カナダのサンタの郵便番号は「H0H0H0」旅するカナダのクリスマス文化|特集「旅するカナダのクリスマス文化」

カナダのサンタの郵便番号は「H0H0H0」旅するカナダのクリスマス文化|特集「旅するカナダのクリスマス文化」

赤や緑の灯りが街を包み、サンタクロースの「Ho, ho, ho!」が聞こえてきそうな季節がカナダにもやってくる。実はカナダのサンタには“特別な住所”があり、郵便番号はなんと「H0H 0H0」。少しユーモラスで、ちょっと誇らしいこの番号の裏には、北極をめぐる国際事情や、それぞれの国が大切にしてきたクリスマス文化の物語が隠されている。本特集では、「サンタはカナダ人?」発言の背景にある北極圏のエピソードから、フィンランドの“ヨールプッキ”、北欧の小さな妖精、ロシアの青いサンタ“マローズ爺さん”まで、世界のサンタたちの個性豊かな姿をめぐる旅へご案内。

さらに、サンタがやって来るずっと前、カナダの先住民族が祝っていた冬至のお祭り“Quviasukvik”、サスカチュワンやミクマク族に受け継がれた冬の儀礼や伝統、そしてニューファンドランドやケベックに今も息づくユニークなクリスマス習慣も紹介。

最後には、ツリーの起源や北米初のクリスマスツリー、サンタのモデルやカナダポストの返事の歴史など、家族や友人に話したくなる“クリスマストリビア”も満載。
ページをめくるたび、カナダのクリスマスがもっと好きになる、そんな温かな特集です。

サンタクロースはカナダ人?

2008年、当時の移民大臣ジェイソン・ケニーはサンタクロースとミセス・クロースにカナダ市民権を与えた。同時にサンタのお手伝いさんたちも市民権が認められたそう。

何とも可愛らしいニュースだったのだが、北極圏に領土がある国たちは北極の所有権に関しては敏感なため、どうもうまく受け入れられなかった。

当時のフィンランドのカナダ大使曰くサンタクロースは国や国境ができる前から存在していたのだから、どこに行くのも彼の自由。「各国の市民権やパスポート、グリーンカード、旅行ビザなどは彼に必要ない」と主張した。

北極圏の国の「サンタクロース」たち

Santa Claus Village

北極圏に領土を持っている国はカナダとアメリカ、アイスランド、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、フィンランド、そしてロシア。どの国も独特のクリスマス文化がある。


フィンランドでサンタクロースは「Joulupukki(ヨールプッキ)」と呼ばれ、北の果てにあるラップランドに住んでいると伝えられてきた。サンタクロース・ヴィレッジという観光地に行けば季節関係なくサンタに会える。

アメリカやカナダ、フィンランドではサンタは白く長い髭を生やしたお爺さんというイメージが強い。しかし、北欧やロシアでは少し違うようだ。

妖精が主役の北欧国

フィンランドを境目に、西の北欧国と東のロシアではクリスマスのアイコンが異なる。北欧国のクリスマスの主役はサンタではなく、彼のお手伝いさんである小人の妖精。スウェーデンではその名を「Tomte(トムテ)」、そしてノルウェーやデンマークでは「Nisse(ニッセ)」という。フィンランドでも「Tonttu(トントゥ)」が存在する。この妖精たちが子供たちにプレゼントを届けてくれるのだ。アイスランドのクリスマスの妖精はなんと13人兄弟で、「Yule Lads(ユールラッズ)」という。

ロシアの青いサンタ

東のロシアでサンタはジェド・マローズ、または「マローズ爺さん」と呼ばれる。霜の妖精である彼は赤色か青色の衣装を着ている。ロシア正教ではグレゴリオ暦ではなくユリウス歴を採用しているため、クリスマスは1月7日に祝われる。そのため、スニェグローチカという雪娘と一緒に子供たちへプレゼントを配る作業は大晦日から元旦にかけて行われる。


ジェド・マローズが生まれたのはロシア西部のヴェリキィ・ウスチュグという小さな町だと言われている。ロシア東部シベリアにあるサハ共和国の首都、ヤクーツクにもチスハーンという青いサンタが存在し、彼とジェド・マローズは仲間だそうだ。

国際事情が揺るがすサンタの「国籍」

色々な国でクリスマス・アイコンはサンタクロースやその妖精であっても、出身地が異なることや世界中を自由に飛んでいるという設定を考えれば、カナダの「サンタクロースはカナダ国籍」という発言は他国にとっては少し悩ましいものだったに違いない。だがその背景にはロシアのある行動が関係していた。

2007年、ロシアは北極圏の海の底にチタン製の国旗を立てた。北極は今でも一つの国のものではないが、昔から近隣国は所有権を争っている。カナダも1900年代初期から北極に人を送り込んでは自国のものだと主張してきたため、ロシアが旗を立てた行動はカナダや北欧国に緊迫感を与えた。その一件以降、ロシアと中国は北極圏にて軍事プレセンスを拡大しているため、カナダは北極圏の最も有名な住人で平和の象徴でもあるサンタクロースを守るべく「サンタはカナダ人説」を強めているのかもしれない。

カナダのサンタの郵便番号は「H0H0H0」

ロシアの北極圏の軍事侵攻に比べると、カナダのサンタクロースを守ろうとする姿勢はまだ可愛らしいもの。なんせサンタはカナダ国籍でも、税金はクッキーとニンジンで納めている。

クリスマスシーズンになると、カナダではサンタクロースに手紙を送ることが出来る。宛先名はSanta Claus、住所はNorth Pole, H0H 0H0, Canadaのそれだけ。郵便番号がサンタの笑い声「Ho, ho, ho」になるようにアルファベットと数字のゼロを当てている。

内容は英語でなくても良いのと、カナダ国内からの手紙は切手不要なのが便利。手紙には必ず自分の住所を書くことと、子供が複数いる場合は一通にまとめて送ることが決まりなので気をつけよう。

サンタやクリスマスが存在する前のカナダ

キリスト、ではなく冬至

カナダの現代のクリスマス文化は国際事情が関係しているが、そもそもクリスマスというお祝いがこの国に定着したのも同様の理由にある。
カナダにヨーロッパ人が来る前、先住民族たちが冬に祝っていたのは冬至だった。カナダをはじめアラスカやグリーンランドにも住むイヌイット族には「Quviasukvik(喜びの時)」という冬のお祭りが存在する。彼らは冬に狩りがうまくいくことを祈るため、そして冬至の後に新しい太陽の光が人々の暮らしを暖かく照らしてくれるよう祈りを込めてお祝いをしていた。

カナダ各地に残されている冬至の記録

サスカチュワン州の南東には1000年以上も前から存在する「Medicine Wheel」があり、それにははっきりと冬至と夏至が記されている。「Medicine Wheel」とは十字と輪で作られる先住民族のシンボルマークであり、十字は方角、色、人種、季節、人生のステージなどを表している。そして輪のなかに存在することですべては繋がっていることを意味している。

1000年も前からあるということは、冬至はヨーロッパ植民者たちが持ち込んだ文化ではなく、先住民たちがもともと大事にしてきた行事だということがわかる。

「Quviasukvik」の祝い方

クリスマスと時期が重なるこのお祭りでイヌイット族の人々は共に食事をしたり、踊ったり、プレゼント交換をしたりする。同時に、ゲームや昔話などの語り聞かせを通じて民族の絆を深める機会でもある。祝い方だけを見れば、現代人のクリスマスの祝い方とよく似ている。人々との繋がりを大事にするところはヨーロッパ人がキリスト教やクリスマス文化を布教した当時から似ていると考えられていた。強いて異なる点を挙げるとすれば、先住民文化には人は自然と宇宙と一つであるという認識が強く、お祭りではその繋がりが重視される。

夏至と冬至の意味

先住民族によると、夏至は全ての命にとって新しいスタートを切るためのエネルギーでみなぎっている日。音楽や踊りで溢れるこの日のお祭りは、民族によっては「サンダンス」と呼ばれる。同じく新しい季節の始まりである冬至も、反省するべき気分や物事が一新される時期。太陽の動きを記録するメディスン・ホイールはカナダのあらゆるところで見つかっている。冬至は一年で一番長い夜をゆっくり過ごし、じっくり時間をかけて春の予定を建てる日でもあった。

ヨーロッパ人との交流によって広まったクリスマス

サスカチュワン州は北と南で住んでいる部族が違い、ヨーロッパ人植民者たちによる影響もだいぶ異なる。

北側のDene族やWoodland Cree族は植民者たちに毛皮を売っていた歴史があり、それがきっかけでヨーロッパ人はキリスト教を広めることができた。クリスマスのお祝いが浸透したのもこれにルーツがある。

反対に南側では伝統的な先住民の冬の祝い事が根強く、Plains Cree族やSaulteaux族、Nakota族、Dakota族ではパウワウ(踊りの集会)が行われる。ヨーロッパ人らが侵略してきた後キリスト教は義務化され、冬至を祝うことは許されず、クリスマスとすり替えられた。
サスカチュワンの先住民族らは自分らの祝い事を「クリスマス」として隠して祝い続け、伝統を守り抜いた。

キリスト教というビジネス戦略

カナダ東部に多く存在するミクマク族にも「Nipi-alasutmamk」という冬のお祝いがある。そしてイヌイット族同様、彼らが人との繋がりを大事にすることやその価値観はキリスト教の教えに似ているところがある。お祝いでプレゼントをあげる習慣も根強いことや、子供は創造者からの神聖な贈り物であるという考えも似ている。

ミクマク族のユニークなところは、彼らの文化がキリスト教に似ているということを強みにし、ヨーロッパ人の生み出した「クリスマス・スピリット」というビジネスチャンスに乗り出したことだ。クリスマスのギフトギビングの習慣にかなって、彼らは手作りのかごなどの工芸品を着実に売ることを成功させた。

消えたのは先住民文化だけではない

ヨーロッパ人らがキリスト教を持ち込む前、先住民族は創造者を祀っていた。しかし創造者ではなく太陽を拝んでいると思い込んだヨーロッパ人たちはその存在をキリストにすり替えた。

塗り替えられたのは先住民の信仰や伝統だけではない。キリスト教徒たちは古代ローマに伝わる「Saturnalia(サートゥルナーリア)」という農耕の神を祝う12月のお祭りもクリスマスに変えて、キリスト教にしてしまった。

先住民の冬のお祝いのように「Saturnalia」でもプレゼントを贈る文化が強かった。内容は祭りの期間中、奴隷とその主人が立場を入れ替わり、大いに飲み食いしては騒ぐという変わったものだった。

クリスマストリビア

誰もキリストの正確な誕生日を知らない?

クリスマスは12月25日に「キリストの誕生日」として祝われているが、実は誰も彼の正確な誕生日を知らない。そのためクリスマスはキリストが生まれる前から存在していた冬至のお祝いの日に合わせられた可能性が高いと言われている。冬至の日には何かが新しくなることや太陽が戻ってくるという意味があるため、キリストの魅力をアピールするのに最適な日だったと考えられている。

そもそもサンタクロースのモデルとは?

サンタクロースの由来は4世紀に現在のトルコに存在していたカトリック教会司教の聖ニコラウスである説が一番有力だ。彼は貧しい子供たちに自分の財産だった金貨を配っていたそう。彼が赤い司祭服を着ていたからサンタも同じような服を着ているそうなのだが、そのイメージが定着した理由は1931年に「コカ・コーラ」の宣伝で使われた絵だ。

トロントのサンタクロース・パレードは今年で〇〇年!

毎年トロントで行われているサンタクロース・パレードは今年の11月でなんと121年の歴史を誇る。1905年にスタートしたこのイベントの8年目には本物のトナカイがソリに乗ったサンタを引っ張っていたそう!

「クリスマスツリー」はいつからあった?

クリスマスにツリーを飾るという文化は1510年のラトビアに遡る。ドイツとスイスの間にあるアルザス地域圏でも1531年にドイツのクリスマスツリーが飾られたという記録が残っている。当時のツリーはリンゴやプレッツェル、キャンディなどで彩られ、子供たちへのプレゼントもそばに置かれた。ろうそくに火を付けることもルーテル教会の伝統では大事なものだった。

カナダのクリスマスツリーの〇〇パーセントはアメリカに!?

2021年の統計では、カナダには1,364軒ものクリスマスツリー農家が存在した。州別ではオンタリオ州が一番多く、その次にブリティッシュコロンビア州とケベック州が続いた。ほとんどの州はツリーを輸出しており、なんとその97.2%がアメリカの北東部に渡っているそう。

サンタに手紙を送る伝統は40年以上も続くもの

「Canada Post」が1982年に引き継ぐまで、カナダの子供たちがサンタクロース宛てに書いた手紙に返事を書いていたのはマニトバ州のヴェルナ・グリーンという女性だった。彼女は30年近くも熱心に毎年返事を書いていた。今ではボランティアたちと「Canada Post」の従業員らが手伝っている。

ツリーに初めて電飾がついたのは今も大きなツリーが有名なあの場所

クリスマスツリーに初めて電飾が飾られたのは1882年。ロッカーフェラーセンターのツリーで有名なニューヨークで披露された。Edison Electric Companyのエドワード・ジョンソン氏が手作りで80個の電飾が繋がったストリングライトを作り上げた。その後ストリングライトは商品化され、カナダのケベックに初めて辿り着いたのは1896年だったそう。

北アメリカ初のクリスマスツリーはケベックにて

ケベック州のソレルにて北アメリカ初のクリスマスツリーが飾られたのは1781年のことだった。イギリス人とドイツ人上流層のパーティにてバルサムファー(Balsam fir)というモミの木の一種が会場の主役だった。

カナダ各地に存在するユニークなクリスマス文化

ニューファンドランド島のMummering(ママーリング)

カナダ最東端、ニューファンドランド島には少し変わったお祭りがある。ママーリング(正確な発音はマームァリングに近い)と呼ばれるこのお祭りのルーツはローマで伝統だった「Saturnalia」にあるが、1800年代初期にイギリス人の移民がカナダへ持ち込んできたもの。クリスマスが近づくと、Mummers(ママーズ)たちはぶかぶかの古着などを着て、スカーフや仮面などで顔までも隠す。正体が分からなくなるまで仮装したママーズたちは人の家を訪ね、歌を歌ったり踊ったりするのだが、その家の人たちはママーズの正体を当てなければいけない。

少しハロウィンに似たお祭りだが、1860年には殺人事件が起きてしまったほど昔のママーズは凶暴かつ騒がしい存在で、事件後は1990年までお祭りが禁止になっていた。最近ではクリスマスシーズンになると州都セント・ジョンズに参加者が集まり、平和にパレードが行われている。

住民は誰も知らない?ノバスコシア州ルーネンバーグの「伝統」

ノバスコシア州のルーネンバーグには昔、「Belsnickeling(ベルスニケリング)」というクリスマスのお祭りがあった。1970年代にはまだ存在していたものの、今では失われてしまった伝統だ。

1751年にドイツからノバスコシアに移民してきた人らが続けていたこのお祭りは基本的にはニューファンドランド州のママーリングに似ている。内容は街の人々が面白おかしくサンタクロースの仮装をして、住民の家を訪れては誰だか当ててもらうというもの。しかし現代ではご近所付き合いが少なくなり、前触れもなく人の家に押しかけることも当たり前ではなくなってしまった。

2018年にポーター航空が「Belsnickeling」を機内誌で取り上げるとノバスコシアの住民は「そんな伝統はない」と声を上げるほど存在は薄く、しかもルーネンバーグだけに限られていたようだ。

ケベック州の「Père Noël (ペール・ノエル)」

第一次世界大戦前、ケベックのクリスマスはキリストの誕生を祝う静かな祝日だった。
ケベックやアカディア(カナダ東部、ノバスコシア州やニューブランズウィック州の旧称)では子供たちが暖炉の前に靴を置いておくと、赤ん坊のキリストがプレゼントを持ってきてくれるという言い伝えがあった。

だがやがてクリスマスはマーケティングにより宗教とは離れた資本主義のお祭り事となり、「Père Noël(ペール・ノエル)」というフランス系カナダ人のサンタクロースが子供たちへのプレゼントをツリーの下へ置くという設定になった。

特集を振りかえって

近年カナダでは先住民族がヨーロッパ植民者たちによって土地も文化も言葉も失われたことを国が認め、和解が進んでいる。その一環として復活しているのが先住民族に伝わる冬至のお祝いだ。クリスマスが商業化される前、ヨーロッパ人らはキリスト教を広めるべく「キリストの誕生日」を猛プッシュしていたが、今ではクリスマスも資本主義と消費主義の被害者になってしまった。サンタクロースも国際関係に揺るがされるなか、今こそ昔の「冬の季節の祝い方」がもともと何だったのか見つめ直すべきなのかもしれない。