【第一部|挑戦から未来へ】山野内勘二 駐カナダ日本国特命全権大使が描く「日加連携と人生哲学」|特集「令和7年新年特別インタビュー」
第一部では、「インド太平洋戦略」を軸にした新たな外交展開や産業協力、そして国際情勢に揺れる中での日加連携の重要性について語る。
「やりたいこと」「できること」「やるべきこと」の交差点を探し続けた挑戦の軌跡は、次世代への希望と道標を示してくれる。外交と人生を貫く哲学が詰まった珠玉のインタビューをお届けする。
三回の留年から外交官へ:坂本龍馬が導いた挑戦の哲学

三回の留年、ロックンローラーへの夢、そして模索の日々から、司馬遼太郎の長編時代小説『竜馬がゆく』との出会いが、迷い続けた若者を外交官の道へと導いた。自分の道を見つけるための試行錯誤を経て辿り着いた答え。それは「やりたいこと」「できること」「やるべきこと」の交わる場所を探し続けることだった。
本との出会い、学びの楽しさ、そして挑戦の本質を教えてくれた人生の転換点について、語られた大使のストーリーは、私たちにも新たな道を見つけるヒントを与えてくれる。
坂本龍馬に導かれた外交官への道
ー外交官を目指されたきっかけについて伺わせていただきたいと思います。学生時代にはロックンローラーや映画監督を目指されていたとお聞きしました。また、大学では三度の留年を経て、目指すべき道を見つけられたとも伺っています。大使ご自身の人となりについて、ぜひお話しいただけますでしょうか?
どうして外交官になったかって話なんですけど、実はその前にロックンローラーを目指してたんですよ(笑)。実際にはいろいろなことをやりかけて、どれも中途半端で終わってました。何をすればいいのか分からないまま、自分探しをしてたような状態でしたね。でも、そういう時期って若い人にはあると思うんです。この記事を読んでる方の中にも、きっと同じように模索してる方がいるんじゃないかと思います。
ー当時はどのような状況だったのでしょうか?
親からは『勉強して、ちゃんと卒業してね』って言われてました。でも、そういう型にはまるのが嫌だったんですよね。だからといって、何がやりたいのかも分からなくて。だけど、どこかで自分の中に何かあるはずだって、漠然と思ってましたね。何かは分からないけど、絶対にあるんだって。それで試行錯誤してるときに、ある本を読んだんです。
ーどんな本だったんですか?

司馬遼太郎の『竜馬がゆく』ですね。高校生の頃に読んだんですけど、そのときはそこまで響かなかったんですよ。でも23歳くらいになってから読み返したら、もうすごく心に刺さって。
薩長同盟を結んでいくところが特に印象的です。ちょっとしばらく読んでいないから、記憶が混濁している部分もあるんですが、司馬遼太郎が言うには、「坂本龍馬は、その当時きっての外交家である」と。つまり、町中や薩摩、長州という対立する勢力の間で、彼の構想力と人徳が結びついて、それが一つの力になって、明治維新に繋がっていったとしています。
そういうことを成し遂げた坂本龍馬が、当代きっての外交家だと述べたのでしょう。それが外交官を目指すきっかけになりました。
ーそれが原点だったんですね。その後、どのように外交官を目指されたんですか?

当時はどうやって外交官になるのかも全く分からなかったんです。外交官になるにはどうすればいいんだろう、というところから始まったんです。私は下北沢に住んでいて、大学は巣鴨にあったのですが、新宿に三省堂書店があって、そこで『外交官になるには』っていう本を見つけたんです。
こんな本があるんだと思って手に取ってみたら、試験に受かればなれるって書いてあったんです。留年していようがどこの大学だろうが、試験に受かればチャンスがあるんです。それで「よし、やってみよう」と思いました。ただ、そこからが大変でした。勉強するためには時間もお金も必要で、バイトを辞め、親にお願いして、勉強するから支援してくれと電話しました。でも、最初は信じてもらえなくて。だってそれまでロックンローラーを目指してたんですよ(笑)。
「答えのある世界」に目覚めて。20代から始まった学び

ー勉強に集中するためにどのような決断をされたのですか?
とにかく環境を整えようと思い、背中まで長かった髪を切って、ギター1本だけ手元に残し、シンセサイザーなど楽器全てを売って、住む場所も変え勉強に集中しました。すでに23歳を過ぎていました。同年代がすでに就職している時期に、ようやくスタートラインに立つような、そんな感じでした。

大学入学当時はほとんど勉強なんてしていなかったのです。でも、実際にやってみると、すごく面白かったんですよ。以前は授業なんて大嫌いだったのですが、それとは全然違いました。
ー勉強に取り組む中で、どのような変化を感じましたか?

本を読むのにも最初はものすごく時間がかかりました。1冊の1ページ読むのに30分もかかって、それでも何を言っているのか全然わからない。日本語で書いてあるのに、理解できないという感じだったんです。でも、だんだんと読むスピードが上がっていきました。それとともに、世界が変わったように感じたのです。映画監督や小説家、ロックンローラーのような「答えのない」世界を目指していたときとは違って、勉強の世界には「答え」がある。これが正解だ、というものがある世界に触れるのは、とても新鮮でした。
もちろん、暗記だけではなく、物事をどう考えればいいのかというロジックも必要でした。たとえば経済や憲法、国際法、外交のこと。それらすべてが、ロジックに基づいて考えられているわけです。音楽だって実はロジックがあります。ただ、私はそれまでそれに気づいていなかっただけなんです。
それに比べると、本の中に「答え」があるような、そういった世界は新鮮でとても面白かったです。だから、勉強が全然苦じゃなかったんです。楽しくてしょうがなくて夢中でやっていました。それがわかると、とても楽になりました。
「答えのある世界」って、こんなにも楽なんだと実感しました。
やりたいこと、できること、すべきこと。三つの交わる場所を探して

ー勉強をひとりで進める中で、何か気づいたことや変化はありましたか?
途中でひとりで勉強しているだけではダメだと気づきました。学んだことを生かさなければならないし、文章を書いたり、意見をまとめたりして表現する必要があります。それで、勉強会に入れてもらったんです。勉強会に参加すると、「へえ、こんなふうにやるのか」と感心することがたくさんありました。それが、今思うと大きな転換点だったんです。振り返ってみると、転換点は三つほどあったように思います。
いろいろ試してみて、それでもダメだったら、もう何をしていいかわからない。そんな状況に陥っていたとき、本を読んでインスパイアされた。これが一つ目の転換点です。そのとき、一緒に勉強する友人たちがいて、その友人たちが勉強会に入れてくれた。これが二つ目。そこからやりがいを感じるようになりました。その経験が「自分がやっていてすごく楽しい」と感じられるものでした。これが三つ目です。
ーその経験を通じて、今どのように人生観が変わりましたか?

中学生のころなんて、自分が何をしたいのかも、何をすべきなのかも全く見えていませんでした。でも今は、「自分がやりたいこと」「自分ができること」「自分がすべきこと」の三つが交わる部分があるのだと考えられるようになりました。この話は、自分の娘にも伝えていることです。
たとえば、100メートル走でオリンピックに出たいと思っても、出られるわけではないですよね。何かをやりたいと思っても、それをやり遂げる能力が自分にあるのか。そして、それが自分のすべきことなのか。この三つが揃うポイントが、どこかにあるはずだと思うのです。
その三つが完全に交わる部分を見つけて、それをやること。それが素晴らしい人生なんじゃないかと今では思います。それは後から振り返って気づいたことですが、きっと知らず知らずのうちに、自分もその三つの交わる場所を探していたのだろうなと今では感じています。
ー新しい挑戦をする際に大切なことは何だとお考えですか?

この写真はノースカロライナ州キルデビルヒルズでライト兄弟が初めて動力飛行を成功させた瞬間をとらえたものです。現在は国立公園に指定されています。公園内には、彼らが建てた簡素な掘っ立て小屋のような建物が残されています。彼らの挑戦は、地元民からは滑稽で詐欺まがいと揶揄されていました。しかし、彼らはそうした声にも屈することなく、挑戦を続けました。
新しいことに挑戦する際には、自分の中に勝算はあっても、周りはよく無関心、あるいは見下しや嘲笑に直面します。そこに負けないことが重要です。成功した後に初めて、人々の理解や賞賛が得られます。先日ノーベル物理学賞に選ばれたトロント大学のジェフリー・ヒントン氏も同じです。最初は論文化もされず、誰にも認められなかったようなアイデアが、追求を続けた結果、今では成功へと繋がりました。挑戦の本質を教えてくれるようなストーリーだと思います。
【第一部|挑戦から未来へ】山野内勘二 駐カナダ日本国特命全権大使が描く「日加連携と人生哲学」|特集「令和7年新年特別インタビュー」
第一部では、「インド太平洋戦略」を軸にした新たな外交展開や産業協力、そして国際情勢に揺れる中での日加連携の重要性について語る。

