2006年にBLマンガ「ショーが跳ねたら逢いましょう」でデビュー、 現在では少女誌から青年誌まで幅広い活躍を見せている注目の作家 えすとえむさん インタビュー

2006年にBL作品「ショーが跳ねたら逢いましょう」でデビューを飾り、そのスタイリッシュな画風と情緒豊かな内容から人気を博しているマンガ家・えすとえむ。

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えすとえむ先生のサイン会での様子

デビュー後、フィール・ヤング(祥伝社)で連載された「うどんの女」は「このマンガすごい!2012」のオンナ編第3位にランクイン、2011年からは月刊IKKI(小学館)にて闘牛をテーマにした「Golondrina ゴロンドリーナ」、2012年からはジャンプ改(集英社)にて若き靴職人を描いた「IPPO」を連載するなど、BL誌、女性誌のみならず、青年誌へもその活躍の幅を広げている。TCAF期間中に行われたサイン会には多くのファンが列をなし、その明るい人柄でさらに多くのファンを獲得していた。

女性誌から青年誌と幅広いジャンルで活躍するえすとえむ先生。そのデビューのきっかけと葛藤

私は、デビューはBL作品なのですが、今は青年誌をメインに、女性誌ではBLや男女間の恋愛を描いたものを、そして青年誌では大人の男女誰もが読めるようなものまで描いています。デビューのきっかけは、趣味で描いていた同人誌の中で、たまたまBL色の強いものを出したものをピンポイントで編集者が見つけて声を掛けられたのです(笑)そうして、「(BL作品を)描けますか?」と言われた際に、「うーん、やってみます」といったような調子で職業・マンガ家としてのスタートを切りました。自分の作品が商品になるのだなどと、当時はまるで思っていませんでした。

私は小さい頃から絵本を書いたり、学校のクラス劇で脚本を書いたりなど様々な創作活動をして、小学校1年生ぐらいのころからマンガを描き始めました。そのうちに、話を書いて絵を描いて、その両方を一人ですることができるマンガが一番自分にとって自己表現がしやすいものなのだと思い、大学は日本で最初に創設されたマンガ学科へと進学しました。大学ではプロマンガ家の先生方からの指導などプロのマンガ家になるための授業が組まれていたのですが、商業ではなく、作品を使ったコミュニケーション分野を学びたかった私は違和感を感じながらも、試行錯誤を続けていました。そうこうしているうちに大学4年生となり、仕事をどうしようかと考えていたときに、マンガ家としてのお仕事の話をいただき、とりあえずやってみて、お金を一回貯めて…、と考えていたら、いつのまにか運良く今日までやってくることができたのです。

「自己表現」と「サービス(商業)」との葛藤を和らげた海外交流イベントでの経験

デビューしてすぐのころは「こう描いてほしい」というものと自分の描きたいものがうまく噛み合わなく悩んでいた時期もありましたが、いろいろなジャンルでお仕事をさせていただいているうちに、いろいろなベクトルが自分の中にあってもいいのかなと状況を受け入れることができるようになり、最近はあまり難しく考えなくなりました。

以前、京都で開催されたアジアとヨーロッパの交流マンガイベントで、ヨーロッパとアジアの作家が合作するというイベントに参加したことがありました。海外の作家はすごく自由にやっているイメージがあったのですけど、そのイベントで彼らと話をしたときに、みんな自分がやりたくとも、仕事として描かなければいけないものがあり、それとは別に自分の好きなものを作っているのだという話を聞いて、彼らと交流するまではヨーロッパは作家にとってユートピアのような誤解をしていたので、「あぁ、私だけでなく、みんな一緒なのだな」と、そのとき、それまで抱えていた葛藤がすっと楽になり、それが大きなきっかけで、マンガ家にはユートピアがないのだということに気づきましたね(笑)もちろん、こうしてマンガを描けているということに幸せを感じていますが、楽しいことだけではなく、物事にはギャップがあるのですよね。これからは「自己表現」と「サービス」の両方を、バランスよくやっていきたいですね。

作品に大きなインスピレーションを与える、海外滞在中の経験

私は今回がはじめてのカナダなのですが、トロントはとてもいい街ですね。空き時間に街先をぐるーっとCNタワーの方まで行って、御上りさんをしてきたのですけど(笑)、雰囲気や活気があって。トロントに到着して2日目にはナイアガラ観光に行き、とても楽しかったですし、マイナスイオンを浴びて、日本での疲れが癒されました(笑)でも、なかなか一週間仕事をしないというわけにもいかないので、今回の滞在中にもホテルでは仕事道具持参で仕事をしています。このイベントの後はスペインに取材を兼ねての休暇旅行に行ってきます。私は闘牛をテーマにした作品を描いているので、取材という名目で休みをもらって、「仕事ですから」と言いながら行っています(笑)

海外のイベントは私にとって今回がはじめてで、イベント参加の話をいただいたときは「やったー!旅行ができるー!」と思いました(笑)知らないところに行くことが大好きなので。自分の作品には自分が触れ合ったセリフや、とくに自分が見た光景からインスピレーションを受けているものが多く、趣味でもある海外旅行はとくにその宝庫ですね。ですから、私はアイデアが出ないということはないのですけど、アイデアを元にきちんとストーリーにする、点と点を線につなげるだときにすごく悩みますね。そういうときにはとにかく机にかじりついて時間をかけるしかなく、とても苦しい時間ですね。

ショートエピソードを中心に創作していた学生時代

私は元々恋愛ものを描いてきた人間ではなく、BLを含め恋愛ものを描くのには、すごい苦労が多いのです、実は(笑)大学時代にはもっぱらショートフィルムのような、ワンエピソードで印象的なシーンを描いたりと、短い話ばかりを描いていたのですが、これだと商業としてのマンガにはならないだろうとぼんやり考えはじめていたころにお仕事の話をいただいたので、そこから探り探りストーリーものを描くようになったという感じですね。

洋画からヒントを得たことが、海外の読者へのハードルを取り払う要因に

今ではインターネットの影響で、合法ではありませんが、スキャンであっという間に多くの作品が英語と中国語に訳されたものが出回っていて、今まで自分が出会ったことのない国の人が私の作品を知っていたりするのは、すごく不思議な感覚ですね。これまでの私の作品、とくにBL作品では、洋画からの影響が非常に大きくありました。創作する際にも、自分がその洋画を観てみたいと思ったように、自分がこういうものだったら観てみたいなというようなアプローチ方法で話を考えていったので、そこがいい意味で海外の読者のみなさんにハードルなく、英語になったときに読みやすかったという一つの要因になっているのかなと思っています。

『Golondrina』©えすとえむ
『Golondrina』©えすとえむ
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『IPPO』©えすとえむ

えすとえむ

2006年に東京漫画社から発売されたBL作品「ショーが跳ねたら逢いましょう」でデビュー。スタイリッシュな画風と情緒豊かな内容で人気を博す。フィー ル・ヤング(祥伝社)にて連載された「うどんの女」が「このマンガすごい!2012」のオンナ編第3位にランクイン。2011年からは月刊IKKI(小学館)にて闘牛をテーマにした「Golondrina ゴロンドリーナ」、2012年からはジャンプ改(集英社)にて若き靴職人を描く「IPPO」を連載。BL誌、女性誌のみならず、青年誌でも活躍する幅広い作風を持つ。

えすとえむ est em blog:www.geocities.jp/vostok1961/vtop.html