南紀熊野 世界遺産―熊野古道をいく(2)|紀行家 石原牧子の思い切って『旅』第65回

熊野本宮大社に日本サッカー協会のシンボルマークが

明治22年の大洪水まで熊野本宮大社があった大斎原
明治22年の大洪水まで熊野本宮大社があった大斎原

 世界遺産の熊野古道を体験するため中辺路(なかへじ:4月号参照)の一部を歩き出した私たちはいよいよ熊野本宮大社に到着した。スサノオノミコトを主祭神とする古代本宮は紀元前33年たてられたが、当時は大斎原(おおゆのはら)という少し離れたところにあったという。しかし明治22年の大洪水で被害にあったため2年後に社殿は現在の場所に移された。今も巨大な大斎原の鳥居(2000年建立)が昔の大社の大きさを匂わせる。

熊野本宮大社の象徴、八咫烏が見える
熊野本宮大社の象徴、八咫烏が見える

 ところで本宮大社で気になったのが3本足の大カラスの像や絵。このカラスが日本サッカー協会のシンボルマークに使われているのをご存知だろうか。2011年の女子サッカーワールドカップで優勝を勝ち取ったなでしこジャパンの選手は全員が八咫烏(やたがらす)のお守りを持っていたという。このカラスのパワーはなんなのか。紀元前600年ごろ神武天皇(「日本書記」で初代天皇とされる人)が熊野の山奥で道に迷った時、八咫烏に導かれて無事大和へ着くことができたという神話がある。そこで「神の使者」となった八咫烏の3本の足は智・仁・勇、または天・地・人を表し、開運、目的達成、勝利への導きのご利益があるとのこと。だとすればシンボルマークに使われるのも納得できる。

世界遺産の温泉、「つぼ湯」にはいる

 この日の宿は熊野本宮大社から車で15分の湯峯温泉(ゆのみねおんせん)。4世紀に発見された日本最古の温泉と聞けば行かないわけにはいかない。熊野詣をする人たちの湯垢離場(ゆごりば)だったというここは湯煙がむんむんと川から立ち上り坂道に沿って木造民宿が建て込んでいる。

世界遺産のつぼ湯。30分の貸し切りで入れる
世界遺産のつぼ湯。30分の貸し切りで入れる

 この温泉村を選んだのは世界遺産の「つぼ湯」があるからだ。人が二人入れるくらいの小さなワンルームの源泉小屋は770円を払うと1回30分まで貸し切りで入れる硫黄温泉。ただしシャンプーや石鹸などは使用禁止。川のど真ん中に立ち、中は樽のような岩風呂。脱衣室がないので服が濡れないように着替えるのが至難の技だ。熱湯が常に奥から湧き出ているため、冷水の蛇口を開放にしないと湯に浸かっていられない。止めどなく湧き出る自然の恵みに芯から体を温めてもらい、古代の旅人の気分に浸ること30分。出れば、ほてった体が外気に冷やされていく過程が心地よい。

 温泉卵を作りに川へ降りる。川に湧き出る湯に1個百円の卵をそっと網で入れる。11分待ったら出来上がりだ。茶屋でコーヒーをすすりながら食べる温泉卵、美味い!古代人には卵を茹でる知識があったのだろうか。

歴史のつまった那智山

 熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三社のことを熊野三山といい、お互い20~40㎞の距離が間にあるが熊野古道でつながっている。旅の最後の日、車を返却する前に少し南下して熊野那智大社へ行くことにした。熊野川に沿って高速を走り那智山を目指す。

台風や豪雨で氾濫するとは思えないほど水かさが少ない熊野川
台風や豪雨で氾濫するとは思えないほど水かさが少ない熊野川

 今は水量が少ないが水かさが多かった頃は船頭さんたちの掛け声が響き渡っていたことだろう。近年は洪水で氾濫するほどに膨らむことも。標高910メートルの那智山の中腹には那智大社と青岸渡寺(せいがんとじ)が隣り合わせに立っている。熊野フスミノオオカミを主祭神とする那智大社は、仁徳天皇が317年に建てたといわれ、独特の朱塗りに赤く染まった現在の社殿は強烈に目に飛び込んでくる。すぐ隣の塗装抜きの青岸渡寺(天台宗)と対照的だ。後者は同じ頃インドから漂流してきたお坊さんがここに庵を建てたのが始まりというが、1590年建立の古く素朴な寺の外観と力強さにどこか惹かれる。

水墨画のような素朴で力強い青岸渡寺
水墨画のような素朴で力強い青岸渡寺

 遠く眺める那智の滝は先の八咫烏に導かれた神武天皇が発見したという神話がある。133メートルの高さも水量も日本一の大瀧はそのものが御神体なので小さな飛瀧神社(ひろうじんじゃ)鳥居の前で人は手を合わせる。日本の自然崇拝は神話、伝説、歴史と形を変えて現代人に引き継がれ、自然を愛し、アウトドアを愛するものにパワーを与え続けている。

那智大社の飛瀧神社に祀られた御神体、那智の大瀧
那智大社の飛瀧神社に祀られた御神体、那智の大瀧