ECからソーシャルコマースへ|世界でエンタメ三昧【第91回】

ECからソーシャルコマースへ|世界でエンタメ三昧【第91回】

世界ECの半分を占める中国、1日で日本の1年分売れる

 ECと聞けばアマゾンや楽天などネットサービスのなかでは〝古株〟ジャンルでしょう。主だったEC企業は20世紀末に創業し、すでに20年以上もの歴史を持ちます。ユーザーは本や航空券から始まり、アパレルや靴までECで購入するのが当たり前に。このコロナ期にはフードデリバリーなど食材や食べ物であってもオンライン経由で購入することも日常的になってきました。日本で年間「小売」として買われている市場は285兆円(2020年)、そのうち19兆円がオンライン経由のEC購入です。全体の8%。EC化率でいうと5年前は5%、10年前は3%、15年前は1%です。順調にEC化しているのが分かります。EC企業はだいたい1990年代に創業しているものの、そうしたEC企業が大きく売上を伸ばしたのは実はこの10年くらいなのです。

 日本はEC大国と思われがちですが(金額としては、中米英に次ぐ世界4位)、実は世界標準から言ってみれば「EC後進国」、全世界単位でのEC化率はすでに12%近く(2021年には20%を超える予測)で、日本の8%というのは「まだまだEC化していない」状態なのです。これにはトリックがあって、リアル購買が便利すぎる日本は近所にコンビニもあればユニクロもヤマダ電機もある。ということで、あえてECに逃げなくても十分に信頼できるし保証もあるしっかりとした小売店が所狭しと並んでいます。比べると既存の小売インフラが信用できないということで驚異的にEC化が進んだのが中国であり、インフラがあっても国土が広すぎてアクセスしにくいというのが米国でした。

 図1をみると、2008年は日本の三分の一にも及ばなかった中国のEC売上は、その2013年にはあっという間に日本の3倍差をつけ米国すらも超え、2018年には130兆円規模と米国とですら3倍差をつけるような市場になっています。世界全体のEC市場の半分近くは「中国」1か国で発生した消費市場であり、そこから大きくビハインドして2位の米国がある、といった状態です。この中国がEC最強国になった理由は、銀行口座をもたない段階でAlipayやWechatなどモバイルファーストのサービスが浸透したように、リアルのインフラが整わない段階で中国ユーザーが一足飛びにデジタル消費に「進化」したからです。

 こうして市場サイズだけ並べてみると、なぜ11月11日の「独身の日」があれほど盛り上がり、1日で16兆円、ほぼ日本の1年分のEC販売総額に近い取引が、どうして実現されているかの背景が見えてきます。

商品購入から「物語」が抜け落ちたデフレ時代

 日本の19兆円のECは「物販系(12兆)・サービス系(4.5兆)・コンテンツ系(2.5兆)」の3つに分かれます。物販におけるEC化の代名詞といえば(アマゾンもここから始まりました)「書籍や映像・音楽ソフト」で、すでに5割近くがEC化しています。次に「生活家電・AV機器」で3割方、その次に「生活雑貨、家具、インテリア」「衣類、服飾雑貨」などが2割方ECで売れています。逆にまだまだEC化していないのが「化粧品、医薬品」「食品、飲料」や「自動車系パーツ」などで、これらはまだ1割もいかない状況です。サービス系は半分以上が「旅行」で、あとは「チケット」「金融」「理美容」などなど。コンテンツ系は言うまでもなく「ゲーム」「書籍」「音楽」「動画サブスク」といったものです。

 なんでもEC化するならもうリアルの小売店なんていらないんじゃないの、という声も聞こえてきそうですが、そんな極端なことも起こりえません。アマゾンが高級スーパーのホールフーズを買ったのも、アップルがiPhoneを大きく成長させたのにブランドショップのアップルストアが寄与したのも、「目に見えるブランドを発信する箱」というのはその場で購買がされるされないにかかわらず、サービスには必要不可欠だという認識は共通しています。このあたりはメタバースだ、電脳世界だ、とすべてがデジタル化するように語られる文脈にも念頭においておきたい話ですね。

 しかし中山の専門領域である「エンタメ」からみると、これら「EC」はコンテンツとしてちょっと過不足を感じざるを得ません。なにせショッピングモールのように、とにかく〝棚〟を広げて皆が欲しがるものを並べ、購買欲求を刺激する、というのが常道ですから。あくまで「商品の力」に依存して、集客と購入コンバージョンをKPIにゴリゴリと不要なメールからバナー広告まで〝広告づくし〟な環境をつくりあげているのも、こうしたEC市場の悪影響の一環でもあります。150年前のショッピングはそうではなかったはずです。デパートにいくと心が躍り、憧れが情勢され、高いのはわかっていながらドキドキと商品を手にとってしまう。購入したら自分の生活が変わりそうな気がする。これを身に着けたら、違う自分になれるような気がする。

 「商品購入」はエンターテイメントだった時代があります。でもそのエンタメ性という仮面が剥がれたのはいつごろでしょうか。1990年代から続く長いデフレ時期に、あらゆるものを「コスパ」で考えるようになってから、「商品購入」から「物語」が抜け落ちた感じがします。牛丼は300円だったはずなのに、ハンバーガーは60円だったはずなのに。購入場面ではすでにコモディティになってしまった「想像通りのクオリティ」のものを、いかに効率よく低価格で入手するか。価格だけがモノサシになったときに、「食事」は必要なカロリーをいかに効率よく獲得するかの「接種」になってしまいます。最近でいうと動画や音楽コンテンツを「倍速再生」しているときにもしばしば感じます。時間効率を2倍にできることがわかっていると、あえてライブで聞くことが面倒にも感じます。ただ、そこに「物語」はなく、情報の「摂取」という機能面だけで考えるようになったとき、我々の消費にまつわる文化が失われていくのを感じます。

 そう、デフレと引き換えに価値が上がっている唯一ともいえる資材は「時間」です。時間の価値がどんどん高まるために、いかに検索や選択の時間をかけずに目的のものにたどり着くか。そうなると「購入における選択肢」そのものが煩わしいものにもなります。誰かオピニオンリーダーが、インフルエンサーが、これは確かだというものを効率よく購入する。そこで生まれるのが「ソーシャルコマース」です。

選択肢を人と物語に預けるソーシャルコマース

 EC事例でみれば、世界最先端の中国に学ぶのが最適でしょう。〝古株〟ジャンルと言えるEC市場も、実はこの数年は大変革期でもあります。世界一のアマゾンにその背中を負うアリババ、そういった企業はいわゆる「マーケットプレイス」として市場のように大量の商品を隅々のジャンルで取り揃えます。でもユーザーにとっては「何でもある」は検索コストの問題もあり、「何にも惹かれない」という逆作用も生じます。

 最近急上昇しているECはそうしたウェブのプラットフォームではなく、特定のインフルエンサー、1つのアプリ、1つのインスタグラムのなかで起こっている「ソーシャルコマース」と呼ばれるジャンルです。それは「なんでもある」わけではなく、1つのコンセプトをもったブランドが「高級なものをではなく美しくなるを追求する」「北欧的な豊かな暮らしを送れる」「推し活に彩りをあたえて日々の気持ちをあげる」といった〝結果〟を物語として語り、そこに至るまでのコマース部分をガイドするような作りになっています。

 中国2強だったアリババ、JD.comに対してグルーポンのような共同購入型のPinduoduo(拼多多)が急激に追い上げています。コンテンツ型ソーシャルコマースの小紅書はもはや「誰かのインスタグラムを覗いている」ような購入体験です。好きな動画、写真にコメントを残したり、インフルエンサーの商品感想をやりとりしたり、フレンドのような購入体験ができる「口コミファーストのECサイト」で、そこにはショッピングカートもカテゴリータグもありません。もしくはアフィリエイターのように有料でそのプラットフォームの「店主」になって商品の販売量に応じた報酬がもらえるS2B2CといったYujin(雲集)のようなモデルも生まれています(アリババも早速このモデルを取り入れています。早い…!)。

 ソーシャルがECに効く!となったら、Taobaoやアマゾンでもライブ動画配信などを開始されています。逆に「コンテンツ」側にあったライブ配信アプリであるティックトックや快手などもコマース機能を入れて物販領域に参入し、現在は20年前のEC勃興期に返り咲いたような「新規Eコマース百花繚乱時代」ともいえる状況です。ECは確実にエンタメ側に近づいてきています。図1で世界EC大手の売上比較をしておりますが、アマゾン、アリババ、JD.comの成長が凄まじすぎて見切れていますが、実はこの5年間はいずれのEC大手も急激な成長フェーズを味わってきました。もちろんECだけでなく事業多角化も影響はしていますが、楽天・Zholdings(ヤフー&LINE)もほ倍以上になってますし、前述のPinduoduoや印Flipkartなども軒並み1兆円売上を超えてきており、明らかなるEC全盛期です(逆にいうとeBayがなぜこれほど停滞しているのか)。

 コロナ時代は商品購入という「機能」に特化したEC産業にとっても大きな変化と追い風をもたらしています。では10年後、我々はどんな購入形態をとるようになっているのか…その変化は間違いなく中国からもたらされることでしょう。