アフターコロナの幸福観|カナダのしがないラーメン屋のアタマの中 第45回

アフターコロナの幸福観|カナダのしがないラーメン屋のアタマの中 第45回

経済活動が、本格化の兆し

 先月、ワクチンパスポートの提示やマスクの着用義務などの制約が解除されて、ようやく通常営業のかたちを取ることが出来るようになりました。物価の高騰や物流の遅れなど、まだまだ何かとビジネスの妨げとなる諸問題はあるものの、出来ることに目を向ければ、様々な規制から解放されて、いよいよ経済活動が活発になっていくのでは、という期待を持たずにはいられません。

 2020年の3月17日に非常事態宣言が発布されて丸2年、世界は一変してしまいましたが、またこうしてたくさんのお客さんが来店してくれているのを見ると、お客さんや従業員に対して、感謝の気持ちで胸がいっぱいです。

 今後、世界はアフターコロナに向けて、環境問題等の解決も念頭におきながら、世の中を再設計していくことが求められていくと思います。個人もまた、自分の生活のあり方を見つめなおして、将来設計を考える必要があると感じていますが、その上で自分が大事にしたい考え方を紹介したいと思います。

海園の思想と気づき

枯れ木に花咲くに驚くより、生木に花咲くに驚け

 これは江戸時代に生きた、医者であり哲学者でもあった三浦梅園が残した言葉です。人は、ついつい日常の中にある自然の機微、すなわち、草花が風にそよいだり、空が青かったり、土のにおいがかぐわしかったりするような、当たり前に自然が移り変わる素晴らしさを忘れがちで、どうしても非日常の刺激や、枯れ木に花が咲くような奇跡を求めたりしてしまいます。

 それはそれでもちろん、人生を彩る要素である事に違いはないのですが、毎年毎年、雪解けとともに緑の葉を広げ、つぼみをつけ、花が咲くこともまた、感慨深い自然の営みであろう、という梅園の思想です。

 たくさんのお客さんが来店してくださること、お店を支える従業員がいてくれること、いつも自分に元気と笑顔をくれる家族がいること、全てが当たり前のようでいて、実は奇跡的なめぐりあわせの上で成り立っているのだと、この2年間のコロナによる停滞によって気が付くことが出来ました。

 また、否応なしに目に飛び込んでくる世界の不条理や、暴力がはびこる現実と比べると、雨風にさらされることもなく、毎日お腹いっぱい食べることができて、やるべき仕事があって、休日にはスケボーを楽しみ、雨が降ったら読書をする、というような当たり前の日常もまた、それだけで幸せと言える環境にいま自分がいるのだと認識しています。

どんなことに幸福感を感じることができますか?

 世の中の再設計や、生活の将来設計をするにあたって、前述のような考え方が、とても大切だと感じますが、コロナ以前には自分はこういった考えは持っていませんでした。コロナの終焉に向けて、生活のどの部分をコロナ前に戻したいのか、そして何をアップデートしたいのか、そういった一つ一つの選択をしていく基準として、自分はどんなことに幸福感を感じられるのか、何に喜びを見出せるのか、そういった問いを大事にしていきたいと思います。