中国の覇権、アメリカの対抗意識|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明

中国の覇権、アメリカの対抗意識|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明

 トランプ政権時代に米中貿易戦争と称された両国間の争いはバイデン政権になり弱腰になるかとみられていた。その足元を見たのか、中国はその覇権を進めるため、香港の完全掌握化、ウイグルやモンゴル問題の完全否定、南シナ海問題に加え、台湾を取り込みに行く戦略を明白に打ち出した。この動きに西側諸国はどう対応するのか、日本やカナダに影響はあるのか、考えてみたい。

中華思想・戦争と滅亡・指導者の価値観

 今の中国の動きを知るためにいくつかのキーワードをまず押さえたい。それは「中華思想」「戦争と滅亡」「指導者の価値観」だ。「中華思想」は中国の天動説と考えてよい。世界の中心は中国であり、そこから距離が離れるほど野蛮になるという考え方だ。それゆえ、歴史的に朝鮮半島が日本よりランクが上という扱いをしている。

 「戦争と滅亡」は中国史そのものであり、民族間の戦いであり覇者が入れ替わってきた。中国数千年の歴史と言われる一方、人によっては1949年にできた国だろうという人もいるのはそこにある。「指導者の価値観」とはその崇高性の話だ。中国人はお金の話が大好きだが、お金を稼ぐために汗はなるべくかきたくない。つまり物事の本質に足腰が座っていないわけで現在の中国の繁栄も便益的尺度が背景にあり、日本的な努力や平等観、社会貢献の感覚とは違う。例えるなら利益なくして行動なしだ。

 カナダにも中国人主体のコミュニティーがあるが、寛容で誰でも受け入れてくれる。むしろ、人種差別はなく、広い心を持っているともいえる。だが、それは中国ファンを作ることで自分たちの支持層を固めるという戦略を前提にしている。門戸を広げ、味方を増やすやり方だ。

 一方、欧米はどうか?歴史的にみて白人至上主義は否定できない発想だ。いまだにそんなことはあるわけないと思う人は多いだろうが、残念ながら世の中、それほど簡単ではない。誰もがすぐに和解できるなら地球上で戦争も暴動も起こりえないことになる。仲たがいは消えない、そう考えてよい。

 日本は明治維新で欧米に習い努力し、日露戦争で勝利し、欧米から一目置かれるようになった。だが、それで日本が欧米の仲間に入ったと学校では教えるが必ずしもそうではない。欧米人は日本をメンタルでは受け入れていないがうまく付き合う相手という評価をしたのだ。あの時代にフェイスブックがあれば相当頻繁にやり取りしただろうが、接点は特定利益を共有する目標だけの話で日本は手のひらの上でコロコロされたとみてよい。その証拠の一つに二人のルーズベルトがどれだけ日本嫌いだったか紐解けばわかるだろう。

 欧米は中国のように手を広げない。入り口で厳しい試験をする。そして日本は条件付きで合格したのだ。アメリカと同盟関係を結ぶこと、である。ではなぜ、日本はアメリカと仲良くなったのに中国とアメリカは仲たがいするのだろうか?

なぜ中国と米国は仲たがいをするのか?

 これは日中の文化面の相違から説明できる。故芳賀綏東工大名誉教授が凹凸文化圏について研究している。凸文化が中国の典型で攻撃型とされ一般に乾燥地の大陸型性格とも称されている。朝鮮半島も凸型故に血の気が多い。一方、アジアの大陸辺縁や島国は湿潤アジアとされ、協調受身型で日本や台湾がこれにあたる。

 故に日本はアメリカのみならず、中国ともうまくやろうとバランス外交を行うが、中国とアメリカは完全対立の関係に陥ってしまったのだ。この問題は米ソ冷戦時代より解決が難しい。理由はロシア人とアメリカ人はアイデンティティこそ違えど、根っこでは理解し合える背景を持ち合わせているからだ。

カナダはというと?

 カナダを白人主体の国と定義すれば中国とは相いれず、本質的相違感がある。ただし、カナダには中国系の方が多く、政界・財界を含め、影響力をあらゆるところに張り巡らせている。よって加中関係は世論を押し切るような刺激をカナダが中国から受けるかどうか次第だろう。

 目先は8月にも判断が下される孟晩舟ファーウェイ副会長の処遇次第だ。それに伴い、中国で拘留されているカナダの二人のマイケルの処遇も決まってくる。本原稿が公開される頃には動きが出ているだろう。また全体として中国がカナダに対してこの2年ぐらい、厳しい姿勢を取ってきていることで外交関係は急速に硬化、カナダ人の中国人イメージも低下の一途だ。

 このままでいけばファイブアイズと称する西側5カ国と中国の厳しい対立はより現実のものとなり、凹型の日本はバランス外交という名の優柔不断で煮え切らない態度に終始するものと思われる。特に日本の場合、日系企業が大挙して中国に進出しているため、「切っても切れない関係」となり、それが中国にとって担保となっているが、日本政府も日本の財界も盲目そのものだ。

 日本は武器は持っているが、交戦は様々な制約があり、先陣を切ることはできないだろう。その場合、アメリカに頼るということは二股外交になり、いずれ、どちらするか決めよ、と踏み絵を言い渡されることもあろう。我々は韓国をそのように指摘してきたが、実は日本もその点はさして変わらないのが実態だ。

 もちろん、ここに記載したシナリオはごく一面であり、将来の起こり得るケースは数多くあるということは最後に一言だけ申し添えておく。何もないのに越したことはないが、事なかれ主義で都合の良いところだけを歩んできた日本も「そうは問屋が卸さない時代」になったともいえよう。