「出世を遠回りしたことに、後悔はない」デロイト・カナダ パートナー/ 日系企業サービスグループ・ナショナルディレクター深堀宗一さん|特集「カナダライフのヒント・キャリア編」

「出世を遠回りしたことに、後悔はない」デロイト・カナダ パートナー/ 日系企業サービスグループ・ナショナルディレクター深堀宗一さん|特集「カナダライフのヒント・キャリア編」

 カルガリーの大学卒業後、デロイト・カナダに就職し、現在はパートナー・ナショナルディレクターとして日加のビジネス第一線で活躍を続ける深堀宗一さん。世界中から優秀な人材が集まるグローバル企業に入社し、パートナーの地位にまでのぼりつめることができた日本人は、ほんのひと握りしかいない。しかし、彼の輝かしい経歴の裏には、泥臭い努力と自分自身に決めた約束を守る揺るぎない精神があった。厳しい環境のなかで、これまでどのように自分の心と向き合い、キャリアを拓いてきたのか。深堀さんのこれまでのストーリーに迫ってみたい。

海外で学びたい意欲が高まりカルガリーの大学に進学
ビジネスの世界で活躍するため会計学を専攻

ー海外にはいつごろ興味を持たれたのですか。

 高校生の頃だったと思います。当時、私は、思春期特有の反抗心から日本の働き方やスタイルに疑問を感じていて、日本で就職するよりも海外で挑戦したいという思いがありました。大阪の高校を卒業後、外国語大学に進学したのですが、さらに英語を喋れるようになりたい、海外で学びたいという思いが強くなり、カルガリーの大学へ進学を決めました。

 カナダを留学先に選んだ理由は、訛りのない綺麗な発音と治安の良さです。実際に暮らすなかで、カナダでは自分のバリューを持って行動できるところが好きになりました。日本は、型にはまったことを好み、自由に動くことができないイメージがあります。私は、型にはまった考え方や行動があまり好きではありません。その点カナダは、自由で自分の価値観を守りながら行動できる国だと思いますし、私に合っていたと思います。

ー大学では何を専攻されたのですか。

 会計学を専攻しました。実は元々は通訳者を目指していました。でも学んでいた言語学の関心が薄れてしまい、将来ビジネスの世界で活躍するためにはビジネスに関することを学ばなければいけないと考え、比較的成績も良かった会計学を専攻することにしました。

ー大学卒業後、日本へ戻り就職する選択肢もあったと思います。なぜ、海外で就職することを選び、そのなかでデロイトに就職することを決めたのですか。

 世界を股にかけて活躍するビジネスマン像に憧れはありましたが、具体的なビジョンはありませんでした。当時からあまり深く考えすぎることをしないので、とりあえずやってみよう!とカナダで就職活動をすることにしました。

 就活では、大学を卒業すると得られるOPT(Optional Practical Training)と呼ばれる就労ビザを活用しました。OPTは、専攻に関連した職種に限られるので、就職先は会計に関するものが多かったです。履歴書を多々の会社に送付しましたが、その中で会計事務所ではDeloitteだけが対応してくれました。

「いつまで与えられた小さい仕事ばかりしているんだ」との一言にハッとする。
そして最大顧客の監査業務に従事し、エリートに揉まれ一皮むける

ー海外で日本人がパートナーの地位にのぼりつめることは、そう簡単なことではないと思います。今に至るまでの歩みを教えてください。

  

 入社後、バンクーバーの事務所で日本企業の監査業務の担当をしていました。その後、東京事務所へ2年間出向したのち2007年にトロント事務所にきました。現在は、監査アドバイザリー業務に従事し、米国・カナダの大手・中堅企業やカナダの日系多国籍企業の子会社などを担当しています。

 パートナーになるまでは紆余曲折はありましたし、他のカナダ人同僚たちと比べるとかなり時間もかかりました。遠回りはしましたが、後悔はしていません。いろいろな現場で多々の経験を積み重ねることが出来たことが同僚に負けない知識と経験になっています。

ー社内のエリート達と仕事をともにすることで感じたことや自分の中での変化はどのようなことだったでしょうか?

 入社してからは、地道に仕事をこなしていました。しかし後に、出世を貪欲に目指し処世術に長けている人や、人脈を駆使して昇進への近道を考え行動する人が多くいることを知りました。真面目に仕事だけをしていればよいと考えていた自分にはショックな気付きでした。

 ある時、「いつまで与えられた小さい仕事ばかりしているんだ」と、親しい上司に言われたことにハッとし、「まだ経験したことのない大きな規模の業務に挑戦してみよう」と動き出しました。

 その後、デロイト・カナダ最大の顧客の監査業務に従事することになりました。その部署には、いわゆるエリートと呼ばれる優秀なスタッフが集結されていました。彼らは出世を見据え意欲的に行動し、自分の仕事や強みのアピールもとても上手く、今までの自分の仕事のやり方では全く太刀打ちできませんでした。

 「この人達のようなエリートにはなれない」と挫折感を日々味わいながらも、自分にとってとても良い勉強、経験となりました。そして、なんとか食らいつきながら仕事を続けるうちに、少しづつそのエリート達と同等に仕事が出来るようになっていきました。

 これも「とりあえずやってみよう」という自分の基本的方針に従ったものです。そして次第に周囲から認めてもらえるようになり、さらに頑張ろうと力が入りました。「とりあえずやってみよう」を繰り返すうちにいつしか社内のキーパーソンにも注目してもらえるようになり、ゆっくりとではありますがパートナーへの道が広がっていったように思います。

 ときには先輩から、「こんなレベルの仕事が出来るやつがここにもいたなんて知らなかった」といった励みになる言葉をかけてもらうこともありました。それは、泥臭い仕事を積み重ねてきた経験の賜物に他なりません。

「きっとなんとかなる」という思いは、山場をあきらめず乗り切ってきた
経験から生まれた自信とモチベーションからうまれる

ー様々な逆境を乗り越え、今日まで辞めずに進んでこれたのはどのような気持ちからだったのでしょうか?

 一番の逆境は先ほど述べた最大顧客の監査業務に従事した時だったと思います。正直何度も辞めようと思ったこともありましたし、転職活動をしたこともあります。毎日、深夜まで仕事に追われ夜中に帰宅する日々が続いた時は自然とため息が出てしまうことも。妻にも命や精神をすり減らしてまで続ける必要はないといわれ、心配をかけていたと思います。「自分で決めたことは最後までやり抜く」という気持ちは持っていましたが、辞めなかった理由は、たぶん単純に逃げたくなかったんだと思います。

 これまであきらめないで頑張ることで、さまざまな仕事の山場を乗り切り、その経験が自信につながり、より良い仕事の結果となります。それがモチベーションになり今に至っています。

 その積み重ねこそが次の山場・難問に直面しても「きっとなんとかなる」という楽観的な気持ちや確固たる自信に結びついてきていると思います。

妻は、戦友。
守る相手というより、守られている相手。

 そして何よりも心強かったのは、私にとって戦友である妻の存在が大きいです。親や親戚もいないカナダで、二人で数々の山場や難問を共有し、進むべき道を話し合いながらこれまで選択してきました。このプロセスを異国の地で繰り返してきた、というのが戦友と呼べる一番の理由ですね。妻の存在は心強いです。

ー今後のキャリア、そしてひとりの人間としての目標を教えてください。

 仕事では、自分自身がこれまで経験してきたことを活かして次世代に還元したいという思いがあります。具体的には、担当領域の安定と拡大、そして次世代の育成に力を入れたいと考えています。また、現在、監査の教育担当としてカナダ全域の社員に向けた講義も行っています。自分の経験をシェアして皆が成長できる糧となることが当面の目標です。

 個人的には、現状に満足せず、常に自分が好きなこと、面白いと思ったことをやり続けていきたいですね。理想像はありませんが、楽しくいつまでも笑っていられる、心が震えるような瞬間を味わっていけたらと思っています。

やりたい理由はないのに、やらない理由が多いのはなぜ?
やってみようと思うことは、やってみた方がいい。

ー歳を重ね、ある程度キャリアを積み重ねてくると、肩書や出世というワードに感化させられて、他人と比べたり自分を見失ったりしてしまうこともあります。そのなかで、何を大切にして歩みを進めていくのか。最後に、深堀さんからキャリアの歩み方に悩んでいる方々へ向けてメッセージをお願いします。

 私は、先のことを考えすぎるあまりに時間だけが過ぎ、気がつけば何も動けていなかったという人たちをこれまで多く見てきました。やってみることで新しい気づきがたくさん生まれてきます。楽しくなかったら辞めたらいい、失敗してもそれが経験になります。痛いと思うことも、次にする頃には痛くなくなっているはずです。臆病になることはありません。とりあえずやってみること、やり続けることで道は拓けてくると思います。気楽にいきましょう。