないだろう、と思うと、自分の映画をかけてくれるところがなくなってしまう、という思いもあるし、何より自分が映画を観る劇場がなくなってしまうというのも辛いところでした。それで、できることをしようということで、クラウドファンディングを立ち上げようと。モーションギャラリーというクラウドファンディングのサイトの大高健志さんという方と、自分の映画のプロデューサーでもある岡本英之さんと高田聡さん、あとは深田晃司監督と、結果的に5人でクラウドファンディングを立ち上げました。経営基盤の弱い小規模劇場がどうにか生き残っていけるように、こちらからも声がけをして、こういうクラウドファンディングに参加しますか、という話をしたら、100を超える劇場が集まりました。最終的に約1ヶ月で3億円くらいが集まり、1館当たり平均300万円くらいが分配できるようになりました。

―時期的には、3月に『ドライブ・マイ・カー』の東京編を撮影されて、その直後くらいですよね。本当に短期間で立ち上がったのでしょうか。

 そうですね。これは、みんなそうだったと思いますが、撮影が止まってしまって、あの頃みんなやることがなかったんですよ。その条件がそろっていたというか。みんなそれなりに大変なことで、そこに時間を割ける環境があったということですね。

―『ドライブ・マイ・カー』がこれから公開されるのは、どちらかというとミニシアターではなく大きな劇場かと思いますが、これから作っていく映画は、まだまだミニシアターでかけていくと思っておられたのでしょうか。

 そういう気持ちもあります。おそらく『偶然と想像』のほうはミニシアターを中心に上映していただくことになると思うので、どうやったらそういうところに映画が回っていくかもある程度考えることにはなります。あともうひとつ、一般公開が終わって過去作になれば、いろんな選択肢が出てくるんじゃないかと思うので、きっと『ドライブ・マイ・カー』だってミニシアターで上映してもらえると思います。そうして、作った映画がミニシアターで上映されるようになると良いかなと基本的には思っています。

―『ドライブ・マイ・カー』は3月の撮影の後、8ヶ月後に撮影再開して完成されたということでしたが、これからの映画製作はこれまでと変わっていくのか、どんな感じになっていくのでしょうか。

 自分がいま新たに関わっているプロジェクトは特にはなく、すごく小規模なドキュメンタリーみたいなものをやろうかとは思っていますけれども、いまのところはそれくらいしかありません。ですので、どういう傾向になっているかはわかりませんが、しばらくはリスクのある状況が続いていくと思うので、これまでより小さなチームでやるのがひとつの選択肢になるとは思っています。

―2020年の3月時点だと、感染対策もしながら撮影されたのでしょうか。この頃はまだマスクも手に入らないなど、大変なときだったのではないかと思いますが、スケジュールが思うようにいかないことなど、なかったのでしょうか。

 3月の頃は、感染拡大してきたあたりでギリギリ撮影が終わって、そこまで大きな影響はなかったんですが、11月の頃は真っ只中で、気を遣いながらやっていたと思います。ただ、幸いにもスケジュールに影響が出るようなことはありませんでした。

―もともと感染対策も織り込んだスケジュールだったのでしょうか。

 いや、そんな余裕はありませんでした。だから感染者が出ていたらどうしていただろう、と思うところではありますけれども、たまたま出ることなく、予定通り終わりました。

―次回作は未定のようですが、また脚本から書くとなると、ある程度の時間をかけて考えることになるのでしょうか。また、わりとご自身で脚本を書かれている印象がありますが、他の方が書いた脚本で監督だけしてください、ということも今後は考えられるのでしょうか。

 そうですね。まあ本当にこういうのは巡り合わせといいますか、ぱっと出てきたり、ずっと出てこなかったりするものなので、出てきたときにやろうかなと思っています。他の方の脚本で監督することも、まったくないわけではないと思います。自分が、これはやりたいと思う脚本があれば、当然やりたいです。ただ、少なくとも自分でまったく変更ができないのはちょっと難しいと思います。

―最後に、トロントの読者にメッセージをお願いします。

 『ドライブ・マイ・カー』は、自分が作った中でも最も面白い映画のひとつだと思っていますし、村上春樹ファンの期待に応えるものにもなっていると思いますので、ぜひご覧いただきたいなと思っています。今回は行かれなくて本当に残念ですけれども、また呼んでください。それでお会いできたら嬉しいです。

濱口竜介監督プロフィール

 1978年、神奈川県生まれ。東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作『PASSION』(08)がサン・セバスチャン国際映画祭で高く評価され、『ハッピーアワー』(15)はロカルノ国際映画祭ほか数々の映画祭で脚本賞や監督賞を受賞。『偶然と想像』(21)はベルリン国際映画祭で銀熊賞(審査員グランプリ)を受賞、『ドライブ・マイ・カー』(21)はカンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞、と快挙が続いている。トロント国際映画祭への出品は、商業映画デビュー作『寝ても覚めても』(18)に続き2度目。

『ドライブ・マイ・カー』
(英題:『Drive My Car』)

©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会
©2021 『ドライブ・マイ・カー』製作委員会

 舞台俳優兼演出家の家福(西島秀俊)は、妻の音(霧島れいか)と幸せな日々を送っていた。仕事に向かう車では、妻が相手役の台詞を吹き込んだテープに合わせて台本を読む毎日。そんな日常が、ある日突然変わってしまう。2年後、広島の演劇祭で寡黙な専属ドライバーのみさき(三浦透子)と出会う。日々の送迎の車中をともに過ごすなか、2人は徐々に過去と向き合い始める。

監督:濱口竜介
脚本:濱口竜介 大江崇允
出演:西島秀俊 三浦透子 霧島れいか 岡田将生
原作:村上春樹「ドライブ・マイ・カー」(短編小説集「女のいない男たち」所収/文春文庫刊)
©2021『ドライブ・マイ・カー』製作委員会