『先生の白い嘘』 『サターンリターン』などで 知られる人気漫画家 鳥飼 茜さんインタビュー

 世界各地のコミックと作家が集まるカナダ最大のコミックアートの祭典「Toronto Comic Art Festival (TCAF) 」がトロントで開催され、日本からは漫画家・鳥飼茜さんが招待された。インタビューでは、作品への向き合い方や特徴でもあるリアルな心の表現などを通して、性差別やジェンダーギャップなど現代社会の課題について氏の考えを伺った。

自分のマンガが異なる文化の人にどう受け取られるのか

ートロントの印象と今回TCAFに参加された背景をお聞かせください。

 クリーンで、治安も良く、東京とさほど変わりない街だと感じました。一方で、日本にはない清々しさがあり、爽やかな印象を持っています。トロントには妹が住んでいることもあって、コロナ前は度々訪れたことがある街なんです。

 海外イベントは、以前フランスに呼ばれたのですが、世界が新型コロナウイルスの感染拡大によるパンデミックとなり、残念ながら中止となりました。TCAFに招待いただけることは予想していなかったのですが、海外のイベントから声がかかることは光栄で夢のようなことなので、呼ばれたからにはぜひ参加したいと思いました。

ー英語、フランス語版など、自身の作品が他の言語で発表なるのはどんな気分ですか?

 これまでにも中国や台湾などで作品が訳されてきたので、日本語ではない言語であることに対しての違和感や驚きはありません。しかし、私のマンガは生活圏内で起きたことがベースになっており小説的な要素が強いため、自分が書いたものが北米の人に興味を持ってもらえるか、異なる文化の人たちにどう受け取られるのか、という不安はあります。

マンガの結末は流動的。希望はいつもあるとは言えないが、どんな場面でもなくしてはいけない

ーふだん作品を描く時には、結末があって作品に取り掛かっているのでしょうか?

 クライマックスとかゴールは予定しておらず、流動的です。展開によってラストも変わるので、当初の予定と結末が変わることもあります。生活の中で感じることが変わってくるので、それに合わせて流れも変わっていくことがありますね。

ーご自身の生き方に対する考え方にも影響されますか?

 私は、これまで自分の人生で失敗だったと思うことや、後悔したことがあまりないんです。結末自体、人間は死ぬときと思っているので、何を持って成功だ、という風にも考えていませんし、どのポイントから見るかによって成功の基準も変わってくると思います。今どん底にいてもそれは希望の序章かもしれません。これは失敗、これは成功とか、自分でジャッジできるのであれば、それが物語の終わりであってもなにかに繋がるきっかけに結びつくのだと考えるようにしています。

ーコロナ禍を経て考え方に変化は?

 パンデミックによる規制と自粛の中では、それまで普通にできていたことができない日々が続きましたが、発見したことも多かったです。オンライン文化が急に発達したことで以前だったらハマらなかったものに夢中になるなど。

 人間関係においてもあらためて大事な人の存在を感じられることもありました。希望はいつもあるとは言えませんが、どんな場面でもなくしてはいけないですよね。それを放棄してしまうと、死を選んでしまうことに繋がるので、どこかで希望を探していくことが人の義務だと思っています。

幼い頃から性の不平等、ジェンダーギャップを考えてきた

ー代表作『先生の白い嘘』では、性の不平等さなどについて描かれたことが話題になり、現代社会における象徴的な作品でした。

 『先生の白い嘘』が連載されている当時は日本で「MeToo運動」が始まる前でした。今は「MeToo」もさまざまな経緯の中で複雑化してしまいましたが、幼い頃からジェンダーギャップについては私自身が強く向かい合ってきたテーマでもあります。フェミニズムという言葉があるのは知っていましたし、本も読んでいましたが、社会全体がそれについて声をあげている時代ではありませんでした。

 生活の中で、「なんで?」ということは出てくるのに、そこに当てはまる言葉はなく、当事者が言っても受け止めてもらえないこともあったと思います。

 女性同士だからといって、同じ目線で話ができるわけではないということにも気づきました。恋愛関係と同じで、現にその関係性の中にいる当事者同士でないと、正当なメッセージのやり取りが難しいテーマだと思います。人それぞれ、それまでの人生の中で独自に培ってきた価値観や感覚があるので、その考えはおかしいよ、と言われると人格が否定されたと感じてしまうかもしれません。その点、マンガだと多くの人に発信ができるので効率がいいですよね。

自分の中の分裂した部分があったからこそ、今のマンガがある

ー「彼は彼女にはなれない。私はあなたにはなれない」というセリフが鳥飼作品の象徴と感じています。誰かになりたい、誰かに変わりたいと思ったことはあるのでしょうか?

 私は高校生の時は男性になりたいと思い、男同士の仲の良さを羨ましく思うこともありました。ひと昔前の時代は、音楽も演者も脚本家も中心は男性社会だったので、女性が語る言葉に価値があるとはあまり思えなかったのかもしれません。そういう面でいうと男性に憧れがあったし、男性のように女性を見ることもありました。

 しかし、自分の中でそういった分裂した部分があったから、いま女性のことが描けるのだと思います。それでも、私自身が心配性なので、楽観的な人になれたらとは思いますが、総合的にこの人になりたいと思うことはありません。根本的に自分は他人にはなれないことが分かっているんです。

もともと自分が感じたことしか描けない

ー作品では悩みの心、曇った心がリアルに表現されています。言葉で言い表せないものを言語化しビジュアル化されているのが印象的ですが、それらは昔から先生の作風ですか?

 もともと自分が感じたことしか描けないので、足りない要素は足していますが、人間の心がどう動いているかということが根底にあります。構成や伏線の回収などこれまで意識してきませんでしたが、最近になってそういったことも気にかけるようになっています。

ー性差別やジェンダーギャップなど、日本が遅れている社会的な課題が反映されているのが作品の特徴でもありますが、海外の方からはどのような反応が届いていますか?

 これまでにも、海外からの方々から 「描いてくれてよかった」「自分の身体が自分のものと表してくれてありがとう」などといったメッセージを受け取りました。女性漫画家の第一人者でもある萩尾望都先生からもコメントをいただくなど、女性からの賛同も多く、フェミニストの活動家の方からも声をかけてもらいました。

自分らしさと天秤にかけた時に、誰かに気にいられなかったとしても、自分の意見を主張することの大切さを選べるように

ー女性であることでの困難を感じながら、一方で女性である生きやすさなどを感じることはあるのでしょうか?

 漫画家になってからは、女性でよかったと思うことがあります。男性は社会的にも男らしくなければいけないとか、 感情を表に出すことを恥ずかしく思っているところがありますが、女性の方が感情を表にだしたりすることに抵抗がなく、素直に表現できていると思います。自分の感情についてじっくり関心を持ちやすいのは女性ならではで、その部分が女性に自由を与えている部分でもあると思いますね。

 また、女性同士の根本的な信頼感は力強いものがあると思います。社会としては生きくいけど、生物としては生きやすいのは女性ではないかなと思います。

ージェンダーギャップについては鳥飼さんも強く意識されていると思います。最近は日本でも課題となっていますが、実際に生活する中で生きづらさなどはありますか。

 相手が女だからという理由で態度を変えている人もいるので、細かい部分でいうと住みにくさはあり、言いだすときりがないと思っています。しかし、最近は、そういったことも直接相手に言えるようになってきました。マンガの作品では一貫してシンプルなことを言っているので、確立した私がいると思われたり、想像していた印象と違いますと言われることはよくありますが、本当は結構流されやすく芯が弱い人間だったりするんです。

 従順でいることの方がメリットも多いと思っていたところもあったのですが、自分らしさと天秤にかけた時に、誰かに気にいられなかったとしても、自分の意見を主張することの大切さを選べるようになりました。今までは、それまでの夫とか恋人にも言えなかったこともありましたが、問題がこじれたり関係が悪くなったりしても、それは自分の責任ですし、もう無理するのは止めようと思いました。なので、最近は少しだけ生きやすくなりましたね。

ーちょうど同じく漫画家の浅野いにおさんと離婚をされたニュースをみました。海外でも年々国際結婚が増えていますが、一方で国際離婚の複雑さや問題も話題になります。

 育ってきた文化も違う、話す言葉も違うとなれば国際結婚でうまくやっていくのは大変なことと思います。また異国の地で経済的にも自立しようとするのも並大抵のことではないと推測できます。

 私自身は、離婚というそれ自体は大して重要なことじゃないと思っているんです。いがみあってでも一緒にいることが良いかというとそうでもないので、経済的に許されるのであればお互いのためにも、子どものためにも離婚した方がいい場合もあると思っています。私もたくさんの人に相談してきましたが、最後は自分の頭で決めて決断することだと思いました。

海外ドラマにあるような伏線の回収、飽きさせない努力

ーストレンジャーシングスにハマっていると伺いました。海外ドラマもよく見られるそうですが、刺激やインスピレーションを受けることはありますか?

 導入部分のカッコよさやカメラワークなどは、海外ドラマからも多くの影響を受けています。今取り掛かっている作品は、これまでより少し背伸びをして描いていて、エンターテインメントであることに挑戦しています。海外ドラマにあるような伏線の回収、飽きさせない努力などを取り入れようと思っています。

ー動きで表現できるドラマや映画と違い、漫画の中でビジュアル感を表現し、伝えるのは難しくはないのでしょうか?

 現在描いているものは、絵の切り方、人が動く途中、色の塗り方も今までと少し違います。人間の顏はどの表情を切り取るかによってかなり変わるので、動いているものになるべく追いつくように描いており、パット見たときに映画を見ているようなイメージを持ってもらえることを心がけています。

読者に向けてメッセージ

ー以前の執筆されていたエッセイで英会話を習っていたと書かれていました。ご自身の経験から英語を学ぶ時のポイントを教えてください。

 国際結婚をした妹との時間を振り返ると、彼女が喧嘩も電子辞書を使いながら電話口で話をしていたのを思い出します。当時は私の方がまだ英語ができたと思いますが、今は結婚もして子供も産んで妹の方が上達しています。その成長を見ていると、本当に自分の生活に必要になったものは身についていくのだと思います。

 語学というのは、分かって使えるようになればなるほど、さらに知らないことが出てきたりしますよね。それって生きていく上で必要だからこそ覚えたり使えるようになっていくのであり、必要じゃないとなかなか身につかないんだなと分かりました。だからなんでもそうですが、生活や生きていく上で必要であるということが上達のポイントなのかもしれませんね。

ーエッセイでは、社会の分断についても警笛を鳴らされていました。近年は、社会の差別やヘイトも目立っています。

 昔に比べて、若者が自分と相手がどういう意見を持っているのかをはっきりさせないと話が進まないと思い込み、一個人が立場を表明しないといけない錯覚に陥っている気がしています。オンライン時代で、考えと考えのバトルになってしまっているからなのかもしれません。

 実際の社会では、相手の顏を見て自分は何ができるかと考えて動きますし、個人が持っている考えを理由に助けないという風にはならないですよね。なので、自分が接する人に対して思いやりを持つことが必要なのだと思っています。

ー今回トロントで開催されたTCAFでは、鳥飼さんのことのファンもいれば、このイベントをきっかけにファンになる人もいると思います。多様性あふれる読者が多いと思いますが、読んでもらいたい作品はありますか?

 マルチカルチャーという観点では、特にこの漫画というのはありません。というのも、私の作品が海外の人に受け入れられるとなかなか想像できないからです。フランスではほぼ全タイトルが訳され、その評判も良いようなので、閉じられた日本的な生活をしっかり描いたものであるということが好まれているのかもしれません。

 あえて多様性をもって描きましたというのも大事だと思いますが、自分の生活圏内で、自分が描ける等身大の未来を書いているので、閉じられた日本の様子を見てどう感じるかを想像することが難しいのが正直ところです。それでもきっと日本人が持つ感想とは別の感想を持たれるのでしょうね。

鳥飼茜(トリカイ アカネ)
 漫画家。1981年生まれ、大阪府出身。
 2004年に「別冊少女フレンドDXジュリエット」でデビュー。『おんなのいえ』 『先生の白い嘘』 『地獄のガールフレンド』 『サターンリターン』などの代表作品のほか、結婚や子育て、仕事の悩みを綴った日記をおさめた『漫画みたいな恋ください』など執筆業でも活躍。
 2022年7月から『ロマンス暴風域』がドラマ化され、放映中。