それでも大学留学、しますか?|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明

それでも大学留学、しますか?|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明

 ポストコロナの行方で一番気になるアイテムの一つは学校の再開であろう。リアルが復活すれば再び「留学」の文字がトルジャの紙面にも踊るに違いない。しかし、日本からの学生が希望に満ち溢れてルンルンしているのは入学するまで。勉強の仕方の違い、取り組み方の違いを乗り越えらえれるか、そこを覗いてみよう。

知識量へのこだわりと日本の入学試験

 私は日本のクイズ番組をよく見る。今に始まったわけではなく、私が小さい頃からクイズ番組は日本のテレビ番組の王道の一つと言ってよいだろう。NHKの連想ゲームは1969年から22年も続いたし、タイムショック、ウルトラクイズ、ぴったしカンカン、ご長寿早押しクイズと続き、最近は東大王なのだろうか?

 基本的にどのクイズ番組も知識量の問題であり、知的能力を問うものではない。雑学を含め、どれだけ広範囲の知識を持っているかが好成績が取れるかどうかにつながり、多くの日本人はこの知識量に対して必要以上の「冠」をその勝者にささげてきたのが歴史であるといって断言してよい。

 英単語を覚えるのに英語の辞書をAから順番に覚えるといった無意味な努力をした人は案外多いと思うが、なぜ。知識量にこだわるかと言えば日本の入学試験がそれにピッタリ当てはまるようにできているからであろう。

 先日、あるテレビ番組で東大にどうやって受かったか、という質問に対し、過去問題10数年分を3回やっただけ、というつわものがいた。理由は傾向と対策からするとこれを繰り返しやることで必要以上に考えずにあとは覚えるだけで済むからであろう。要領がよいといえばそれまでだが。

 一方、東大そのものは一般大学と一味違う仕組みがある。それは大学入学の時は一斉に教養課程に進み、3年から進学選択制度となり、教養の成績順に希望学部に行けるようになる。つまり、1〜2年の時に必死に勉強しないと人気学部には行けないのである。

 そもそも高校の時は校内でトップクラスの成績だった生徒も東大はそのトップばかりが集まる大学であり、その中で志望学部の狭き門に向かうとなれば高校時代より余計に勉強しなくては当然、東大らしい学部卒を勝ち取ることはできない。

 同様の試験はいわゆる「キャリア試験」と称される国家公務員総合職試験も同様だろう。試験に受かってもその成績順に志望省庁の面接試験を受けるため、東大と同様、試験に受かれば一番もビリも同じというわけではなく、とにかく、一人でも上のポジションに行かねばほとんど意味をなさないシビアな世界が待っているといえる。

 この入り口のハードルが高い日本の試験は中国の科挙とは違うが、それに近い象徴性を持たせている点で似ている。つまり、試験に受かればその人の一生が決まるぐらいの箔がつくわけだ。韓国でもソウル大学以外は大学ではないと言われたが、「両班」という特殊階級が長く幅を利かせてきた国だけにソウル大学と両班を同じようなイメージで取り込んだとみてもよいだろう。だからこそ、あの国は日本よりはるかに教育熱心なのである。

 一方、北米の場合、大学入学はSignificant Sixと言われる要素が中心で学校の成績と先生の推薦状、学校以外の活動、面接等が大学入学への道となる。昔から言われるように北米の大学は入り口がひろく、出口が狭い。日本の真逆である。

日本の大学生と北米の大学生

 何故、日本の大学は出やすいのだろうか?私は日本の某総合系大学の評議員をしている関係でそんな話はよく耳にする。要は日本は大学がビジネス化しているのだ。まず、入学試験で儲ける。受験料3万円で1万人も受験したらそれだけで3億円にもなる。大学経営の重要な財源である。つまり大学が著名になることが必要。

 次いで大学はよい就職口提供し、素晴らしいOB、OGが産業界に広く活躍することを良しとしている。卒業生は大学のインフルエンサーだ。そう考えると日本の大学はせいぜい就職のあっせん学校のようなものとしたら言い過ぎだが、8割の人は勉強せずに卒業できるのは紛れもない事実なのである。

 一方、アメリカの大学は4年で卒業する比率はわずか4割程度とされる。入り口がひろいこともあるが、勉強しないと卒業できないのだ。問題は学資ローンだ。大学卒業者の三分の二は学資ローンを抱えており、その残高は一人3万ドルにもなる。仮に卒業できなければ高給の就職口にありつけず、しばしば社会問題にもなる学資ローンの呪縛にはまることになる。しかも悪いことに多くのケースは親がその保証をしているため、学業の不振、留年は親のより大きな保証能力という経済的問題が出てくるのである。

 そのため、北米の大学生は日本とは違い、必死の形相で勉強をする。ハーバード大学は大学図書館が24時間営業しているぐらいだ。

 もう一つは勉強方法や発想の違いだろう。日本は答えは一つという教え方であった。北米はいくつ答えを出すかがコツになる。つまり、考え方とその論理性、客観性、またプレゼンテーションを通じて支持を得らえるか、という点でまるで違う授業が展開される。これは多くの日本の大学生が閉口し、苦手意識を持つところだ。

 敢えて言うなら日本人は自信がなく、間違っているかもしれないことはまず口にしない。こちらの人は嘘でもよくそんなこじつけができるな、という説明をする。それを論破できなければ大学は卒業できない。これぐらい世界は違うのだ。

 そういえば日本の大学生の留学が減っている。こんなコラムを読んで余計、へこましたとしたらまことに申し訳ない。だけど、嘘はつけないもんなぁ。