「トロントの社会政策と街づくりを日本に活かしたい。豊中市議選に挑戦中!」山田さほさん(中編)|Hiroの部屋

山田さん(左)とヒロさん(右)
山田さん(左)とヒロさん(右)

 4月に行われる豊中市議選にチャレンジしている山田さほさん。東日本大震災後にカナダ・トロントに留学し、結婚・出産を経て三人の小さなお子さんを育てる中で、多様性の共生を実現しているトロントの生活で得たものを日本で役立てたいと奮闘中だ。

ヒロ: 前編でおっしゃってましたが東北大震災の際に起こった福島第一原発の事故によってお母様のことや日本社会における物事の見方が大きく変わったようですね。実際に現地でボランティア活動をされたとのことですが、感じたことなどを教えてください。

山田: ボランティアの活動では、被災者の方々から直接お話を伺う機会がありました。テレビで見ていたニュースの情報と実際現地での状況に大きなズレを感じました。この時に現地に足を運び、当事者の方々から話を聞く大切さを学びました。

 また、被災地で避難所は劣悪な環境になりがちだと言われます。避難所に見学に行ったときに出会ったのは警備に当たる大阪府警の方。郷土愛の強い私はとても嬉しかったのを覚えています。たまたまかもしれませんが被災地ではボランティアでくるたくさんの大阪人に出会いました。

 ヒロさんも東北大震災だけでなく、2016年の熊本地震の際にも義援金を募ったりと、チャリティー活動には積極的に取り組んでおられますよね。

ヒロ: そうですね。元々、ヘアドネーション活動は長年していたのですが、震災後は義援金を募って被災地に届けるというチャリティーカット活動もトロントと日本で続けました。実は、自分にとって印象深い昔話がありまして…阪神大震災の時、同級生が一万円を寄付したと話していました。被災は僕らが中学生の時でした。僕もお小遣いで募金ができなかったわけではない、でも余裕もなかった。たわいもない友人との会話だったんですけど、葛藤のようにずっと自分の中では引っ掛かる自問自答が続きました。すぐに行動できなかった事を子供ながらに後悔したんでしょうね。

人種・宗教・言語・文化などあらゆる多様性の共生を
立候補第一声
立候補第一声

成功させるためには「工夫」が大事

ヒロ: 震災でのボランティア活動を経てカナダに留学し、結婚・出産・子育てを経験されていますが、多様性を念頭に置いた社会政策や街づくりはどのように映りましたか?
 
山田: カナダでの子育ては無料で遊びに行けるところが充実していて公園もたくさんあります。街の人も優しく声をかけてくれる人が多いです。
 トロントの子育て支援センターではケアギバーにお茶やコーヒーが無料で出たり、子どもには無料でスナックやスープが提供されることもあります。障がい者への理解を深める工夫が散りばめてあることに驚きを受けました。
 わたしはゲイストリートと呼ばれるチャーチストリートの近所に住んでいたのですが、そこにある子育て支援センターではLGBTQについての絵本が多く設置されていたり、働くスタッフもLGBTQだったり、目から鱗が落ちました。
 障がいの有無、性の多様性だけでなく、人種、宗教、言語、文化などあらゆる多様性の共生を成功させるためにはこの「工夫」が大事であるということを学びました。

日本でタウンミーティング
日本でタウンミーティング

ヒロ: 正直、自分が政治家になろうとは思わないですし、やっぱり適材適所ですよね。そして、幼少期の体験やお母様の影響そしてカナダの環境で得たものを全てミックスして日本で発信しようとする姿勢が素晴らしいです。僕は自分のことを日本から来た「カナダ支社」のように認識してます。内面がどんなにカナダ人化しようとも「日本の役に立ちたい」との気持ちが強いんです。だから今後も、日本の美容学校や大学でセミナー活動を通して、少しでも自分の体験を次世代に伝えて、日本へ還元できれば幸いです。

山田: ヒロさんのような方が海外の受け皿になってくれるというのがまさにですね。起業し成功されていながらも、日本とも繋がっていらっしゃる。本当に意味があることをされているんだと思います。まさに架け橋ですよね。

ヒロ: サホさんが、政治家になろうと日本に帰国してチャレンジするのは、とても凄い事です。しかも、まだお子さんも小さく、引き続き子育しながら、成し遂げようとしているのは本当に素晴らしいことだと思います。

(聞き手・文章構成TORJA編集部)

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山田さほさん

 イタリア、ミラノで生まれ豊中で育つ。カナダ人の夫と7歳、5歳、3歳の育児奮闘中。ジョージブラウンカレッジ在学中(2023年卒業予定)。2011年東日本大震災被災地でボランティア活動に従事し、当事者の声を直接聞くことの大切さを学ぶ。10年間のトロント生活を経て豊中市会議員への挑戦を決意。