トロント・ブルージェイズが生まれるまで
トロントに初めて球団ができたのは今から140年も前の1885年。そしてブルージェイズという名のチームが結成され、メジャーリーグ(MLB)でプレーし始めたのは1977年のこと。それまでの歩みと、ローカルに愛されるチームに成長してきた道のりを紹介していこう。
1. 野球はトロントで歴史が長いスポーツ


1885年にトロントに野球が広まった当時、地元チームはトロント・ベイスボール・クラブと呼ばれていた。翌年にはトロント・カヌックスに名前が変わり、カナディアン・リーグからインターナショナル・リーグ(現在のマイナーリーグ)に参戦するほど早く発展していった。現在のRiverside界隈に存在したSunlight ParkやLiberty Village界隈にあったDiamond Park、トロントアイランドにかつて多くの人を呼んだHanlan’s Point Stadiumなど、さまざまな球場を拠点としてきた。
2. メイプルリーフスは野球チームだった?

トロント・カヌックスからトロント・メープルリーフスに球団名が変わったのは1896年。それから71年間、1967年までマイナーリーグで活躍した。いくつか球場を点々とした後、1926年に現在のFort YorkにあったMaple Leaf Stadiumに拠点を移した。メイプルリーフスというと今ではアイスホッケーのチームの名前だが、もともとは野球チームの名前。1927年にNHL(National Hockey League)のトロント・セント・パトリックスが改名してメイプルリーフスになったのだ。残念ながら1950年代に入るまで、球団の成績は決して良いものではなかった。Maple Leaf Stadiumは1930年代に取り壊され、跡地にはBilly Bishop Toronto City Airportが建てられた。
3. 1950年代、メイプルリーフス大改革
1951年7月、メイプルリーフスのオーナーにジャック・ケント・クック(Jack Kent Cooke)が就任。それまで20年にも及ぶ大スランプに陥っていたチームを見にくる観客はもちろんのこと少なかった。一年に動員できたのはわずか6万人ほど。順位は常に最下位だった。クックは就任するとほぼ同時に二人の黒人プレイヤーをチームに契約。黒人がプレーするのはチームの歴史で初めてのことで、人種差別が当たり前だった時代では衝撃的な出来事だった。MLB初の黒人選手、ジャッキー・ロビンソンがドジャースに入団したのはそのわずか4年前の1947年のことで、当時はまだ新しい試みだった。
4. アイデアマン、ジャック・ケント・クック

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クックがオーナーとして残した最大の功績は、試合にエンターテイメント要素を取り入れることで観客を呼び寄せたことだ。彼がオーナーになって初めての試合では、全ての観客にホットドッグとドリンクが無料で提供された。違う試合ではハワイから取り寄せた蘭の花が女性客先着3,000名に配られた。クックはスタジアム内にご意見箱を用意し、積極的に客の声に耳を傾けた。このような取り組みが話題を呼び、1951年から1960年の間で320万人もの観客数を動員。それまで弱かったチームも1952年にはリーグ4位に上り詰めるほどクックは球団と球場の雰囲気を入れ替えた。
5. クック退任後、活気は衰退
オーナーとして退任後、1961年にクックはアメリカへ移住。その後、球団のリーダーシップは何回も変わり観客も再び激減、スタジアムでは損失が目立つようになった。1967年にはアメリカのケンタッキー州ルイビルに拠点を移し、1968年にはMaple Leaf Stadiumが劣化を理由に取り壊されることが決定。トロント・メイプルリーフスはオンタリオ州のインター・カウンティ・リーグに参戦することが決まり、Christie Pits Parkをホームベースにするため帰国した。それからメジャーリーグへの加入が決まった1977年まで、州内でのみプレーしていた。
6. ポール・ゴッドフリーのトロントMLB大計画
メイプルリーフスがマイナーリーグを去ったころ、North Yorkの市議会員ポール・ゴッドフリーは、どうにかしてトロントにMLBチームを呼び寄せたいと作戦を練っていた。モントリオールではモントリオール・エクスポスの人気が爆発し、ファンが殺到していた。それを知ったゴッドフリーはトロントでも野球の人気は戻ってくるはずだと確信していた。
7. MLBチーム本拠地になるための「条件」とは
1969年の冬、MLBの会議に参加するためにフロリダを訪れていたゴッドフリーは、市がMLBチームの拠点に選ばれるにはまずスタジアムが存在しないといけないという情報を耳に入れた。数年後の1973年、ゴッドフリーがメトロ・トロント(Metro Toronto: 1954年から1997年まで存在したオンタリオ州の地方行政区画で、トロント市とは別)の会長に選ばれた年、彼はメジャーリーグチームをトロントに呼び寄せることと、屋根付きのスタジアムを建てることを住民に約束した。
8. フットボール競技場を野球場に
当時のオンタリオ州首相ウィリアム・デイビスと親交を深めていたゴッドフリーはMLBを振り向かせるため、それまでアメリカン・フットボールの試合会場として使われていたExhibition Stadiumを野球場として改装するプランを提案。デイビス州首相はゴッドフリーに1500万ドルもの改装費用をローン契約することを許した。ゴッドフリーはスタジアムの所在地、Exhibition Placeで渋滞が悪化することを懸念していたが、あくまで新しいスタジアムを作れる時が来るまでの一時的なオプションとして改装工事は進んだ。
9. どのチームを呼ぶ?長く続いた買収劇
トロントにMLBチームを呼ぶ企画はクックがオーナーだった50年代から存在した。クックはボストン・ブレーブスやデトロイト・タイガースなどをトロントに移転させようとしたが、成功には至らなかった。スタジアムが完成すると今度はサンフランシスコ・ジャイアンツを買収する計画が浮上。しかし当時のジャイアンツは450万ドルもの赤字を抱えていた。結局、ジャイアンツの管理委員会が買収に厳しく反対し、ナショナルリーグとジャイアンツ、そして買収しようとしているオーナー全てに対して訴訟を起こした。買収は白紙となり、のちにトロントはアメリカンリーグの拡張でチームを得ることになる。
10. 新しいオーナーはビール醸造会社
ゴッドフリーにとって、トロントでMLB球団を始めるには相応しいオーナーを見つけることも重要だった。いくつか挙がった候補のなかに「Labatt Breweries」というビール醸造会社が存在した。当時売り上げが落ち始めていたこの会社は、すでにホッケーチームに手をつけていたモントリオールの醸造会社、「Molson Brewery」に買収されることを恐れていた。「Labatt」は自社が野球チームのオーナになることでビール市場やトロントの経済を向上することをゴッドフリーに主張。さらに「Labatt」には「Globe and Mail」のオーナー、R. ハワード・ウェブスターも合流。1976年3月、アメリカンリーグは「Labatt Breweries」に球団を任せることを正式に決定した。
11. 「トロント・ブルージェイズ」誕生
スタジアムの改装が進み、買収劇が落ち着いた後、選手たちも次々にトロントへトレードされることが決まった。そしてチームの名前を選ぶ時がやってきた。トロント市民3万人がそれぞれ希望の球団名を応募したところ、「ブルージェイズ」が選ばれた。北アメリカの野鳥であるブルージェイ(アオカケス)は強く、積極的で好奇心旺盛なことが特徴的。MLBチームの結成への市民の期待は高く、1977年初めて参戦したシーズンでは最初の50試合で120万人の観客が駆けつけるほど人気を集めた。初シーズンの終わりには170万人を動員するほどあっという間に人気が定着して行った。
トロント・ブルージェイズの軌跡
1985年〜、地区優勝からワールドシリーズ制覇まで
1985年、地元ファンに「ジェイズ」の愛称で呼ばれるようになったブルージェイズはアメリカンリーグ・イーストディビジョン(AL East)の地区初優勝を果たした。1989年にはブルージェイズの新スタジアム、SkyDome(現Rogers Centre)がオープンした。これが起爆剤となり、同年と1991年に地区優勝した。1992年にはワールドシリーズまで勝ち進み、制覇した。この勝利はアメリカに拠点を持たないMLBチーム初の快挙だった。1993年のシーズンもブルージェイズは快進撃を続け、2年連続ワールドシリーズ制覇を果たした。
1994年〜、ワールドシリーズ2連覇後、スランプが続く
ワールドシリーズを2回制覇した後の1994年のシーズンは惜しくも厳しいものだった。1982年以来初めて負けが多かったシーズンで、主な原因はピッチングの弱さにあった。同じ頃に「Labatt Breweries」はベルギーの会社に買収されることが決定。北アメリカ以外の会社がMLBチームを経営するのはブルージェイズで2チーム目のことだった。2000年にはRogers Communications, Inc.がブルージェイズを買収することとなり、オーナーシップが変わった。古巣であったExhibition Stadiumは取り壊され、その跡地にはBMO Fieldが建てられた。
2005年、SkyDomeからRogers Centreへ
2005年にSkyDomeはRogers Centreに名前が変わり、スタジアム内も大きな改装が進んだ。ワールドシリーズ2連覇後はスランプが続いていたブルージェイズ。怪我人も多かったが、2006年は久々に好調なシーズンを送った。オールスターゲームには選手5人が選ばれ、AL East Divisionで2位に終わった。3位以上にシーズンを終われたのは1993年以来だった。
2015年、待ちに待った地区優勝
Rogers Centreに移った後も浮き沈みの激しいシーズンが続いた。そして迎えた2015年、ブルージェイズはやっとの思いでプレイオフに出場決定。6回目の地区優勝を果たした。これほど長く優勝と優勝の間に時間が空いたチームは北アメリカでブルージェイズが最長だった。ワールドシリーズ出場は逃してしまったものの、ジョシュ・ドナルドソン選手がAL MVP受賞。なんと1987年以来初のブルージェイズ選手の快挙だった。ブルージェイズ史で最も有名なホセ・バティスタ外野手がバットを投げつけた「バットフリップ」シーンが生まれたのはこの地区優勝戦だった。5ゲーム目の7回裏、テキサス・レンジャーズ相手に3対3の同点だったところ、バティスタが3ランホームランを放出。その自信に満ちた振る舞いはファンを圧巻させ、勝利の栄光を多くの人の目に焼きつけた。
2019年、二世選手の活躍
新監督チャーリー・モントーヨが就任した2019年の開幕前、残念ながらポストシーズン経験者である選手らが次々にチームを離れていった。そこで入ってきたのは父親が元MLB選手である若手の二世選手たち。今年でオールスター選出5回目を果たしたブラディミール・ゲレーロ・ジュニアやショートを守るボー・ビシェット、現在ドジャースに在籍中のキャバン・ビジオなどがメジャーリーグデビューを果たした。
2020年、コロナ禍の活動
コロナ禍ではカナダとアメリカの間で入国規制が厳しかったため、ホームゲームはやむを得ずアメリカ内で行うことに。2020年はニューヨーク州バッファローにあるSahlen Fieldにて、そして2021年はフロリダ州のダニーデンにあるTD BallparkとSahlen Fieldで。本拠地トロントに戻れたのは2021年の7月30日のことだった。
2025年今年、地区優勝なるか!?
2015年の地区優勝後、2016年にもプレイオフ出場。それからは2020年ともに 2022年、2023年にワイルドカードチームとしてプレイオフに出場にしているが、地区優勝には近づけていない。今シーズンの成績は7月20日現在で56勝と41敗。キープレーヤーが次々に故障者リスト入りするハプニングやホームランが少ないことがチャレンジだが、コツコツとイニングごとに相手の点を阻止するゲームで勝ちを決めている。現在打率ではジェイズがメジャーリーグのトップに立っている。ファンの間では今年こそやっと地区優勝できるかもしれない、と期待がかかっている。
今までにブルージェイズに所属した日本人選手の数は8人。最初は2004年、オーストラリアと二重国籍を持つマイケル中村だった。彼、そして続く大家友和と五十嵐亮太、三人とも投手だった。川崎宗則と青木宣親が2010年代に活躍したのち、山口俊がコロナ禍最初の年に入団。2022年には今号でインタビューに登場してくれている加藤豪将とシアトル・マリナーズで活躍していた菊池雄星が合流した。
川崎宗則氏の人気ぶりは当時話題を呼んだ。彼がかつての取材で「I eat three banana. Because monkey never cramps(バナナを3本食べる。なぜなら猿は痙攣を起こさない)」となんともユニークな発言をした。彼がMLBで見せたユーモアは今でもファンの間で全く色褪せることなく愛されている。
野球だけじゃない!Rogers Centreの魅力

ロジャース・センターは世界初の可動式屋根付きのスタジアムであることで有名。屋根の開け閉めに必要な時間は25分から30分ほど。球場が完成するまでに必要だった人材の数は一万人以上だそう。オフシーズン中、球場はコンサートやイベント会場としても使われる。球場モードからステージなどを要するコンサートモードへ切り替わるには40時間が必要だそう。実はアメリカン・フットボールやサッカー、レスリングの競技場となったこともある。

ロジャース・センターは2022年に4億ドルの改装計画を発表。以来新しい座席スペースやバーなどが増設されている。この球場にはマリオット・ホテルがつながっており、348部屋あるうちの70部屋から球場内を眺めることができる。ジェイズファンなら一度は泊まってみたいスポットだ。
Rogers「Stadium」はコンサート会場のみ

名前がとても似ているため紛らわしいのだが、トロントにはRogers CentreとRogers Stadiumが存在する。野球をプレーするのは「〇〇スタジアム」という日本語の発想からするとRogers Stadiumと間違えてしまいそうなのだが、トロントのRogers StadiumはDownsviewエリアにある仮設のコンサート会場で、球場がRogers Centreだ。
去年のオープンから5年間の利用が限られているこのベニューの敷地は、その後住宅建設に当てられる。Rogers Centreは野球のため年の半分しか多目的に利用できず、アーティストはトロントをツアー目的地に選ばないことが多いそう。「トロント飛ばし」に歯止めをかけるため、コンサートやイベント管理を手がける「Live Nation Canada」はRogers Stadiumの建設に踏み切ったそうだ。
授乳中でもゆっくり観戦できるサービスが充実
Rogers CentreのSection 240、Gate 13エレベーターのすぐそばにInfant Feeding Roomが存在する。そこは授乳が必要な赤ちゃん連れのファンのための部屋であり、4台のロッキングチェアや2台のシンク、ミルクウォーマーや無料のオムツ、おしりふきなどが用意されている。エアコンはもちろんのこと、テレビもついているので試合をミスすることなく赤ちゃんのケアが出来るので使わないのはもったいない!
カナダ・デーは球場で!
ブルージェイズの試合で最も賑わうのが伝統的なカナダ・デーの試合。これは必ずホームスタジアムで行われ、選手たちはカナダのナショナルカラーである赤のユニフォームをまとう。
子供たちに大人気、Jr. Jays Sunday
子供がいる家族なら一度は行ってみたいのがJr. Jays Sundayというイベント。日曜日にホームゲームがある時に行われるのだが、そのお祭りぶりは球場の開場時間からスタートする。球場の中にも外にも、至る所にアクティビティが設置される。ボール投げなどのゲーム遊びからフェイスペインティング、似顔絵などバラエティは様々なので年齢問わず楽しめる。試合後には14歳以下の子供なら実際に選手たちがプレーするダイアモンドを走ることが出来るので、それも見逃せない。
来場証明書をもらえるサービスも
誕生日を球場で祝う人、または球場に初めて来る人のためは「Commemorative Certificate」という来場証明書をもらえるのをご存知だろうか?Fan Servicesカウンターに行くと無料でもらえるので、いい記念になること間違いなし!
ブルージェイズをさらに楽しめる豆知識
豆知識1: 知っておきたい注目選手
内野でブルージェイズを守ってきたのは春に14年5億ドル契約延長に合意したブラディミール・ゲレーロJr.(一塁)と、彼と10代の頃からの戦友であるボー・ビシェット(ショート)。三塁の注目選手はマイナーから這い上がりパワーヒッターに成長したアーニー・クレメント。
二塁にはガーディアンズからトレードできたアンドレス・ヒメネスがいる。外野は守備でも打席でもアグレッシブな選手が多い。ベテランのジョージ・スプリンガーやキャリア初めはキャッチャーだったドールトン・バーショ、とにかく強肩なアディソン・バーガー(発音は正しくはバージャー)がいる。
豆知識2: 投手&捕手陣も個性派が揃う
3シーズン前にアスレチックスからきたクリス・バシットはキャッチャーではなく自分自身で投げる球の種類を選ぶことにこだわりを持っている。スペイン語で「ラ・マキナ」(マシーンという意味)のニックネームを持つホセ・ベリオスはトレーニングでもマウンドでも途絶えない集中力とスタミナで有名だ。リリーフピッチャーには中日ドラゴンズでもプレーしていたヤリエル・ロドリゲスもいる。彼らを支えるのはキャッチャーのアレハンドロ・カーク。彼はオールスターに2回選ばれたこともある選手で、「キャプテン・カーク」の愛称で親しまれている。
豆知識3: ジェイズファンの気質
カナダ唯一のMLBチームであるブルージェイズは、カナダ全土にファンがいる。そのファンたちはスプリング・トレーニングが始まるとアメリカ・フロリダ州に集まり、西海岸シアトルで試合があると必ず球場を埋めるほど熱心だ。なぜだがジェイズの試合にアイスホッケーのメイプルリーフスなどのユニフォームを着ていく人も多く、とにかく「カナダのチーム」を支えている人がテレビに映っていることが多い。
豆知識4: ブルージェイズにとって敵チームとは?
ジェイズがプレーするアメリカンリーグ・イーストに属するのはバルティモア・オリオールズ、ボストン・レッドソックス、ニューヨーク・ヤンキーズ、タンパベイ・レイズなどで、ライバルは強豪チームばかり。アメリカンリーグ・セントラルにはミネソタ・ツインズやデトロイト・タイガース、ウェストにはヒューストン・アストロズやテキサス・レンジャーズ、シアトル・マリナーズがいる。
豆知識5: マスコットは「エース」

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ブルージェイズのマスコットは「Ace(エース)」。エースの弟、ジュニアはJr. Jay SaturdayまたはSundayに登場する。1979年から1999年まではBJ Birdyという名のマスコットが存在し、2000年にAceとDiamondが紹介された。しかし2003年にDiamondの起用が終了し、Aceだけが続投した。
豆知識6: 将来のスター選手がいる!マイナーリーグにも注目
MLBでは不調が続く選手が戦略外通知(Designated For Assignment)を受けた場合、マイナーリーグ(トリプルA)でプレーするケースがほとんどだ。その観点から見ると少し「残念なところ」としか見えないのだが、故障者やトレードでスタメンが少なくなった場合に注目されるのがマイナーリーグから選ばれる選手だ。若い選手が多いが腕がよく、長年マイナーで積み重ねてきた努力がメジャーで試される姿はまるで下積み時代を生き残ってメジャーデビューを果たしたアイドルのよう。実際に安定したスタメンに残る選手も多いので、その活躍には目が離せない。
豆知識7: 日本の会社もジャイアンツ買収に乗り出していた!
1975年にトロントがサンフランシスコ・ジャイアンツ買収に立候補していたところ、ライバル候補のひとつであったのが日本の西武コーポレーションだった。残念ながら、MLBは東洋人には見向きもしないだろうと感じ取った西武は手を引いたが、カナダ人らその夢を託していった。
豆知識8: ホームでの国歌斉唱は、アメリカが先

2005年以来、ホームゲームではアメリカ国歌「Star-Spangled Manner」がカナダ国歌「O Canada」より先に歌われる。アウェーの試合ではその反対で、カナダ国家が先に披露される。
豆知識9: 選手たちも参加するチャリティ団体、Jays Care Foundation
ブルージェイズの球団の取り組みの一環として「Jays Care」は存在する。このチャリティーはカナダ全土の子供たちに野球を通じて困難を乗り越える勇気を与えることが目的だ。体に不自由がある、または先住民(マイノリティ)である、貧困で暮らしているなどの困難がある子供たちにスポットライトが当てられる。誰もが自己肯定感を感じられるような活動を目指している。チャリティイベントでは選手も参加し、自身の野球の活動を通じて募金を集めるなどしている。
豆知識10: ついつい聞き入ってしまう!ジェイズを支える実況中継チーム
ブルージェイズの試合をテレビで見たことがあるなら、実況アナウンスも何かしら聞いたことがあるはず。英語が聞き取れなくても状況が掴みやすいトーンが特徴的で、日本のリズムや迫力とはまた一味違うところが面白い。ブルージェイズの名物アナウンサーといえば敏腕スポーツキャスターのダン・シュルマンと元MLB捕手バック・マルティネスだ。分かりやすい解説とユニークな声の質についつい惹かれてしまうので、依存率は高い。
試合勝利後のヒーローインタビューでは質問を任される女性スポーツキャスターのヘーゼル・メイの活躍にも注目。選手をもっとよく知れるほか、ゲレーロJr.がインタビュー中、ヒーローに氷入りのスポーツドリンクをバケツごとぶっかけるイタズラぶりもすっかりブルージェイズ名物だ。

