People.20 vol.2「僕は叫んでいた。毎日、全力で。」Shuma Janさん(映像作家/ディレクター)|カナダワーホリを超えた今

2012年の1月。トロントへ渡ったのは21歳になった直後だ。現在は岡山と東京の2拠点で生活しながら映像作家・ディレクターとして活動している。映像を始めたのもワーホリへ行った約10年前のことだった。到着した初日は時差ぼけと疲れ、それに加えて窓がなく光が入ってこないので24時間寝てしまったのをよく覚えている。

自分の未熟さや無力さを痛感した経験

 映像は日本にいた時にバイトで始めた。大した経験もないし、機材も親にもらった家庭用のハンディカムだけだった。当時どうにかなると思っていたのが逆に恐ろしいが、仕事に応募しても返信が来ないか、運よく面接に行っても落とされた。この業界では履歴書より大事なポートフォリオもなかったので当たり前だが、そんな中ようやく手にした仕事があった。モデル事務所が主催しているファッションショーの撮影だった。ショーを撮影して1時間ほどの映像にまとめるというものだったがこれがとにかく大変だった。撮影はなんとかなったがとにかく一人なのが心細い。

 会場は家から遠く、初日はバスを乗り継いで行ったが2日目は朝が早いこともあり到底間に合わないことに気づいた。乗せていってくれるような知り合いもいない。どこかに泊まるお金もない。考えた挙句、会場の隅に隠れて眠ることにした。バンケットみたいなところだったので椅子を並べて音響卓の後ろで寝た。朝になり会場の人が来た時に「どこから入ったんだ」と言われて焦ったが、「そっちが開いていたから入ったよ」と何食わぬ顔で撮影の準備を始めた。ちゃんとそういうことまで交渉できれば良かったと思うが当時の僕は若すぎた。

 それに加えて1200ドルもらえると思っていたギャラも結局600ドルしかもらえなかった。僕の聞き間違いだったのか、最初からそう言ったのか分からないが証拠もないし諦めた。散々な経験だったが多分それが生まれて初めて一人で映像を作って得たお金だと思う。きっとそういう経験も今に繋がっている。そう信じたい。

 その後はなぜかオーディションを受けたり、エキストラをしたり、路上で番組を撮ってみたりしたのだけど、それはまた次の記事で。