今年のトロント国際映画祭(TIFF)では、ミッドナイト・マッドネス部門で宇賀那健一監督の新作『ザ・ゲスイドウズ』が上映される。これまでSF、ホラー、コメディなどのジャンルを中心に幅広い作品を手がけ、世界のファンタスティック系ジャンルの映画祭を中心に話題になっていた宇賀那監督が、満を持してミッドナイト・マッドネスに選出された形だ。そんな宇賀那監督に、『ザ・ゲスイドウズ』の制作秘話や世界に挑戦し続ける思いを伺った。
映画『ザ・ゲスイドウズ』制作の経緯と、本作に込めた思い
―本作の制作の経緯を教えてください。
僕のデビュー作が『黒い暴動』という映画で、ガングロギャルが当時の日本だけで生まれたロックンロールだというのをテーマにした作品でした。実は、その前に企画していた作品が1本あって、それが音楽バンドものだったんです。ずっとバンドものをやりたかったものの、企画が通りづらくて実現しませんでした。その後、厳密にはバンドものではない音楽を描いた『サラバ静寂』を撮りましたが、純粋なバンドものはやったことがなく、ずっとやりたいと思っていました。
そんな折、ちょうど『異物-完全版-』の公開中に本作のプロデューサーの角田さんにお会いして、何か企画を一緒にやりましょうと話をしたとき、どんな企画がいいかとざっくばらんに話したんです。そしたら音楽の趣味がすごく合うことがわかって、だったらもう雪辱というか、今までずっと撮りたかった音楽映画を撮ろうと。
ただ、普通に撮るんじゃなくて、最近の僕の作品は音楽と同じくらい好きなホラーやSFのファンタ系作品が多かったんで、そこへの愛やそこで得たノウハウも活かした作品にしようと。そんなところから、今回の『ザ・ゲスイドウズ』が生まれました。
―確かに『ザ・ゲスイドウズ』は『黒い暴動』と似ているところがありました。『黒い暴動』のとき、もうすでにこれをやりたかったけれど、できなかったのでしょうか。
そういうわけではないですね。ただ、角田プロデューサーが僕の映画で好きなのは『黒い暴動』だと聞いて、だったら、あれから8年たった僕がもう一度、青春のその後を描いた映画に挑戦しても面白いのかなというところから『ザ・ゲスイドウズ』ができました。
―主人公が信じている「27歳で死ぬ」という思いは、『黒い暴動』にも出てきました。宇賀那監自身、気にしながら生きてきたのでしょうか。
自分がいつ死んでもおかしくないとか、自分がここで死んでも後悔しないように生きようとかいうのは基本的な僕の死生観ではありますね。
あと、27歳でと意識していたわけじゃなく、死ぬという言葉の違いもあるんですけど、まさに27歳くらいのときに一度この業界を諦めて就職してるんですよ。バンドものの映画の企画を何年間も動かしながら全然進まず、スタッフも拘束してたんで、ひとつのけじめとして、この年じゅうに映画が成立しなかったら僕はこの業界を辞めますと言い切ったんです。そう言えば企画が進むと思っていた部分もどこかであったんですけど、そうやって啖呵を切ったのに全然進まなくて、仕方なくこの業界を辞めて3年間、営業をやっていました。それが今考えると偶然ですけど27の年でした。
けじめをつけても諦められなくて、またやり続ける。ある種『ザ・ゲスイドウズ』のテーマは、僕がずっと抱いている大きな思いなのかなと思います。
映画『ザ・ゲスイドウズ』のキャスティングや演出について
――夏子さんをはじめ、登場人物の目ぢからが印象的でした。キャスティングはどのように決めていったのでしょうか。
最初は夏子さんからでした。バンドのフロントマンたる吸引力があって、なおかつ物語の中心となって物語を進めるお芝居の力を持っていて、そして独特な感性、チャーミングさとともに軸がすごくしっかりしているハナコを表現することを、誰が担えるのかと。
お芝居が素晴らしいのと同時に、ハナコの抱える沸々とした感情に説得力を持たせられて、目はもちろん、ビジュアルを含めて誰が良いんだろうと考えたときにすぐ出てきたのが夏子さんでした。
一度お会いしてお話しすると、独特の世界観をすごく持っていて、それが唯一無二で魅力的で、オファーさせてもらいました。
周りのバンドメンバーは、お芝居お芝居しすぎないほうがいいなと思っていました。同時に、バンドものとして演奏はしっかりできる人がいいなと思ってたんです。
ギターの今村怜央君は、実は彼が19歳で僕が21歳のときからの知り合いです。彼が前のバンドをやっているときに友達に勧められて見に行って一気にファンになって、そこからいろいろと一緒にお仕事をしてました。
彼だったらルックもかっこいいし、ALIというバンドではフロントマンをやっているけどギターを弾けるのも知っていたし、実際のミュージシャンだからこそ生まれる何かをやってくれるんじゃないかと期待して、今村怜央君にオファーしました。佇まいが最高にいいですよね。
ベースの喜矢武豊さんは、普段ゴールデンボンバーをやられているので、ライブパフォーマンスの見せ方の点で絶対にバシッとはまると思っていましたし、本人がお芝居をすごく面白がっていることもお聞きしていました。同時に、やっぱりゴールデンボンバーでも出されているコミカルさが、他のメンバーにはないスパイスだろうなと思ってオファーさせていただきました。お芝居を楽しみながら色々考えて、毎テイク新しいことを試してくれるので、僕にとっても現場にとってもとても刺激的でした。
ドラムのロコが、ある種一番異色です。僕の『悪魔がはらわたでいけにえで私』でロイド・カウフマンに出演してもらったとき、彼とつないでもらったのが、もともとトロマ・エンターテインメントにいたロコでした。
撮影に行ったときには、ロコの自宅に2週間くらい泊まったりしてたんです。本職はアメリカの映画監督なんですけど、ドラムもやってるのを知っていたし、彼自身が監督している自主映画に彼が役者として出演していたのを観ていて、その芝居もとても好きだったんです。
夏子さんがしっかり役者をされている方で、喜屋武さんは役者もミュージシャンもやっている方で、怜央は基本的にミュージシャンとしてやっている中で、じゃあ今度はこっち側が何を望んでいるか、自分が演出もしているからこそわかってる人が1人いたら、そこも面白いスパイスになるんじゃないかなってことで、ロコにオファーさせていただきました。
それと同時に、海外の人が観たときに、仮に同世代の同じようなルックの人たちだと、誰が誰かわからなくなることが日本映画で結構あると思ってたんです。そういう意味でも、全然ルックの違う人たちが集まったらいいなということは常々意識していました。
ただ、バランスとしてはかなり異色なんで、これを皆よくOKしてくれたなと思います。
――今回、楽曲の歌詞はどれも宇賀那監督が書いていますよね。普段からご自身でバンド活動などもしているのでしょうか。
いや、まったくやってなくて、歌詞を書くのには最初めちゃくちゃプレッシャーがありました。ただ全然時間がなくて、逆に迷わず書けました。2、3曲を1週間くらいで書いたんですよ。
最初は作曲してくださったKYONOさんに、適当でいいので歌ってくださいと言って、メロディーに言葉を当ててもらってたんです。それを聞きながら、ハナコの想いと変化をどうそこに乗せていくかってことを考えて、歌詞を書いていきました。
出来上がって、みなさん良かったと言ってくれるから良かったけど、最初はこれでいいんだろうかとめちゃくちゃ不安でした。
ただ、夏子さんは歌いにくいところもあって迷惑をかけてしまったと思います。KYONOさんに聞いたら、普通こういう言葉は発声として言いにくいとかが僕の歌詞の中にちょいちょいあるみたいで。いろんな人に迷惑をかけつつ、無知だからこそ自分を通してしまいました。
―映画や音楽をネタにした台詞がたくさん盛り込まれていましたが、最初から脚本に全部あったのでしょうか。
曲を作るヒントをハナコがたびたび言う場面で、ホラーやパンクへのオマージュを込めた台詞を言うんですけど、実は脚本上は出来上がった作品と比べると3分の1から半分くらいしかありませんでした。
実際に現場でそれをやってみたら面白くて、じゃあこれを毎回やっていこう、とどんどん追加していきました。
―ああいう台詞があって、アイデアを思いついて、ドラムが乗ってベースが乗って、という構成は、最初から脚本にあったわけではないのでしょうか。
一応、何か言って、ひとつずつパートが増えていくこと自体は決めていたんですけど、毎回思いつく瞬間を見せるつもりではありませんでした。
ジャン=リュック・ゴダール監督のドキュメンタリー映画『ワン・プラス・ワン』で、ザ・ローリング・ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」が徐々にできていく過程がすごく好きで、最終的にやっぱり何度も聴いているからその歌が好きになってるんですね。もちろん曲が素晴らしいって前提ですけど、耳なじんでいるのもあって。
それを、もっとポップにやりたいなとずっと思っていて、だから今回、『ワン・プラス・ワン』とは全然違う作品ですけど、それができたかなと思います。
―田舎町を舞台にしていますが、宇賀那監督ご自身は東京出身ですよね。『黒い暴動』も田舎が舞台でしたし、何か思い入れがあるのでしょうか。
僕は生まれが東京で、育ちは横浜ですけど、そんなに田舎ではないですね。ただ、映画の中に出てくる日本の田舎の風景って個人的にすごく好きで、そこは映したいなと思っていました。
あとは、都会と田舎のふたつに分けるって、ある種ちょっと古臭い考え方ではあるんですけど、同時に、歩みを止めるからこそ見えてくるものがある気がしています。そういう歩みを止めるところが画でわかるって意味で、田舎がわかりやすいのかなと思っています。
―海外の観客も念頭に置いているのでしょうか。
ある程度、そうですね。どうしても都会だと、どの国も同じようになってしまう部分があるので、それも意識はしています。
あとは、そもそも田舎にロックバンドってミスマッチが面白いなと思っています。よくガレージロックって言いますけど、日本でガレージロックを本当にやると、ああなるんだろうなと思ったりしています。
―音楽映画なのに口からカセットテープが出るところなど、すごくホラー味を感じました。宇賀那監督の好きなものを盛り込んだ結果でしょうか。
そうですね。好きなホラー味を入れた部分でもありますし、あとは、作品を作り続けることに対しての自分の思いもあります。
作っているとき、僕で言えば脚本を書いているときとか、すごく孤独に感じるときがあるんですけど、同時に実際映画が動き出すといろんな人の力がなくては成立しなくて、周りにいっぱい助けてくれる人がいることに気づく瞬間がたくさんあるなと思っていて。そうやって苦しみながら、助けられながら生み出す子供のようなものが僕にとっての映画なんです。それをストレートにやるとすごく恥ずかしい映画が出来上がってしまうので、僕のホラー愛とパンク愛を込めて捻じ曲げながら表現した形です。
―ハナコが苦悩しながら曲を作る描写は、宇賀那監督自身を投影しているのでしょうか。
そうですね。今でも忘れないんですけど、この脚本の初稿を一昨年の年末に書いたんですよ。2週間くらいで書いて、そのときにめちゃくちゃ苦しみながら、ハナコが苦しむ場面を書いたのを覚えています。俺もそういう気持ちだぞって思いながら書いてました(笑)。
―宇賀那監督は制作のペースで言うと多作で、そんな印象は全然ありませんでした。
もうすぐ新作のラブコメを撮るんですけど、その後にホラーが控えていて、同時に脚本を書きながら、こっちでできないことのストレスを別の作品で晴らす、みたいな使い分けを自分の中でしています。ただ、まあ毎回苦しみながら書いていますね。
―苦しみながらも日々たくさん生み出して、ひとつひとつには産みの苦しみがあって、ということでしょうか。
そうですね。それと、それこそいつ死ぬかわかんないからっていう言葉に近いですけど、本当にいつ急に仕事がなくなるかわかんないというか。何か1本、大ゴケして話が全然来なくなる日があるかもしれないし、ずっとうまくいき続けることはないとどこかで思ってるんで、自分がお話をいただける限りは頑張って撮っていこうと思っています。実際明日突然死ぬかもしれないですしね。やり残したことはないようにしたいなと。
映画監督になるまでの経緯と、世界の映画祭への出品や海外での映画制作について
―もともと昔から映画監督になりたいと思っていたのでしょうか。
もともと僕が17歳くらいのときから何年間か役者をやっていました。その頃はどういう形であれ、映画が好きだったんで映画に携わりたいと思っていて。ただ、映画の撮り方は全然わからないし、ある意味壮大な勘違いなんですけど、役者だったらできるんじゃないかと思って、最初は芝居をやっていました。
そうやっていろんな作品に関わっていくうちに、ぼんやりとあった監督したいという思いがどんどん大きくなって、完全にシフトしました。
―役者をやりながら監督にシフトして、最初のバンドものの企画に携わるまでにも何本か撮っていたのでしょうか。
そうですね。短編で何本か撮っていて、映画祭に顔を出して、いろんなところのつながりを作ろうと思っていました。
日本の映画祭のぴあフィルムフェスティバルで、当時あった通し券を買って全作品観ていると、この作品がグランプリを獲るなっていうのが、なんとなく自分の中でわかるようになってきました。
それであるとき、出品していた監督に、「あなたグランプリ獲りますよ」って話しかけたんです。今考えると、誰でもない奴がそんなふうに話しかけて、めちゃくちゃだったと思うんですけど、実際にその監督がグランプリを獲りました。
実はその人が、のちに『舟を編む』や『夜空はいつでも最高密度の青色だ』を監督する石井裕也監督でした。もともと大阪芸大出身の彼が、上京して制作団体を作るというので、僕も入れてくださいと話をして、彼が作ったチャベス・シネマに入れてもらったんです。そこが、ブレスっていう今も僕が業務提携している事務所の一部になったんです。そこに所属しながら自主映画で短編を撮っていました。
―その頃から、世界の映画祭には出品していたのでしょうか。
そうですね。僕の最初の作品は『発狂』という短編で、そこからずっと海外に出していました。その頃はまだネットで応募じゃなく、DVDを焼いて応募用紙を印刷して書いて送って、今考えるとめちゃくちゃ大変だったんですけど、一応その時期からやっていました。
―日本人の監督で海外の映画祭にどんどん応募しようという意識を持っている方は少ない印象があり、宇賀那監督はそこが全然違うと思います。世界を視野に入れる姿勢は、ご自身がもともと持っていたのでしょうか。
そうですね。僕は幼稚園の頃、登園拒否して1日しか行ってなくて、家にいるしかなかったんです。そしたら、ホラーが大好きなうちの母親に毎日『死霊のはらわた』とか『悪魔のいけにえ』とか、スプラッター映画を見せられてたんですよ。
それこそ『ザ・ゲスイドウズ』の元ネタみたいな作品を毎日見せられていたので、ホラー映画やホラーコメディが自分のベースにあって、そういう作品を撮りたいと思ってたんですけど、同時に日本でホラーを作っていくのはなかなか難しいなと思ってました。
その一方で、海外だとそのマーケットが普通の映画ほど大きくはないけど確実にあって、一定数ホラーを好きな方が各国に存在していることが肌感覚としてわかってたんで、ジャンル映画を撮っていくならそういう場所にしか生きる道がないなと思って、最初から海外に出していました。
―ジャンルとしては、最初からホラーを見すえていたのでしょうか。
そうですね。最初からずっと、特に自主映画の頃はホラーコメディやSFばかり撮っていました。ただ、それだと企画が通りにくいなと思っていた部分があり、僕もホラーだけでなくいろんなジャンルの作品が好きなんで、入口としては違う形から入ったほうがいいのかなと、実際最初のうちはホラーではない作品から入っていきましたね。
『黒い暴動』も『サラバ静寂』も、ある種のジャンルっぽさはあると思うんですけど、その頃は、自主映画を撮っていた頃よりも海外志向はいったんなくなりました。『魔法少年☆ワイルドバージン』がブリュッセル国際ファンタスティック映画祭に通ったことをきっかけに、また海外に目が向きだしたかなと思います。
―世界の映画祭に出ていくに当たって、言葉の壁や文化の違いはハードルにならなかったのでしょうか。
英語は全然しゃべれないんですけど、案外しゃべれないなりにこっちがしゃべろうとしたら相手も聞いてくれるし、あとは自分が逆の立場だったときに、たとえばサッカーのJリーグで助っ人の外国人選手が頑張って日本語をしゃべってたら、それだけでちょっと愛せたりするじゃないですか。
僕も海外に行ったときにはそっち側に回るわけで、だから恥ずかしげもなくしゃべっていこうと思ってたんですよ。そしたら周りも助けてくれるし、相手もわかろうとしてくれるので、恥ずかしいとかできないとか思わず、やってみることがすごく重要だと思います。
失うものは何もないから、あいつ全然英語しゃべれてないじゃんと思われたからって、何もマイナスになってないというか。
―今、海外での映画制作もしていますよね。海外で撮るには、言葉が通じないと難しいと思いますが、できるものでしょうか。
次回作の舞台がニューヨークで、現地とZOOMで打ち合わせをするんですけど、わかんないときは全然わかんないです。もう、細かいところは後で翻訳ソフトを使いながらメールで詰めていこうと思いつつ打ち合わせして、まあ何とかなってるので、やってみようと思ったらどうにかなるとすごく思いますね。
影響を受けた映画や音楽について
―影響を受けた映画は、幼い頃にお母様から与えられたものでしょうか。
そうですね。大きな影響は母親です。ただ、母親はスプラッターが大好きだったんですけど、父親はもともと映画監督志望で大学時代に映画を撮ったりしていて、ヌーヴェル・ヴァーグが大好きだったんです。だから、平日はスプラッターを観るけど、土日は鈴木清順とかジャン=リュック・ゴダールなどヌーヴェル・ヴァーグを観る生活をしていて、何からどう影響を受けているか、自分でもよくわからないですね。
―好きな作品や影響を受けた作品を教えてください。
好きな作品はいっぱいあるんですけど、一番好きなのは、タル・ベーラ監督の『サタンタンゴ』です。7時間18分あるんですけど。でも、これは観たのがわりと最近なんで、若い頃に影響を受けた映画でいうと、ホラー系と、あとはチャップリンですかね。
作風ですごく影響を受けているのは、ロイ・アンダーソン監督です。『愛おしき隣人』が大好きで、あのシュールな笑いと固定カメラに影響を受けています。あと、アキ・カウリスマキ監督ですね。最近だと、フランスのカンタン・デュピュー監督にもめちゃくちゃ刺激を受けました。
―映画以外にも小説や音楽など影響を受けたものはありますか。
小説は、ウィリアム・バロウズやジャック・ケルアックなど、ビートニク世代の作品が大好きです。ウィリアム・バロウズって、これは厳密にはバロウズのオリジナルな考え方じゃないですけど、言葉は宇宙人が人間を支配するためにあると本気で信じていて、文を作って、それをばらばらに組み替えるんですよ、カットアップって手法なんですけど。それがカート・コバーンやジョージ・ハリスンにも影響を与えていて、そういったビートニク世代にめちゃくちゃ影響を受けています。
音楽は何でも聴くんですけど、グランジのニルヴァーナとかピクシーズとかに影響を受けています。映画に一番影響を受けているのはUKパンクかもしれないですね。
―わりと日本のものより海外のものに触れてきた感じでしょうか。
日本のものだと、INUとかスターリンとか、アナーキーやルースターズや灰野敬二さんもそうですし、日本のパンクやその他の音楽も大好きですね。ただ、一番先に聴いたり読んだりし始めたのは、海外のものかもしれないです。
自身の会社設立や事業展開について
―ご自身が代表を務める会社では、映像制作だけでなく飲食事業や服飾事業も手がけていますよね。
あ、今は映像だけにしました。
―これだけ幅広く手がけて、どう切り盛りしているのだろうと思っていましたが、今は映像一本に絞ったから、たくさん映画を撮れているのでしょうか。
それはかなり大きいと思いますね。あとは、自分でプロダクションもやってるんで、だからこそきつい部分はあるものの、自分でスケジュール管理ができるのが、いっぱい撮れる理由のひとつかなと思います。
―ご自身の会社は、今ほど映画を撮るようになる前から経営していたのでしょうか。
『黒い暴動』を撮るときに設立しました。その前のバンドものの企画が実現しなかった理由が、今考えると僕が監督として仕切るスキルがなかったからだと思うんですけど、当時は、単純に製作委員会に入れなかったから、委員会の人たちの言葉に振り回されてたんじゃないかなと思っていました。
だから法人化することで、仮に自分が出資はできなくても自分のギャラ分を労働出資するとか、何らかの形で委員会に入る仕組みさえ作っておけば、もう少し映画が撮りやすくなるんじゃないかと、バンドものを撮れなかった経験から思っていて、会社を作りました。
―実現しなかったバンドものの企画の後、映画業界から離れていた間にも映画を作りたいという思いはずっと持っていたのでしょうか。
そうですね。会社員時代は当時定時が5時45分で、みんな9時頃まで働いているけど僕は基本的に毎日5時45分に帰って、そこから企画書や脚本を毎日書いて、どこかに送る生活を続けていました。
ちょうど3年経った頃、この企画をやりたいですと話が来たのが『黒い暴動』だったんです。そこで長編の話をいただいたから、会社を辞めて映画でやっていこうと決意しました。
―そこからはずっと途切れなく撮れているのでしょうか。
他の人と比べると本数は多くて、ここ最近は本当にたくさん撮らせてもらっていますが、『黒い暴動』が終わった後に次の『サラバ静寂』の話があったわけでもないし、どうなるかわからない中、目の前のことを一所懸命やってきて振り返ったらたくさん撮ってきたなあという感じです。
トロント国際映画祭に選出された心境と、トロントの読者へのメッセージ
―今回、トロント国際映画祭に選出されて、今どんな心境でしょうか。
めちゃくちゃ嬉しいですね。ただ、その連絡を受けたときにちょうどアメリカにいて、しかも携帯電話が壊れて朝と夜しかメールのチェックができなくて、これは本当に入選したんだろうかと疑心暗鬼になりながら、毎朝毎晩メールチェックして返信していました。
―宇賀那監督から、ここにぜひ注目してほしいという点や、トロントの読者へのメッセージがあればお願いします。
『ザ・ゲスイドウズ』は、ある意味すごく間口が広いと思っていて、音楽好きな方にも届けられると思うし、単純なコメディとして観ていただいても、青春ものとして観ていただいてもいいと思います。
それと同時に、ミッドナイト・マッドネスっていう意味では、僕自身のホラー愛を詰め込んだ作品でもあります。
ホラーっぽいのは観づらいって人でも観られる作品であると同時に、コアな作品じゃなさそうだなと思ってる方にも楽しんでいただけるようなギミックがたくさんあると思います。
僕を最初に見つけてくれて、ずっと目をかけてくれているのがモントリオールの映画祭なんです。だからカナダにはずっと縁があって、ただトロントに行くのは今回が初めてで、めちゃくちゃ楽しみにしてると同時に、本当にお客さんが来るのかめちゃくちゃ心配だったりします。
僕も全部の上映に行く予定なので、もしよければ劇場に足を運んでいただいて、感想などお聞かせいただけたら嬉しいです。
1984年、東京生まれ。2016年に『黒い暴動』で長編映画デビュー。2作目の『サラバ静寂』(2018)はロングランとなった。『魔法少年☆ワイルドバージン』(2019)、雑誌NYLON JAPANの創刊15周年記念作品『転がるビー玉』(2020)、『異物』シリーズの連作短編映画『異物-完全版-』(2021)、『悪魔がはらわたでいけにえで私』(2023)などは、いずれも世界各国の映画祭で上映されている。他の監督作に、『Love Will Tear Us Apart』(2023)、『みーんな、宇宙人。』(2024)などがある。
売れないパンクバンドのメンバー4人が、田舎に移住して売れる曲を作れとマネージャーから言い渡される。田舎暮らしを始め、農家の畑仕事を手伝いながら曲作りに励むが、農作業は失敗続きで、新曲は一向に生まれない。苦悩しながら4人で共同生活を続けるが・・・。
監督・脚本:宇賀那健一
主演:夏子、今村怜央、喜矢武豊、ロコ・ゼヴェンベルゲン、遠藤雄弥
©2024 “THE GESUIDOUZ” Film Partners
9/11(水)11:59PM @Royal Alexandra Theatre
9/12(木)9:15PM @Scotiabank Theatre Toronto, Cinema 13
9/15(日)6:15PM @Scotiabank Theatre Toronto, Cinema 14