成長ばかりじゃない、成功ばかりでもない!|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明

 世の中の自己啓発本を読むと「成長」と「成功」の文字がばっちり並んでいる。この傾向は2000年代に入ってバブル期の反省と世代替わりを受けたMBAブームに端を発する。「サルでもできる起業方法」「寝ながら億万長者」といったような眉唾ものの過激タイトルの本や電子書籍に思わず手が伸びた人も結構いらっしゃるはずだ。だが、現実は甘くなかった。そんな失望をする皆様を今日は「放たれた日」へとお導きしようではないか?

 今から20年前、東京の某高級ホテル、高層階での貸し切りパーティーのワンシーン。異業種交流会と称する集まりで何人かの成功者とそれに憧れる若者たちが高級ワインを片手に談笑をし、成功者から「君、なかなか面白いじゃん。ちょっとうちの会社に遊びに来ない?」と言われた暁にはどんな美女に会うよりも嬉しくて天にも昇る気持ちになったという経験者もいるだろう。

 この頃のMBAブームは直情的に金持ちになりたいというものであったと思う。理由はバブル崩壊後10年が経過し、抑圧された時代を過ごした当時の20〜30代が自分たちで新しい世界をつかんでやる、おやじたちがバブり、女子がお立ち台で乱舞したあの時代を俺も、私も作るぞー、であったと思う。

80年代〜90年代にかけて

 80年代までは成功者の定義は上場企業の社長や重役だった。その頃、新興企業は上場していても「店頭公開企業」と称し、株式の商い数も少なく、誰も見向きもしなかった。若者はひたすら「名の知れた東証一部上場企業」群に憧れた。

 ところが90年代に若者の失望感、そして巻き返しが起きる。その一部は大企業の年功序列から離脱し、転職しながらスキルを身に着けるという強い反骨精神を見せたと思う。そのエネルギーが向かったのはIPOを目指し、急成長させ、その企業を第三者に売却し、次のビジネスを立ち上げるシリアルアントレプレナーであったりもする。

SNS社会とセルフブランディングの台頭

 もう一つの彼らの共通点はトークや出版あるいは初期のSNSを通じて自分自身を売り込むことに長けたことがある。日本人はそれまでメディアへの露出をあまり好まなかった。が、皆さんがご存じの通り、ホリエモンや村上世彰、三木谷浩史各氏はそこを逆手に取った。彼らは自分のポリシーや考えを強く、そしてわかりやすく、SNSを通じて伝えることで広く共鳴させ、ファン層を獲得しながら若者の価値観に強く影響を与えてきた。

 当時私はバンクーバーで5人の著名若手実業家を一堂に集めたイベントのモデレーターをやったことがあるが、その一人、本田直之氏は「ハワイが好きで半日仕事、半日サーフィンできるライフを送る」としてレバレッジドシリーズの著書を多数出版し、名が知れていたこともあり、大盛況であった。

今、振り返ってみればそれらはバブルの反動 だったのかもしれないと思っている

 その頃、非正規雇用が急速に増え、世の中に社会への不満がまん延する。99%の人はそのような成功者になれず、安い賃金でひたすら働き、いつかは良いことがあるという夢さえ絶たれ、食うための仕事という世界第3位の繁栄国家日本に於いて明白なギャップが生じた。その際たる時期が民主党政権だった時代とみてさほど間違いはないだろう。

コロナ禍を経て社会は新常態へ

 今般、コロナを経て、社会は新常態に入ってきている。それは働き方や価値観をも世界レベルで変えつつある。その中の一つが成長が全てはないという発想だ。我々はお金持ちになる、あるいは老後のことを考えてひたすら働くことを当然のこととしてきた。どれだけ楽をしてお金を稼げるか、様々な議論や展開もあった。

 が、ここにきて成長とは搾取であるという考え方が出てきた。それを提唱したのがフィリップコトラー教授である。氏はマーケティング学の世界的権威であるが、その氏が「脱成長」という発想を披露した。これは衝撃的であった。つまり今の社会は無駄を重ね、消費者に消費をさせることで無駄な経済活動をし続けている。食べきれず破棄される食材、ファストファッションで作り過ぎた衣料は多くが処分に窮しているといったことは世界が経済成長を前提に無理無駄を積み重ねた結果であると説いている。

人を追いかけない。無理やり自分を合わせていないか?生きがいとは何か

 では我々はどう解放されるのだろうか?まず、人を追いかけないことだ。多くの人は他人と比較した自分を見る。鏡に映った自分は見栄えであり、比較論である。これを絶対評価の自分自身に置き換えたらどうだろうか?友人が高級ブランド製品を持っていても自分は着古したTシャツでも気にしない価値観を持てるだろうか?

 次いで飽食の時代に無理やり自分を合わせていないか、ということだ。ラーメンを食べるのになぜ15ドル払うのか考えたことがあるだろうか?私はラーメンを外で食べることは一年に一度あるかないかだ。理由は家で作れるからだ。つまり自分でやるスキルを身に着けることだろう。

 3番目に生きがいとは何か、もう一度考えてみるのがよい。カナダは自然と共生できる国だ。カナダ人は金をかけないで遊ぶ天才ともいわれている。我々はお金という対価を払った刺激を求め過ぎたわけだ。それを自分で創造することを考える。これが新しい生き方になるだろう。

 成功しなくてもいい、成長もしなくてもいい、だが、人々と共生し、社会に溶け込み、共に歩むという価値観は今後、必ず、着目される選択肢になるのだろう。