カナダで日本映画専門の配給会社 Momo Filmsを設立 高畠 晶さん |私のターニングポイント第22回

山崎貴監督(左)と高畠さん(右)
山崎貴監督(左)と高畠さん(右)

ブリティッシュ・コロンビア大学(UBC)を卒業後、日本の映画配給会社で働いた高畠さん。2009年に夫とともにトロントに移住し、トロント国際映画祭(TIFF)や日系文化会館(JCCC)のトロント日本映画祭(TJFF)を舞台に活躍するなど、日本とカナダで映画の仕事に長年携わってきた。二人の男の子を育てながら今年あらたにカナダで日本映画専門の配給会社「Momo Films」を設立した高畠さんのストーリー。

映画漬けの学生時代。
日本とカナダで映画の仕事に長年携わる

 高校から映画ファンで、留学したUBCでもFilm Studyを専攻し、映画祭や映画館でボランティアをするなど、映画漬けの学生時代を送っていました。帰国後、運よく日本の映画配給会社で就職でき、買い付けや配給、宣伝、TV営業などを経験した後、2009年にカナダ人の主人とトロントに移住しました。

 トロントではトロント国際映画祭(TIFF)で働いたり、JCCCのトロント日本映画祭(TJFF)を立ち上げたりと、日本とカナダで映画の仕事に長年関わってきましたが、今年の夏に「Momo Films Inc.(https://momofilms.com/)」を設立しました。以前から日本映画の配給をカナダでやってみたいと考えていましたが、コロナ禍が訪れ保留になっていたところ、『マイスモールランド』という素晴らしい映画に出会えたため、この映画をカナダで上映するため、配給会社を立ち上げることを決断しました。会社設立は人生のターニングポイントかと思っています。

移住直後は後悔。それでも出会う人びとに映画業界で働きたいと言い続ける

 カナダに移住した時はカナダ人の夫の意向で移住したため、日本の仕事を辞めてきた上に、トロントには知り合いもいませんでした。冬も寒いし、仕事も友人もないしどうしてカナダに来てしまったんだろう、と少し後悔していました。

 人と会ったり、話したりすることは好きなので、出会う人に映画業界で働きたい、と言い続けて来たところ、TIFFのポジションを紹介していただき、アジア映画のプログラミングチームで働けることになりました。またJCCCのジェームス・ヘロン館長にもトロントで日本映画祭を開催してみたいとお話ししたところ、アイデアを気に入って下さり、トロント日本映画祭を開催することになり、今年で11年目を迎えました。

 さらに、トロント日本映画祭in日比谷という野外上映イベントを東京のミッドタウン日比谷で4年前から毎年10月に開催しており、これらの映画祭での仕事を通じて黒沢清監督、是枝裕和監督、三池崇史監督など、日本を代表する映画監督の方々とお会いする機会がありました。

 夢を語り続けることで実現する可能性が高いと思いますが、同時にひょんな出会いやオファーから繋がる仕事もあるので、常にフットワークを軽く、オープンマインドでフレキシブルでいることが大切だと思っています。また色々な失敗や挫折もたくさんありますが、あまり悩まず次の仕事や企画のことを考えるようにしています。

細々とでも映画の仕事を続けることが大切だと思っていたので、乳飲み子を抱えながらも頑張って仕事をしてきて良かった

 家庭では、7歳と9歳の男の子ふたりを育てていますが、夫も私も両親がトロントにいないため、サポートが受けられず、子どもが4歳になってJKに入るまでは子育てをしながらTIFFやTJFFで働くのは大変でした。ただ細々とでも映画の仕事を続けることが大切だと思っていたので、乳飲み子を抱えながらも頑張って働き続けてきて良かったと思います。

 長男が1歳になる前に、日本の実家に帰省して半年ほど通訳の学校に通ったのですが、その後の監督の舞台挨拶や質疑応答などでの通訳のスキルが格段に上達したので、成長に繋がったかと思います。

 TJFFは立ち上げから関わり、今年6月で11年目の開催ができました。2020年は開催前にパンデミックになり、どうしようかと思いましたが、なんとかオンライン開催にこぎつけることができました。オンライン上映はやったことがなかったので、模索しながらの開催でしたが、20年と21年の2年間に渡りオンライン上映を成し遂げたことは、あらたな知識と経験がついたので良かったと思います。

【高畠 晶さんプロフィール】
 UBCを卒業後日本に帰国し、東京の配給会社に就職。国際部で買い付けをメインに、配給、宣伝、営業なども経験。2009年にカナダ人の夫とトロントに移住。その後TIFFのプログラミングチームやTJFFのアーティスティック・ディレクターとして、作品選定から契約、素材、ゲスト調整に携わる。ミッドタウン日比谷が主催のトロント日本映画祭in日比谷もプロデューサーとして作品選定から上映当日の監督との舞台挨拶に至るまでを担当。ここ5年ほどは北米のTVドキュメンタリーなどの日本撮影のコーディネートなどの仕事も請け負い、2019年にはネットフリックス・オリジナルの「Age of Samurai: Battle For Japan」にAssociate Producerとして参加、 伊藤英明などの日本の俳優の通訳なども担当。また、カナダ人女性監督が手がける「Hand-Drawn」という手描きアニメのドキュメンタリーでもAssociate Producerとして、細田守監督含む多くの日本人アニメーターに取材などの実績を持つ。

■ いまの自分に点数をつけるとしたら?

 今の自分に点数を付けることは難しいです。今現在の仕事の状況や人生にはある程度満足はしていますが、カナダへの移住とか、カナダで仕事が見つからなかったから仕方なくフリーランスで仕事を続けたとか、その場の流れに流されて今に至っている面もあるので。また会社を設立したばかりですが、配給作品の上映が始まっていないので、結果も見えていないですし、点数はまだ分からないです。

■ もし人生をやり直せるとしたら、いつ?

 特にやり直したいとは思いません。若い頃から明日死んでも後悔しないように人生の選択をしてきたつもりなので、今のところ後悔はないつもりです。

■ 学生時代のエピソード

 小学生時代は本好きの鍵っ子。中学は陸上部。高校の時から海外の大学に行くと決意し、高校卒業と同時にバンクーバーに留学し、UBCを映画専攻、仏語副専攻で卒業。卒業後日本に戻り、東京の映画配給会社に就職したが、日本の習慣に馴染めず最初の数年は苦労するが、映画の仕事ができるだけで幸せだったので、飲み会で鬱憤を晴らしながら、東京生活をエンジョイ。

■ 人生で大切なことは?

 健康。あとは映画鑑賞、読書、旅は人生経験において大事だと思っています。理由は視野が広がるから。

■ 将来の夢・ライフプラン

 今後良質な日本映画をカナダで配給して多くの人に日本映画を観てもらいたいです。また、カナダと日本の共同制作にも関わっていきたいと思っています。仕事以外でも1年に1~2回は行ったことのない海外の映画祭に参加したいと思っています。

-座右の銘: 足るを知る 万事塞翁が馬
-好きな本: 『アルケミスト 夢を旅した少年』(パウロ・コエーリョ)、『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディ・みかこ)、『漂流教室』(楳図かずお)
-尊敬する人: 両親
-感謝している人と一言メッセージ: 『アルケミスト 夢を旅した少年』(パウロ・コエーリョ)、『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディ・みかこ)、『漂流教室』(楳図かずお)
-カナダの好きなところ: 多様性があり、広大な自然があるところ。