最高権威の音楽賞「グラミー賞」にノミネート 作曲家・ プロデューサー宅見将典さん × フルート奏者・ 作曲家ロン・コーブさん 対談|三大特集で送る「戻ってきた日常」

最高権威の音楽賞「グラミー賞」にノミネート 作曲家・ プロデューサー宅見将典さん × フルート奏者・ 作曲家ロン・コーブさん 対談|三大特集で送る「戻ってきた日常」

立ち止まることはなかった、夢実現までの挑戦の道

 音楽人なら誰もが憧れる、世界的な音楽アワードであるグラミー賞。今年の「最優秀グローバル・ミュージック・アルバム」部門に、日本人で作曲家・プロデューサーの宅見将典さん(Masa Takumi、以下マサ)のアルバム『Sakura』がノミネートされた。日本の文化や風景を思い出させるアルバムには、トロント出身で日系カナダ人3世のフルート奏者・作曲家のロン・コーブさん(以下ロン)も参加している。以前にもグラミー賞にノミネートされたことのある2人が、今回のグラミーにかけた思いやこれまでの苦労、また『Sakura』の制作過程など、貴重な秘話を語ってくれた。

―今回グラミー賞にノミネートされてのお気持ちはいかがですか?

マサ: あまりのことに泣き叫びました。ノミネート発表のライブ中継があったので、日本時間深夜2時から自宅のリビングで放送を見ていました。発表は有名歌手のジョン・レジェンドが担当していて、まさかそんなすごい人が名前を呼んでくれるはずがないと半ば諦めていました。しかもノミネートされるのは5組ですが、4組目までに名前が呼ばれなかった。やっぱり無理なんだと思っていたところ、まさかの最後の5組目で名前が呼ばれたんです。衝撃的だったので正直あまり覚えていません。覚えているのは、ジョン・レジェンドが苗字の「Takumi」をうまく発音できなくて、「タッ、タクーミ」って何度も噛んでしまっていたことですね(笑)。

ロン: それは面白いね。私は放送を見ていなくて、時差があるからマサと連絡をとっていたわけでもありません。でも発表後、私がマサのアルバムに参加しているのを知っている人から電話やメールがひっきりなしに届くので、マサがノミネートされたことはすぐわかりました。私は今回厳密にはノミネートされたわけではありませんが、マサのノミネートを願っていたし、とても興奮しています。

マサ: 今でも実感が全くないですね。実は発表の瞬間、亡くなった父がくれた詩や叔父の写真(故・西城秀樹さん)、それから母からのギフトを周りに並べて置いたり、以前グラミー賞を受賞したハワイのアーティスト、カラニ・ペアさんから直接いただいたフォーチュンストーンを手に握りしめたり、かなり願掛けして臨んでいました。今回が5回目の挑戦だったので、まだ夢の中にいるみたいな気分です。

―お2人とも以前グラミー賞にノミネートされた経験がありますよね。今回と前回では感じ方は違いますか?

マサ: 確かに第56回のグラミーにもノミネートされていますが、その時は私の名前でノミネートされたわけではありませんでした。「Sly & Robbie and The Jam Masters」というバンドの1人としてのノミネートで、言ってしまえば私はおまけです。バンドが有名だったしすごい人たちだったからというだけで、単に運が良かっただけです。

―では、今回初めてご自身の名前でノミネートされたんですね。

マサ: だからうれしくてたまらないですよ。でもロンさんはロンさんの名前でノミネートされた経験がある〝センパイ〟です。

ロン: センパイだなんて。以前第58回グラミー賞にノミネートされました。確かに、経験したからこそマサに教えられることがたくさんあります。グラミー関係のパーティに積極的に参加することや、広告を作ることなどをアドバイスしています。

マサ: 今回のグラミーでは、自分を「ダークホース」だと思っています。日本人だしアメリカで知名度はないけど、ノミネートされた。ロンさんはグラミー賞授賞式(2月5日)のレッドカーペットを歩くための準備や、ビルボード有権者ガイド広告のデザインなどを手伝ってくれています。自分が知らない英語の音楽世界のディレクションをたくさんくれるから、ありがたいです。

―今回のアルバムでメインの作品である『Sakura』。約4分間で何をどう表現しようと作曲したのでしょうか。

マサ: 蕾から咲いて散るという、始まりから終わりまでを表現しようと思いました。結局花は散るけれど、人の心には残るわけですよね。花としては死んでも、人の心の中で生き続けるということを伝えたいと思いました。

―ロンさんの笛の音色がとても印象的な曲ですが、他にはどんな楽器を使いましたか?

マサ: 琴と三味線、太鼓などのパーカッションとピアノを使いました。三味線とピアノは自分で演奏しました。作曲した時に一番イメージが湧いたのが琴だったので、絶対に琴は使おうと思いました。グルーバルミュージックとして世界の人に聴いてもらうのであれば日本の楽器は絶対に使いたいと思ったので、三味線も外せませんでした。

ロン: マサは日本文化を曲の中にうまく取り入れたと思います。私も長野で作られたフルート、篠笛、尺八のように聞こえる中国の笛の3種類を使ってディープな音を出そうと思いました。それが今回のグラミーでは認められたと感じています。

―そもそも2人がコラボレーションすることになった経緯を教えてください。

マサ: 今回が初めてのコラボですが、なぜかわからないけどロンさんに頼みたいと思ったんですよね。グローバルミュージックの神に導かれたというか、ロンさんしかいないと運命を感じたというか。2018年にグラミー関連パーティーで初めてロンさんに会って、やっぱりアジア系だからか親近感を持ちましたし、いつかコラボできたらうれしいなとは思っていました。

ロン: オファーをもらってとてもワクワクしましたよ。マサの音楽をこれまでたくさん聴いてきましたが、とてもよくプロデュースされていたし素晴らしいミュージシャンだと思っていましたからね。一緒に作業できたことをとてもうれしく思います。

―お互いの音楽についての印象は?

マサ: ロンさんの音楽はただただ美しいです。特に最初の掴みの部分がきれいだなといつも思います。今の音楽って最初の5秒、10秒、へたしたら1秒だけ聴いて興味を持ってもらえなかったらそれで終わりなんですよ。

ロン: 本当に競争が激しい世界だよね。

マサ: 音楽人は、何を感じてもらいたいか、聴かせたいかを最初の5秒に入れないといけないと思っています。ロンさんはどうすれば聴いている人を惹きつけられるかをよくわかっているし、最初の1秒に情熱を感じますね。

ロン: マサの音楽はいつも巧みでセンス良く仕上げられていると思います。いろんな楽器が見事に組み合わされていて、音楽の根底には日本の「心」や「魂」がある。コードやメロディには欧米の音楽構造の影響を受けた部分もあるかもしれないけど、完璧に日本人の心を表現しているところが素晴らしいです。

―コロナ禍ということもあり、全てオンラインでアルバム制作を進めたとか。

マサ: まず私が音楽デモをロンさんに送って、どうするか意見を聞いてみました。その後にロンさんたちコラボレーターがそれぞれの楽器で演奏して録音したものを送ってくれて、どうやって音をミックスするかなどを話し合って曲が出来上がりました。

ロン: メロディーを作ったのはマサですが、どの笛を使うか私に自由に選ばせてくれました。どうやったら桜や日本の感覚を音楽に取り込むことができるかを考えて、今回は3種類の笛を使うことにしました。

―アルバム制作にはどのくらい時間をかけましたか?

マサ: 去年の6月1日から曲作りを始めて、約2ヶ月というすごいスピードでアルバムを仕上げました。制作中は常に紙を近くに置いてメモしていました。ずっと曲作りのことを考えるのは正直しんどいですが、海外にいる人と英語でやりとりしたり、スケジュール調整したりすることの方が大変でしたね。

ロン: マサは才能もあるし、20年近く音楽プロデュースをしてきているから、短い時間で素晴らしい音楽が作れるんだと思います。

マサ: アルバム8曲のうち『Sakura』以外は、曲を最初に作ってからタイトルを考えました。日本の「心」を表現したアルバムです。世界中の人が思う日本らしさに気づいてほしい、日本文化を知ってもらうきっかけにしてほしいという思いから、なるべく海外の人が知っている日本語でタイトルをつけました。日本刀を振り回しているイメージのする『Katana』や、スローモーションで雫が水面に落ちた時の画が思い浮かぶ『Shizuku』などの曲がアルバムに入っています。

―『Sakura』という曲にも深いメッセージが込められていそうですね。

マサ: 今の世界情勢もそうだし、国同士、個人間でもいらいらすること、悲しいことが多いですよね。でも私たちは自分の心の中にそれぞれ「花」を持っていると思っています。もし嫌な思いをすることがあったとしても、自分の心に咲いている花を思い出してほしい。どんな花でもいいけど、日本人にとって花といえばやっぱり「桜」かなって。みんなが花を咲かせれば、それがみんなの幸せや平和につながるんだということを表現したかったんです。

―マサさんはアメリカに3年滞在されたことがありますが、その経験が今回も生きたと感じていますか?

マサ: もちろん。2018年1月から3年間アーティストビザでロサンジェルスに滞在していました。目的は2つあって、1つはグラミー賞にノミネートされること。もう1つはソングライター、プロデューサーとして自分の理想とするアーティストに私の曲を歌ってもらうこと。ダンスミュージックというジャンルの音楽が当時は作れなかったので、それを学ぼうと思っていました。2018年以降はアメリカに行かなかったら絶対に作れなかったと思える作品だらけですし、今回のアルバム収録曲『Yuzu Doll』もその1つです。

 例えばDA PUMPの『P.A.R.T.Y. ~ユニバース・フェスティバル~』はまさにダンスミュージックですが、作曲・編曲を担当し、2019年の日本レコード大賞優秀作品賞をいただきました。自分の音楽が認められたと思えた出来事でしたね。

―今回グラミー賞ノミネートの夢も叶えて、夢を2つも叶えるなんて素晴らしいです。

マサ: なぜアメリカに来たのか、目的を絶対に忘れないようにしようと思っていましたからね。グラミー賞の夢実現に向けて、わざわざグラミー賞の授賞式会場として知られる「ステイプルズ・センター」と同じFigueroaストリートに住んだくらいです。歩いて20分くらいの距離でした。

―会場の近くに住んでいたとは。グラミー賞にかける思いや本気度がすごく伝わります。

マサ: 正直、ここまで来るのにしんどいこともたくさんありました。最初は「グラミー取ります!」って周りに宣言していましたが、後からその目標が高すぎて宣言したことを後悔しましたね。こんなにすごいことが自分に起こるはずがないだろうなと本気で思っていたし、悪夢にうなされるくらい不安と戦いながらの日々でした。それでも諦めなかったのは、一度止まってしまったら叶うはずがないけど、ちょっとでも行動したら1ミリは夢に近づいていると思えたからです。たとえ結果が出なかったとしても、歩みを止めてその夢に向かっていかないことの方がつらいと感じていました。

―マサさんが言うからこそ、その言葉はとても重いですね。

マサ: 諦めずに頑張れたのは、実はある人の存在のおかげでもあります。下田等さんといって、父のように慕っている人であり、私を2011年にグラミーに連れて行ってくれた人です。以前私がグラミー賞にノミネートされた時のバンドのエグゼクティブプロデューサーを務めていらっしゃって、下田さんがチャンスをくれたからグラミーに関わることができたと思っています。今度は私が下田さんをグラミーに連れて行ってあげたいとずっと夢見ていました。12年かかりましたが、やっと叶います。下田さんもすごく喜んでくれています。

―グラミー賞とは2人にとってどういう意味を持つものですか?

マサ: とてつもなくすごいこと。やっぱり音楽人としてグラミー賞をずっと夢見てきました。音楽は人の心に届いたり残ったりするものであって、本当は賞なんて関係ないとも思います。でも誰かに自分の音楽を認められたいという思いもある。そうなると音楽家にとってグラミーは世界最高権威のアワードですし、そこで世界一だと認めてもらいたいと思うものです。

ロン: 間違いない。2016年に私がノミネートされた時、発表された瞬間から電話が鳴り続けるし、メールも「おめでとう」というものであふれました。他の賞だとこんなことはないけど、グラミーだけは別。グラミーとはそれだけすごいものだと思います。

―最後にTORJAの読者に向けてメッセージをお願いします。

マサ: 私はグラミー賞に出会ってから海外に目を向けるようになりました。世界に出て活躍するみなさんにとって、同じ日本人の仲間として私のグラミー賞ノミネートが勇気につながればうれしいです。そしてみなさんが勇気を持って行動した時に、『Sakura』という曲を聴いていただけたらとてもうれしく思います。

ロン: 『Sakura』を聴く時はぜひヘッドフォンで聴いてほしいですね。サウンドの違いや、マサの込めた思いをしっかり感じてもらえたらうれしいです。

『Sakura』ライブバージョンのユーチューブ動画はこちらから

宅見将典(Masa Takumi)

タクミ マサノリ

 2000年にロックバンド「siren」のドラムとしてメジャーデビュー。バンド脱退後は作曲や編曲をする傍ら、ピアノやギターなどさまざまな楽器も演奏する。AAAの『CALL』で第53回日本レコード大賞優秀作品賞(作曲)、DA PUMPの『P.A.R.T.Y. ~ユニバース・フェスティバル~』で第61回日本レコード大賞優秀作品賞(作曲・編曲)。第56回グラミー賞では、ギタリストとキーボディストとして参加したアルバムが「ベストレゲエアルバム部門」にノミネートされた。

Ron Korb ロン・コーブ

 トロント出身で日系3世のフルート奏者・作曲家。トロント大学音楽学部卒業。1991年から1年半日本に渡り、日本古来の横笛を独立楽器として確立させた赤尾三千子のもとで篠笛や雅楽などを学んだ。第58回グラミー賞では、アルバム『Asia Beauty』が「ベストニューエイジ・アルバム」部門にノミネートされる。同アルバムでは2015年のグローバルミュージックアワード2部門でも金メダルを受賞。日本では「フルートの貴公子」として知られる。