新型コロナは人々の行動を変えるのか?|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明

新型コロナは人々の行動を変えるのか?|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明

先月号の私のコラム「新型肺炎の教訓」は3月9日に入稿したものだ。その頃は北米ではそれほどシリアスな問題にはなっていなかった。だが、この原稿を書いている4月末までの7週間の間にあらゆる人にコロナの衝撃を与え、各国政府は感染拡大防止に血眼になり、街から人々は消え、喧騒は消えた。この短期間の急変は我々にどのような教訓を与えるのだろうか、そして我々の行動は変わるのだろうか?

コペルニクス的転回

私の日本の友人が「これはコペルニクス的転回だ!」と叫んでいる。これは哲学者カントが、天文学者コペルニクスが天動説を覆し地動説を唱えたことをなぞり、考え方が180度変わるような大胆な発想の展開を例えたものである。

確かに多くの方にとって信じられない事態が数多く生じている。外出を禁止され、事務所も飲食店も閉じられ、外出すれば警察が職質をするシーンは世界のあちらこちらで見られた。一方、コロナによる重篤者は加速度的に増え、多くの医療機関はパンクし、人々はおののいている。だが、ワクチンの完成にはまだ時間がかかりそうだ。

多くの専門家はあらゆる警告を発し、規制緩和に慎重な姿勢を見せる。連邦や州政府、あるいは地方自治体は最も保守的な判断を行うため、当面は緩和しながらその感染の収まり具合と照らし合わせ、計画通り収まるならば幾段も経るであろう緩和措置を一つひとつ進めていくことになりそうだ。

本末転倒になりかねないリスク

一方、コロナ対策が万全に進んだとしても経済が息絶え、人々の健康的な生活に支障をきたし、政府の金銭的支援に限界がくればどうなるだろうか?一種の本末転倒になりかねないリスクもそこにある。

それ以上に「Stay home」が1カ月半も続くと人々のメンタルには悪影響が出てくる。幸いにして悲惨な事故や事件はまだ目立って多くないが、いつ何が起きてもおかしくない状況だろう。そんな中、欧米では「コロナとうまく付き合っていく」というスタンスが出てきている。これこそ我々が今、目にしている緩和プランの背景と考えている。

とは言え、すべての制限が解除され通常の状態に戻るタイミングは誰も見通せない。特に海外との交流が最も繊細な領域になると思われ、旅行業や航空会社、ホテル業などへのインパクトは今しばらく続くのだろう。

我々はこの困苦を乗り越え、次の新たなる英知に向かう

さて、そんな未知の体験の真っ只中にいる我々は様々な工夫を凝らし、今を生きている。ZOOMなどを使った会議やオンライン授業は急速に普及した。外食から家庭で食べる習慣になった人も多いだろう。自分の時間を見直し、自己発見に努める方もいるはずだ。ジムが使えず、ジョギングや自転車に乗り自己管理をする人も増えた。

それでも私はコペルニクス的転回は起きないとみている。一部では14世紀に5000万人死亡したペスト、16世紀に2000万人死亡した天然痘、19世紀に数百万人が死亡したコレラ、20世紀に4000万人以上亡くなったスペイン風邪と比較する向きもあるが、それは時代背景があまりにも違いすぎる。当時は確かに様々な変化の引き金になったが、今、我々が生きる現代は経済、社会、情報、医療などあらゆる面で当時をはるかに凌駕している。

我々はこの困苦を乗り越え、次の新たなる英知に向かうともいえよう。言い換えれば今までの常識を打ち砕くのではなく、今までのシステムをより強化するともいえ、ベクトルの方向は変わらないと考える方がナチュラルだ。

北米の姿勢と日本国内の姿勢

私はコロナに対する北米の姿勢と日本国内の姿勢を見比べているが、日本はグリップが効いておらず、国民が様々な情報に振り回されているように見える。東日本大震災が起きて放射能問題が起きた時を思い出してほしい。当時の首相をはじめ、様々な専門家と称する人が自己論理を振り回したことで国民に必要以上に不安を与え、多くの人は福島を後にし、関西や九州、遠くはカナダに逃げてきた人も数多くいたあの時と同じ状態になっている。

北米はそうではなかった。我々は何をすべきか明白な基準とルールが課せられ、トルドー首相が毎朝テレビ越しに国民に訴え、連邦や州レベルのしかるべき担当者が市民に明白でわかりやすいメッセージを出し続けていることで混乱は最小限に防げている。

我々はどこに視線を合わせるかこれが肝

私は北米に住んでいて、自分たちをどう守るのか、強い自覚と協調としっかりした行動意識を持っていることに敬服を感じている。北米に於いて間違ってもコペルニクス的転回などありえない。そのような発想すら起こりえない。むしろ、まるでハリウッドのSF映画が現実社会で起きているがごとく市民が戦い、そしてあの平和な時を取り戻そうとしている。この強さに感動すら覚える。

今、人々は「Social Distancing」 という物理的距離感を置いている。だが、この戦いが終わった時、北米の人たちの精神的距離感はかつてよりはるかに近いものになるだろう。そしてともに戦ったというガッツポーズをお互いに見せることになるだろう。
我々はどこに視線を合わせるかこれが肝だ。今日明日を見れば苦しいし、我慢を強いられている。だが、トンネルの出口は確実に近づいていると思えば気持ちはもっと前向きになれるはずだ。

みんなで乗り切ろう、そしてトルジャの紙媒体を再び手に取る日を楽しみにしようではないか。