人々に幸せと勇気を届ける生粋のエンターテイナー ダックマン・中村 鷹人さん(TK entertainer)インタビュー

どんな辛いことがあっても“笑い”に昇華させる

最近トロントで話題になっているストリートパフォーマー「ダックマン」こと中村鷹人さん。黄色いタイツを全身に纏い、満面の笑顔でバケツドラムをし続ける中村さんに話を聞いてみると、その笑顔の裏に隠された壮絶な過去と彼のエンターテイナーとしての強い信念が見えてきた。

–今でこそ誰にでもいつも笑顔で振舞う中村さんですが、生い立ちは非常に壮絶だったと伺いました。

僕は青森県で生まれ、父は無職、母は元レディースでした。所謂できちゃった婚で、母はこれを機に子どもと共に自分も育っていこうと出産を決意、実父は責任を負うことができないと蒸発してしまいました。生後2週間がたった頃、病院で毎晩のように泣いていた母は看護師さんに「もう泣くのはやめましょうね」と声をかけられると「こいつがうるさくて眠れないんだよ!」と僕の首を絞め、そのまま僕は救急治療室へ。重度の精神疾患を抱えていたことが判明した母に子育ては不可能と判断し、そのまま僕は3歳まで病院で育てられました。

後にまた両親との生活を始めることになりましたが、幾度となく虐待や育児放棄にあい、その後生まれてきた二人の妹も事故や病気で亡くなってしまいました。やがて僕は施設に預けられたり、祖父母に面倒を見てもらったり、また母と二人の生活になったと思えば、母は家を開ける日々の連続でロウソクを食べて飢えを凌ぎ、子どもながら一人暮らしの生活を送ったり…そんな幼少期でした。

“Have a nice day”の掛け声とともに

–非常に辛い幼少期だったと思うのですが、当時の心境はどのようなものでしたか?

特に何も感じず、母を恨む気持ちもなかったです。今思えばさみしいという言葉が的確なのだと思いますが、愛を知らなかった僕には「これが人生なのか」という感じで、生きているのか死んでいるのかもわからない状況でした。ただ、この愛情を知らない生活を通して「誰かに必要とされたい」という生き方のベースがつくられたように思います。

–中村さんのエンターテイナーとしての原点を教えてください。

小学一年生の頃、給食の時間に牛乳をこぼしてあたふたして椅子から倒れたところをクラスメイトに大爆笑されたのです。その時、自分の脳がぶち切れるくらいの快感を覚えました。今まで誰にも必要とされない存在だったのが「生きてていいんだ」と思えるようになったのです。また11歳からは吉本養成所NSCジュニアでお笑いの勉強を始めました。人を笑わせることは「自分が生きていると感じられる唯一の手段」だったのです。

–大学卒業後に渡豪、現在の路上パフォーマンスを始めるようになったそうですが、その経緯を教えてください。

自分と同じ境遇の人を救いたいという思いから大学では心理学を専攻していたのですが、大学卒業後はさらに外国の人達の心理を学びたいと思い、また英語学習を主な目的としてシドニー留学をしました。しかし英語がある程度話せるようになると「ただ英語が喋れるだけで必要にされることなどない」と、子どもの頃に味わったのと同じ感情を覚えました。そんな物足りなさを感じていた時に、不特定多数の人を元気にできる、自分の存在を認めてもらえる、それを体現できるものは何か?と考え「バスキング」という答えにたどり着き、思いついた次の瞬間には外でバケツを拾ってきてバケツドラムの練習を始めていました。

–全身黄色のコスチュームの“ダックマン”のキャラクターが話題を呼んでいますが、どのようにしてそのキャラクターが誕生したのでしょうか?

実は最初は「チキンマン」と名乗っていました。「チキン=臆病者」という意味で、こんなチキンな僕でも人を幸せにできるよ、と皆を勇気付けたかったのです。そんな僕を見た友人は「これはチキンマンではなくダックマンだよ!」とSNSに投稿してくれて、そこから人々に浸透していったので、そのままダックマンで行こうとなりました。

カナダデーは巨大ダックとのコラボも

ボロボロになるまでバケツを叩き続ける

–ダックマンとしての活動の中で苦労したことや、そこに込められたメッセージを教えてください。

路上はホームレスの方々のお家ですから、彼らに受け入れられるまではお金を盗まれたり、バケツに煙草の灰を入れられたりと色々大変でした。でも辛い状況でも戦い続けるのがヒーローだと思っていて、何かが出来ないからと言って決して折れたくないのです。何者でもなかった僕でもこうやって英語を話して、ダックマンとして人に影響を与えることが出来るようになった。そのことを皆に伝えたいです。そして路上でやるからこそ、お金がない子どもや忙しくて笑う時間のないサラリーマン、目の見えない人、耳の聞こえない人、みんなに元気を届けることが出来ると思っています。

–今後の目標を教えてください。

シドニーと同じくマルチカルチャーな都市・トロントに来たからには、もっと現地の人に知ってもらって、頭のどこかでずっと覚えていてもらいたいですね。また現在はスタンドアップコメディをするために英語でのネタ作りに励んでいて、今後は大会にも出る予定です。トロントの後はニューヨークに行きます。最終目標は、自分の番組を持ち、才能はあるけどチャンスに恵まれない人たちを招待して、笑いを交えつつ紹介していくようなインターナショナルなMCになることです。僕も頑張りますので、皆さんも一緒に頑張りましょう!


中村鷹人(TK entertainer)

1993年、青森県生まれ。幼少期の辛い経験を乗り越え、吉本興業に所属、その後お笑い芸人や音楽活動などの経歴による様々なエンターテイメントを集結させ、ダックマンとしてのストリートパフォーマンスをシドニーで始める。現在は毎週金・土・日にダンダススクエアでバスキングを行っている。TKさん主演ドキュメンタリー映画『When I Was Young, The World Didn’t Need Me.』は今秋シドニーの映画祭で公開予定。
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