なぜ、戦争をするのだろう?|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明

なぜ、戦争をするのだろう?|バンクーバー在住の人気ブロガー岡本裕明

 人間はエゴの塊だ。世界の歴史をさかのぼっても戦争が長く途切れることはあまりなかった。大戦後は地域紛争的なものは数多く起きたが、一定の抑止力は働いていた。それもあり、ロシアという大国が地上戦を行うことはほぼ誰もが予想しえなかった。世界は平和を望みながらもそれが再び起きたということは歴史はやはり繰り返すのだ。今回の戦争は何を争っているのだろうか、もう一度、考えてみよう。

農耕民族「日本」の歴史と戦争

 日本の歴史を思い出してほしい。学校時代に習った日本史の多くは争いごとを基準とした歴史的事実ではなかっただろうか?「大化の改新」は聖徳太子が亡くなった後、曽我氏の横暴を中大兄皇子と中臣鎌足が倒した一種のクーデターだった。平家と源氏の戦いや戦国時代は皆さん、御承知の通りだ。多くの人は「あれ、そうだっけ?」と言うかもしれないが、幕末から明治初期は国内が荒れ果てた時期で数々の小さな戦争が起きている。その後も日清、日露戦争、日中戦争、第二次世界大戦と続いた。

 歴史の教科書では江戸260年は平和で良い時代だったと記していると思う。が、争いがなかったことは大名や武士が戦い方を忘れて日本が対外的に弱くなった時期ともいわれている。「歌を忘れたカナリア」ならぬ戦い方を忘れた武士たちである。故に例えば幕末の長州藩のドタバタ騒動は今その歴史書を読めば悲劇というより喜劇というほど下手の連続であった。また、黒船におののいた江戸幕府の意味合いとは260年の眠りから覚めた時、世界との差に動揺したとも解釈できる。

 日本は農耕民族である。これは同じ土地で先祖代々、耕し続け、その土地からの恵みを大切にするという考え方だ。もう少し言えば天照大神が民に分け与えた土地であり、それは神よりの借り物という発想もある。これが日本での土地の売買、特に農地の所有権移転がなかなか進まない案外知られていない理由の一つだ。

 ところが、大陸は狩猟文化である。獲物を求めて大陸をくまなく移動する。12世紀、モンゴル帝国の初代皇帝、チンギス・ハンが一代で中国、中央アジア、イラン、東ヨーロッパまで征服して人類史上最大の帝国を作ったのは御存じであろう。彼らは典型的な狩猟民族であり、獲物、つまり財や土地、食糧は自らが動くことで得らえるという発想だ。これはモンゴル族に限らず、大陸全般的に共通する考え方だ。例えば韓国と日本がいつも距離感がある理由の一つはこの文化的背景の違いもあり、彼らは常に切った、張ったの勝負をし続けるのである。

 戦争とは狩猟民族的発想における最後の実力勝負とも考えられる。日本は農耕民族ながらも戦争をし続けたが、長くなるので今日は省くがこれは若干解説を要する。

ウクライナの問題を考える

 日本人が外国でうまくなじめない理由の一つにネゴシエーションがあるだろう。これは交渉を通じて最大限の利益を得ようとする当事者間のバトルに他ならず、ビジネスではそれが締結できたところで握手し、ダメなら交渉決裂で終わる。ところが、外交の世界の場合には交渉決裂でも諦められない問題が生じる。それは政治と民の目という背景が常に付きまとうからだ。ビジネスのようにドライには割り切れない。
 ではウクライナの問題は何だったのか?いろいろな意見があるのは承知だが、私の大局的な見方は祖国統一と宗教的裏切りが背景だったとみている。そもそもウクライナはソ連時代にはソ連の領土であった。91年に独立後も政権によりロシアとの関係はふらついたが比較的ロシアとは関係が保てた。が、支持率低下の打開のため、明白な西側寄りに舵を切ったゼレンスキー政権だけはプーチン氏は許せなかったのだ。

 もう一点は典型的な宗教問題である。これはマスコミは書いていない。プーチン氏は敬虔なるロシア正教徒だ。一方、ウクライナはウクライナ正教会キエフ総主教庁が最大信者を抱えているが、ここはもともとはロシア正教会の管轄下だった。ところが2014年のクリミア半島併合でキエフ総主教庁は分離を求め、結局、トルコのコンスタンティノープル総主教庁の傘下に移った。これがプーチンを激怒させたもう一つの理由だ。

戦後を見据えた場外戦

 では、今回の戦いで欧米が遠巻きで経済制裁などごく限られた対策に留まるのはなぜかといえば虎の尾を踏んだのはゼレンスキー大統領だからかもしれない。そしてNATOや米軍が何らかの手出しをすれば第三次大戦になりかねない極めて緊迫した背景もある。一方、プーチン氏は自分に核爆弾のボタンをくくりつけて「俺をどうにかしようと思うなよ」とすごんでいるのだ。これが今回の戦争だ。

 もう少し、人間のエゴを述べておこう。西側諸国と中国は「戦後」を既に考え始めている。そしてその時、双方ができる限り巨大な権益を奪い取ろうとするだろう。私は自分のブログに「リング上の戦争は短いかもしれないが、場外戦は困難極まる戦いになる」という趣旨を述べさせてもらった。

 場外戦とは当然、ロシア、ウクライナを背景にした経済バトルと戦後処置、補償問題をどう解決するか、ということだ。問題はその時に戦争の敗者が当事者になっているかどうかだ。これは分からない。考えてみたらよい。第二次大戦でドイツ降伏後に開催されたポツダム会議はアメリカ、英国、ソ連が勝手に描いた計画で日本は蚊帳の外だった。

 戦争のもう一つの顔は特需であり、利益であることがお分かりいただけたかと思う。あぁ、おぞましや。